蔦の記憶
一方遮断の中ではアドリアーナが自分の見たときの様子を語っていた。
「サフィレットが黒い靄のようなものに覆われたと思ったら…突然獣の姿になってブルーノを襲ったのよ。でも…あの目は…サフィレットじゃなかった…あの禍々しい気配は…あれがリシャールだったのね…」
「サフィレットには…リシャールの焼印があるんだ…それも影響するのだろうか」
学院長の言葉にシリルは頷く。
「我の中に眠る子…ジュディスが縛った名はソロじゃが、あれにも焼印がある。印をつけた者の方が入り込みやすいんじゃろう…じゃが…となると何故ベアトリスを狙ったんじゃ?あれにはさすがに焼印などないだろう?南の者ではないよな?」
「それは…ベアトリスの子宮にリシャールの砕かれた焼印の欠片が仕込まれていたからじゃないかしら。その欠片はジュディスが取り出したけれど、触れたことで精神に悪影響が出たからフレディがその記憶に鍵を掛けたわ。ジュディスには絶対に言っちゃダメよ」
フロレンティーナが語る。人体兵器を生み出したシリルですら、それを聞いて心底嫌そうな顔をして両腕をさすった。
「ちなみに、その欠片は焼き消したからもうないわよ」
「な…焼き消した…?」
シリルが絶句する。人に混ざる単なる変わり者のはぐれ竜かと思っていたが、竜の中でもかなり力の強い者だと初めて知る。不意に西に肩入れすれば勝算があるのではと考える。生贄を集める南の愚か者共よりはよほど可能性がある。
「まさかとは思うが…リシャールは己の肉体をも復活させようとしていたということなのか…?」
シリルは眉をひそめる。
「その意図があったのかは不明だが…いずれにしてもベアトリスには印がついてしまったのか…」
学院長は深いため息をついた。
「印のある者は今後も狙われる可能性が高い…その、こんなことは言いたくないんじゃが、サフィレットの身に何かが起こった場合に…次の器にされるやもしれぬ…じゃから、ベアトリスにも蔦の種を与えて守るべきと我は思うのじゃが…」
「…あら?もしかして…じゃあソロを守っていたのはシリルさんなのかしら?前にジュディスがソロを守ってる誰かがいるって言ってたのよ」
モリス教授の言葉にシリルは小さく頷いた。
「そうじゃな。我はトリニティとソロの守りをしておる。ま、トリニティが主人格でソロは子どものような人格じゃがの…だが我もまた彼らに守られているとも言える…」
シリルは謎かけのように言って自分の話は終わりにした。トリニティとの関係は簡単には説明できない。
「サフィレットを追うのはブルーノの回復を待ってからになるか…果たして番の力で探せるのだろうか…」
学院長がつぶやくと、隣のフロレンティーナが横目で睨んだ。
「あなたの傷も治ってからよ?けっこう深かったんだから、無理をしちゃダメ」
フロレンティーナが釘を刺す。
「いずれにしても、奴が向かうのは南じゃ…」
シリルが遠くを見て独りごちた。
***
ブルーノは悪夢の中にいた。サフィレットの背中が遠ざかる。
(待ってよ!サフィレット!戻ってきて!)
叫ぶがサフィレットは振り返らない。暗い方に向かってその背中が消える。ブルーノは絶望的な気分になる。
「サフィレット!!」
叫んで目を開けてようやく自分が夢を見ていたのだと気付く。伸ばした片手が空を掴み胸の辺りに痛みが走った。
「大丈夫?」
ブルーノを覗き込むのは知らない顔だ。けれども何故か見覚えがあるような気がした。瞳の色かもしれなかった。長い黒髪に碧眼の若い女性の指先から薄紫の蔦が出て揺れていた。
「私はアストリア。あなたのお姉さんよ。アラステア・モリスの妹でもあるけれど…あなたと同じ半獣人よ。あなたとは半分だけ血が繋がってる」
ブルーノの掌からもいつの間にか小さな薄紫の蔦が顔を出している。アストリアの蔦が絡まる。父の顔が見えた。母ではない知らない女性と共にいる。兵士だった。
(どうして…あんなことをしたんだ?君のことは…信用していたのに)
女性は父を睨んだ。モリス教授と顔立ちが似ている。
(予言だ…君はそんなものは信じないかもしれないが…あのときは…あれが世界を救う最善の選択だと思ったんだ…)
まだ若い父が言う。
(世界?それで世界は救われるのかもしれないが私の家族はバラバラに壊れたぞ。みんな不幸だ。二度と元には戻らない…何故…私だったんだ…)
(すまない…許してくれ…)
「蔦の記憶ね。私の知らない記憶まで持ってる…モリス家は…私が生まれたことで…バラバラになってしまったわ。お母さまが不貞を働いたって。南の捕虜になった間の出来事でも、あの人は許せなかったのよ。お母さまは軍人で強い人だもの。そんなこと起こる訳がないと思っていたのね…私はお父さまと呼ぶことも許されなかったわ」
アストリアは淋しげに微笑む。ブルーノは何と言っていいか分からず困った顔のまま父親が同じ姉の顔を見た。
「あなたは私とジュディスの実を食べたのね。だから、近くに血の繋がった弟いるって分かったの。あなたを助けるために…私は生まれたのかもしれないわ。あなたは南の鍵…気高き狼アドルファス・ブルーノ…きっと果たすべき重要な役割があるのよ…」
アストリアはそっとブルーノの手を握った。
「あなたの身体が治ったら、大事な番を探しに行く話になると思うわ。できるだけ早く治してあげる…だから今は我慢するのよ…」
アストリアは微笑んだ。父と同じ目の色だとブルーノは思った。




