国王の驚嘆
多忙な予定の合間をぬって王立学院に顔を出した国王オーブリーは突然成長した息子に面食らった。
「レイ…急に育ったな…いや…なんというか…若い頃の自分の亡霊を見ているようで少々気味が悪いな」
「久々に会った息子に言う台詞がそれか?」
レイの後ろからそう言いながら顔を出したジュディスの頭を見てオーブリーは絶句する。ジュディスの頭の上にはレースがひらひらの黒いヘッドドレスがついていた。無論、角を触られないようにするためだが、顎の下で可愛らしくリボンを結んでお揃いのフリフリしたレースのボリュームがたっぷりなドレスまで着ている。とても似合ってはいるのだが、そんないかにも女子らしい格好をしているところを今まで一度も見たことがなかったので、オーブリーはそのまま開いた口が塞がらなくなってしまった。
「どうした?変か?おかしいなぁ。ベアトリスには絶賛されたんだけど」
よくできた人形のような顔でジュディスは首を傾げる。
「いや…随分と…趣味が変わったようだと思っただけだ…」
咳払いをしてオーブリーは目を泳がせた。すでにフレディから事の顛末を聞いてはいたのだが、それでも目の前の二人の変化にオーブリーが一番戸惑っていた。
「精霊としての結婚を済ませたと聞いたが…それはまことなのか?」
先ほどまで散々フレディを笑い飛ばしたオーブリーだったが、二人の前では国王の威厳を保って重々しく尋ねる。けれども、その次にレイの口から出た言葉にオーブリーは再び耳を疑う羽目になった。
「それが少々手違いが生じてしまいまして…どうやら妊娠したようです」
「は?」
オーブリーは思わずジュディスの顔を見る。ジュディスは慌てて首を横に振った。
「あの…いや、だから今は僕のお腹の中に…」
「えっ!?本当なのか?レイ!?」
今度はジュディスがレイを見上げて驚愕の表情を浮かべる。
「確かに…あの本に…建国の始祖は両性具有の王だって書いてはあったけど…あ!女神のよこした西の精霊が失った力って…まさかそれで?」
「ジュディスと溶け合ってから戻ったときに…ジュディスの中にあった卵ごと回収したような感じが…したんだよね…」
レイが言いながらお腹を撫でて顔を赤らめた。
「やっぱり…いるよ…ちゃんと…生きてる」
二人の会話に置いていかれたオーブリーは今の今まで壁際で気配を消していたフレディを振り返った。
「フレディ…どうやら…予想よりも早く孫が誕生するようなのだが…」
「あ…あぁ…元はと言えば私のせいだ…私がジュディスを刺激してしまったから…」
壮年の男性二人は動揺を隠せず困惑して顔を見合わせている。そこにレイの子ども時代の姿のファラーシャが現れた。再びオーブリーは二度見する。
「レイ?いつの間に!?こんなに大きな子が?」
「オーブリー、それはレイの契約精霊のファラーシャだよ。だからレイの子ども時代の姿を借りてるだけだ」
オーブリーはすでに冷静な判断すら下せなくなっていた。
「その…始祖の血が再び現れたというのも…にわかに信じがたいのだが…」
レイは伸びた髪を持ち上げる。首に近い方の一房なのでこうでもしないと見せられない。確かに一房薄桃色の髪が混ざっていた。
「早々に婚儀を執り行わなければ…レイの腹が大きくなってしまうな…」
オーブリーは複雑な表情で考え込む。するとファラーシャが笑った。
「王さま、それは大丈夫だよ。精霊の営みでできた卵なんだ。二ヶ月も経てば卵の状態で生まれてくる。そこから大きくなるまで大事に温めるんだよ。そうしたら孵化する」
「そうなんだ…」
レイは幾分かホッとした表情を浮かべる。
「オーブリー、急に…孫ができてしまってすまない…王国の脅威にならないことを…祈るしかない…」
ジュディスの言葉にオーブリーは首を横に振った。
「めでたい事ではないか。何故謝る。お前とレイの子だ。脅威になる訳がないだろう?育て方次第で子どもはどうにでもなる。子育てから目を背けていた私が偉そうに言う台詞ではないがな」
オーブリーはそう言ってレイとジュディスを抱擁した。
「子育てをしなかったツケが回って私はこれから弔いだ。派手に燃やしてレイの兄と姉を見送ろうと思う。上の息子が済まなかったな。お前にまた傷を増やしてしまった…」
ジュディスの手の甲に残る刺傷にオーブリーは視線を移す。
「お前が少女になって再来すると分かっていたら…こんな風に腹を刺すんじゃなかった…私は後悔してばかりだ。私のつけた傷の方が息子よりもっと酷い…最低なことをしたな…」
「いいんだよ。お陰であいつの焼印の気配が薄くなったから。だからレイとこうして…一つになれたんだ。ちょっと予想とは違ったけど…」
ジュディスの微笑みが柔らかくなったとオーブリーは感じた。
「レティシアは元気なのか?」
不意にジュディスがオーブリーに訊いてくる。
「あぁ…今日はまだ寝ていたいと言うから…無理には起こさなかったんだ」
「ふぅん」
悪戯な目でオーブリーを見上げてジュディスはレイの顔を見た。
「レイのことを話したらレティシアは驚いてしまうな。別に卵が私の中にあるという話にしておいてもいいぞ?その辺りはオーブリーの匙加減に任せる」
「あぁ…そうだな。しばらくは周囲にはこの事実は伏せておくが、婚姻の準備は進めよう。ロウ公爵家にも一応伝えておいてほしい。まぁすでに筒抜けかな?」
オーブリーは不意にあらぬ方向を向く。かすかな気配が遠ざかる。
「ブリジットの子は…親に似て好奇心旺盛と見える」
「日々訓練を欠かさないからな。どうせブリジットも近くにいるだろう?バレてるぞ?」
ジュディスが声を上げると、天井の一部が外れてブリジットが顔を出した。
「やれやれ、こうも腹が出てくるとさすがにネズミのようにこそこそと動くのも難しくなるな」
悪びれもせずにブリジットは天井裏から降りてくる。
「レイの腹に卵か。卵で産めるのは羨ましい限りだぞ。預かり方にもよるが、どうせもうじき私はあまり動き回れなくなるんだ、共にベッドに入ってその卵を愛でてやろうではないか」
「師匠が温めたら人としてちょっと破綻した子が出てきそうで不安だなぁ…」
レイが腹を守るかのように手を当てる。
「まったく…私を何だと思ってるんだ?その辺にいるただの無害な妊婦だぞ?」
「無害な妊婦は天井裏になんか入り込まないよ」
ジュディスが言うと、その姿をまじまじと見つめたブリジットはペロリと唇を舐めた。
「ジュディス…食べたいくらいに可愛いな。どうだ?レイから私に乗り替える気はないか?」
「師匠…仮にも国王陛下の前で平然と婚約者を誘惑しないでよ。僕たち結婚するんだから」
レイが呆れ果てたようにため息をつく。
「ブリジットが角を触ってもジュディスが反応しなくて本当に良かったよ…」
ブリジットがあの香りを嗅いでいたら果たして学院長のように耐えられただろうか、とルイは思った。この先も何が起こるか分からない。とりあえず今回はこの程度で済んで良かったと思うことにした。以前の自分なら卵のことに関しても、もっと取り乱していたに違いない。そのくらいにはレイの物事に対する認識も変わりつつあった。




