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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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女神

(レイも帰れ!)


 嫌な予感がしてジュディスは小声で告げた。


(えっ?)


 だが、音もなく移動したジェイドにレイは抱きしめられるかのようにやんわりと拘束されていた。それなのに身体はびくともしない。


(ダメだよ。今回は前のようにはいかない…それに半分は夢の領域…時間の流れに大幅なズレは生じない。なに、少々長居しても半日眠り続ける程度だ)


(レイ…すまない…本当に…)


 ジュディスの瞳に過ぎる恐怖がレイにも伝染した。


 仄暗い空間に淡く光をまとった人影が現れる。背の高い女性だった。長い髪の先端は蔦になり別の意思を持った生き物であるかのように蠢いていた。一歩近付く毎にレイは腹の底から冷えるような恐怖を覚える。動けるなら今すぐ逃げ出したかった。


(我に挨拶もなしで帰るつもりだったか?ジュディスよ…許可なしに伴侶まで得ておきながら…)


 閉じていた目が開く。茶色の瞳孔は縦長でおよそ人のそれとは異なっていた。虹彩は金。ジュディスと入れ替わったレイの左目と同じ色だった。ニヤリと笑った口に並ぶ歯はどれも獣のように鋭く尖っている。目が合った瞬間にレイはいつの間にか異形の女神の腕の中に捕らえられていた。ジェイドと瞬時に入れ替わったのか、それすらも分からなかった。長い爪の生えた手が喉に触れる。掻き切られてもおかしくはない。冷や汗が流れ落ちるのを感じた。


(西の精霊の血か…数百年ぶりかの。少し喰うぞ…)


 横目に、ジェイドに押さえつけられたジュディスの姿が見えた。


(止めてくれ!罰なら私が受ける!私がレイを巻き込んだだけだ)


 ジュディスの声が聞こえたがレイの顎を持ち上げた女神は呆気なくその唇を重ねた。先の割れた蛇のような舌はザラザラしていた。それが喉を通り過ぎ身体の奥まで入り込んできて、レイの身の毛がよだつ。魔力を吸い取られている。一気に身体が冷たくなり心臓までが凍りつきそうになった。力が抜ける。次の瞬間に焼けるような熱い何かが喉を通ったのが分かった。


(…そんなに嫌か?殺しはせぬ…お前は玉座を継がぬつもりか…?本気でジュディスしか望まぬとは酔狂な奴よの…お前には一つ種を与えた。西の精霊が太古に失った力…お前の身体にしか宿らぬ…)


 含み笑いと共に唇が離れる。レイは喉と身体の奥に鈍い痛みを感じた。吐き気がするがなんとか堪える。涙目でジュディスを探す。ジュディスはジェイドの蔦を飲まされていた。


(こっちももう少しで終わる…)


 ジュディスの喉が苦しそうに動く。ようやく飲み終えたジュディスは恨みがましい視線を片割れに送った。


(あと何回…なんだ…)


(うん?しばらくは眠る度に飲ませるぞ?だからって眠らずに起きていようなどと無駄な努力はするなよ?戦うのに力が足りないのは自分が一番分かっているはずだ。その細腕で何が出来る?)


 ジェイドに手首を強く握られてジュディスは唇を噛む。今の力では片割れにも勝てないのは分かりきっていた。


(僕も…眠る度に…一緒に蔦を飲むよ…二人の力を合わせた方が早いでしょ…)


 喋るのも辛いはずなのにレイはそう言って咳き込んで血を吐いた。女神の腕に抱かれたまま力なくその身体は動かない。


(レイに…何をした…?)


 ジュディスが女神を睨む。


(別に何も…少々贈り物をしただけだ。こちらに片足を踏み入れたなら引き返せないことなど分かっていただろうに)


 レイは女神の唇が酷薄な笑みを浮かべるのを見た。この状況を楽しんでいる。ジェイドの方は戯れに飽きたかのように、ジュディスからそっと手を離したところだった。


(そうカリカリするな。夢の中にある分、魂は無防備だ。だから血が流れただけだ)


(あと一滴でもレイの血を流したら…私はお前に嫌がらせをするぞ?)


 ジュディスは肩で息をしながらも壮絶な笑みを浮かべて女神を見上げる。


(嫌がらせ?その程度の力で何ができると?)


 異形の女神が嘲笑う。だが、次の言葉にレイはギョッとした。


(蔦持ちの集いにお前の嫌いなシリルを連れ込むぞ?あいつだって実を食ったんだ。蔦で絡め取ってでも引っ張ってくる…)


 レイの頭上でかすかな舌打ちの音が聞こえた。


(穢らわしい名を口にするでない…)


 女神の腕が離れる。地面に崩れ落ちるレイの身体をジュディスが抱きとめた。


(レイ…早く…帰ろう)


 ジュディスの言葉にレイは頷く。ジェイドが何か言いかけた気がしたが、聞き取る前に二人の目の前は白くぼやけた。



***



「やっと起きたか…」


 二人はいつもの寝室のベッドにいた。親切な誰かがテラスから移動してくれたらしい。傍らでブリジットが安堵のため息をついた。


「今は日曜の昼だぞ。テラスで眠ったまま起きなくなって…私も何度か眠って蔦持ちの集いとやらに入り込もうと試みたが尽く拒まれたんだ…」


「レイ、大丈夫か?」


 ジュディスはレイに触れようとして指先から薄紫の蔦が出ていることに気付く。


「うん…多分…大丈夫…」


 隣のレイが、ゆっくりと起き上がって腹の辺りを押さえる。痛みはなかった。


「なにかの種を…女神がくれたみたいなんだけど…よく分からないな…」


 レイは首を傾げる。ジュディスも起き上がったが不意に左腕に違和感を覚えた。


「あ…」


 巻き付いていた蔦からボロボロと実が落ちる。レイが慌ててかき集めながら、ブリジットを振り返った。


「師匠、これは絶対に勝手に飲まないでよ?」


「あぁ…さすがに今回ので懲りたからな。食べるにしてもアストリアとの間にできた実にしておくよ」


「…いや…まだ食べる気?」


「美味かったからな」


 ブリジットはニヤリと笑って唇を舐める。


「これはアマロックの蔦だからな…そこらへんの魔術師の口に入れようものなら即死する可能性もある」


「あぁ…半魔獣の血は毒だからな…なに、私には耐性もあるが、もし飲むなら出産した後にしよう…」


「ホント油断ならないよね、ブリジットって。授乳中も止めた方がいいと思うよ?」


 ジュディスの言葉にブリジットは残念そうな顔をする。


「いや、真面目な話、蔦持ちとはいえ蔦の種類を多く取り入れるほど、女神の領域に近くなる…人としての理性があっても歯止めが利かなくなるんだよ…純粋に殺戮が楽しいとすら感じて…戦いの途中でやり過ぎて昔一度だけフレディに殴られた。あんなに怒ったフレディは初めてだったからすごくよく覚えてて…ブリジットがそうなるのは見たくないよ…」


 ブリジットは俯いたジュディスの頭を撫でた。


「悪かった…次にもし打診されたときには、ジュディスにも聞いてから飲むかどうかの判断を下すよ」


 ブリジットは慰めるように頭を撫でていたが不意に手をとめた。額の上の髪を掻き分ける。


「ジュディス…?なんだか…僅かに腫れているような…ぶつけたのか?」


 言われた額の近くに手を当ててジュディスは盛大なため息をついた。


「向こうで…蔦を飲んだせいだな…これだから嫌なんだ。これ以上伸びないといいが…これは角だな…いわゆる魔族の二次成長期というやつだ…」


 隣のレイが動揺したのをジュディスは見逃さなかった。


「大丈夫だ…そう簡単には襲わない…と言いたいことろだが…正直なところ自信がないな。レイの血は旨いんだ…」


「ねぇ…僕の立ち位置って婚約者ってよりも食糧に近くなってない?」


 脱力するレイを見てブリジットは笑った。


「向こうでジュディスのことを頼まれたから、できることがあるなら協力するぞ?」


「ありがとうブリジット。でも妊婦なんだから無理はしないでよね」


 その後種を全て集めてジュディスは小瓶に詰めた。種は全部で五個あった。二つ入っていたものと一つのみのものがあり、やはり一つだけで育った種は大きかった。


(飲むにしても…苦労しそうだな)


 やっと蔦から解放されて軽くなった腕を回しながらジュディスが言う。先に出て行ったブリジットが呼んだのかフレディが部屋に入ってきた。


「二人とも…心配したぞ…」


 フレディは二人を同時に片腕で抱きしめた。額の傷はフロレンティーナの力のお陰かきれいに塞がっていた。


「フレディ…心配かけてごめん。双子の片割れが会いたがってたよ…蔦持ちの集いにフレディも呼んだけど来なかったって」


「片割れ…?」


「うん…ジュディスであってジェイドでもある…記憶を共有する半分が女神の領域にいるんだ…姿はジェイドだよ…」


「学院長…苦しい…」


 レイがくぐもった声で言う。慌ててフレディは腕を離した。レイを見下ろしたフレディはおやと異変に気付く。


「レイ…髪の色が…変わってるぞ?」


 いつの間にか銀髪の中に一房薄桃色の髪が混ざっていた。ぱっと見は気づかないが抱きしめて乱れたときにそれが見えた。


「レイは可愛い変化だなぁ。私なんて角だぞ?」


「角?どこに?」


 ジュディスの指差す僅かな突起にフレディが触れる。不思議な感覚だ。ジュディスはしばらく黙っていたが次第に顔が赤くなった。


「フレディ…それ以上触らないでくれ…変な気分になる…」


 フレディは慌てて手を離す。


「なんで?師匠はもっと触ってなかった?」


 レイが言うとジュディスは赤い顔のまま角の部分を押さえ、潤んだ瞳で上目遣いに二人を見た。不意に辺りに甘い芳香が漂う。


「ブリジットは多分…半分ずつだから平気だったんだ…純粋な雄に触れられると…襲いたくなる…」


「すまない、ジュディス」


 慌ててフレディが鼻を覆って離れる。芳香のせいで頭がクラクラしていた。直感的に長居するとまずいと思った。


「あ、ちょっと学院長逃げないでよ!あとこれジュディスとアマロックの種!」


 学院長にレイが小瓶を渡す。


「レイ、くれぐれもジュディスを頼んだぞ」


 学院長は部屋ごと遮断すると足早に出て行ってしまった。


「ちょっ…学院長!待って!僕どうしたらいいの!?」


 叫びも虚しくレイは遮断の中に取り残される。背後のジュディスを振り返るのは怖かったが、意を決して恐る恐る振り返る。甘い香りが一層濃くなる。どうしようもなく惹かれて抗えない。


「…ジュディス?」


 振り返ったジュディスはレイから見ても蠱惑的だった。そろそろと獣のように音もなくレイに近付いてくる。


「ジュディス…あの…ちょっと…待って。心の準備が…」


「…ダメか?」


 残念そうな顔で言われると拒めなかった。レイは首を横に振る。髪を避けて首を晒す。


「ダメじゃないよ…」


 首の薄桃色の魔法陣の跡にジュディスの牙が刺さる。普段は尖って見えないのに、こういうときは鋭い。それに前よりも痛くない。むしろ心地良いと感じてレイは慌てる。ジュディスから漂う甘い香りのせいかもしれなかった。おそらくこれが魔族特有の力なのだろうと、少しぼんやりした頭の片隅で思う。


「やっぱり旨い…なんでレイの血の味は…分かるんだろ…」


 咬み傷を舐めながらジュディスが呟いたのでレイはくすぐったくて思わず声を上げた。


「ジュディスっ…!」


「…なんだ?」


 首から顔を離したジュディスがレイの頬に手を添える。そのまま顔が近付いて唇が重なった。しばらくして血の味が濃いことに違和感を覚える。それでようやくジュディスの舌から血が滴っていることに気付いた。ジュディスの血を飲むのは羽化の守の儀式以来だった。


(ジュディス…血が…)


(嫌か?)


(嫌じゃないけど…なんで?)


(これが…魔族の…愛し方だから…)


(そう…なんだ)


 少ししょっぱいのに喉を通り過ぎる頃には甘いと感じる。ジュディスの血を飲みながらレイは次第にうっとりとしてきた。夢中で貪る。今まで抑圧してきた何かが外れてしまった気がしたが、もう止められなかった。絡めた指先からお互いの蔦が出て繭のように二人を包み込む。掌の境も次第に曖昧になり溶けて一つになる感覚に陥った。


(大丈夫…これでいいんだ…蔦に任せて…)


 ジュディスの声がレイに残る僅かな不安を拭い去ってゆく。蔦の作り上げた繭の中で二人はついにお互いを解き放ち溶けて一つに混ざり合った。

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