告知
ブラッドウッドを帰宅させ、モリス教授を急いで屋敷へと運び込む。そういえばこの屋敷は第三王子も使っていたのだと思って、ジュディスは物悲しい気持ちになった。
「フロレンティーナどこに行ってたの?外出なんて珍しいね」
「たまには私だって出掛けることもあるわよ?」
フフッと小さく笑ったフロレンティーナは手近なソファーにモリス教授を座らせた。
「私は触らない方がいいのかな?」
ジュディスは心なしか落ち込んでいるようだった。その肩を優しく抱いてフロレンティーナは声を掛けた。
「フレディ、ちょっといいかしら?」
部屋の奥にいたフレディがこちらに来ると、モリス教授は屋敷に集まった面々を興味深そうに見渡した。フレディは周囲を遮断してモリス教授の隣に座った。
「いつの間にかこの屋敷も賑やかになっていたのね…いい傾向だわ」
「何があった?」
フレディはモリス教授の押さえている左腕に触れた。ローブに隠していた腕には鋭利な爪で引っ掻かれた長く深い傷があり血が滲んでいた。よく見ると黒い服も血でかなり濡れている。首筋を噛まれたようだった。
「止血はしたのよ…それに…これでも一つ良かったこともあるのよ…ジュディスの残滓を読んだアストリアが…数年ぶりにまともに喋ったのよ…驚いたわ」
フレディはモリス教授に魔力を流し込み始めた。青ざめていたモリス教授の顔色が徐々に良くなる。時折モリス教授は苦しげに顔をしかめた。
「もうっ…相変わらずあなたの回復魔術って強引よね。昔よりはマシにはなったけど」
「私は治癒師じゃないんだ。戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際で長いことやってきた私に繊細さを求めること自体お門違いだ…で?妹は何と言ったんだ?」
フレディは話を戻した。モリス教授は僅かに沈黙したが、静かに息を吐き出した。
「これは誰の魔力?って聞かれたのよ…そして、急に獣の姿に転じて攻撃されたわ…獣になることをあんなに嫌がっていた子が…油断したわ」
モリス教授の末の妹は半獣人だ。母ではなく父親違いの妹だというのをフレディは軍人時代に聞いていた。モリス教授の母もまた軍人で南方王朝滅亡後の内乱を治める為に戦地に赴いたがそこで捕虜となり獣人の子を身籠ってしまった。父親について明かされたことはないが、モリス公爵家はそれで家族がバラバラになったも同然だった。
「ジュディスの魔力は異質だから気付いたんだろうな。表層のみなら気付かないが下に降りる毎に質はどんどん変わる。魔力交換したなら分かっただろう?ジュディスは君のことを気に入っているようだからな…」
喋りながらもフレディはモリス教授の首筋に魔力を集中させる。脈打つような痛みがマシになるのをモリス教授は感じていた。確かに早い。
「ジュディスは…あの子は一体何者なの?私は深入りしても大丈夫なのかしら…?」
「少なくともジュディスの方はそのつもりで君には接しているように見えていたが?」
さりげなく炎の魔力を流し込まれて、モリス教授は押し黙った。いつになく消耗しているのまで見抜かれている。血を流し過ぎた。
「ただし知ったら後戻りはできない。君の母上は軍人だったな。君の軍人に対する複雑な心情を鑑みると、知らない方が心穏やかに過ごせるかもしれないとも思うだけだ…」
「なによ…それじゃまるでジュディスが軍人と関係があるかのような言い方じゃない…」
鋭い琥珀色の瞳に射抜かれてモリス教授はごくりと唾を飲み込んだ。
「えっ?そうなの…?」
「少なくともジュディスなら、君の妹に襲われても怪我をする心配はない。羽化の守どうしの親和性をもって精神領域に入り込むことも出来るかもしれない。何故なら彼女は過去に一度心を壊しかけたが戻った者だからだ」
フレディは言い終わると遮断を解いた。遮断の外側ではフロレンティーナの両隣にレイとジュディスが座って何故かフロレンティーナのお腹に手を当ててニコニコしていた。
「…どうしたんだ?」
不思議そうなフレディに向かってフロレンティーナは助産院から貰った診断書を渡す。受け取ったフレディはしばらく黙って診断書を読んでいたが顔を上げてフロレンティーナに歩み寄ると、徐ろにその身体を抱き寄せた。
「ちょっとちょっと…なんなのよ!?」
あ然とするモリス教授を今度はジュディスがレイを引き込み遮断する。二人の姿が見えなくなりモリス教授は悪戯な目をした精霊のような子どもたちに囲まれた。
「今は二人だけにしてあげた方がいいと思って」
「ねぇ…学院長ったらどうしちゃったの?あんなに情熱的な人だった?」
「ね、やっぱり僕の言った通り双子だったでしょう?」
レイが得意げな顔をする。
「そうだなぁ…フレディがついに父親かぁ…私も感慨深いよ」
言ってしまってから、ジュディスはぺろりと舌を出す。
「あぁ…モリス先生もいるんだった。使い分けるのって難しいな。フロレンティーナに赤ちゃんができたんです。双子で二ヶ月だそうですよ」
「えっ?そうなの!?おめでたいじゃない。あぁ通りで二人にするってそういうこと。それはそうと…あなた、学院長のことを名前で呼べるほど親しい仲なの?」
モリス教授が慎重に聞き返す。
「そうなりますね。モリス先生にも言おうと思っていたんですけど…フレディとは…かなり昔からの知り合いです」
そこで一度ジュディスは言葉を切った。先を続けていいかを確認するかのようにモリス教授を見上げる。
「私は…最初はオーブリーの羽化の守で…彼に腹を刺されて消え失せる前まではフレディの右腕として戦場にいました。もっとも、そのときは男だったしこんなに小さくもなかったですけど…」
「えっ…ちょっと待って!情報量が多過ぎて理解が追いつかないわ…国王陛下の羽化の守?それって…緑の魔術師…ジェイド?あなたが?」
緑の魔術師には一時期は熱狂的な信奉者もいた記憶がある。後の弾圧により表立って崇める者はいなくなったが、戦場の獅子と呼ばれたフレディ・クロフォードの隣には魔性の如き美貌の恐ろしく強い緑の魔術師がいたのは有名な話だった。モリス教授はまじまじとジュディスの顔を見つめた。
「あなた…いったい何歳なの?」
「うーんと…それを考えるとややこしいからあまり考えないようにしてるんですけど…確か十六のときに腹を刺されて目が覚めたら二十年も経ってて、女の身体になってて十三歳に縮んでたから…」
「あー無理だわ…考えるの止めましょ。とりあえず、あなたが歴史書の中のとんでもない魔術師だってことだけは分かったわ…ん?それってちなみに国王陛下はご存知なの?」
「知ってますよ。全てを知って認めてもらった上で僕はジュディスと婚約しましたから」
しれっとレイが口を挟んでジュディスの手に自分の掌を重ねる。
「めまいがしてきたわよ…あの国王陛下が…認めた?あぁ…じゃあジュディスは羽化の守を務めるのは二回目だったのね。あんな命懸けの守を二回も…」
姿形は十三の少女そのもののジュディスの顔を見やってモリス教授は何やら考え込む素振りをした。
「あなたの提案を一度は拒否したけれど…妹が私の身体に残っていたあなたの魔力の残滓を読んで、数年ぶりに喋ったのよ…。妹にとって何かしら反応する要素があったのだと思って…結局あなたを危険に晒すことには変わらないのだけど…」
「私が会ってみたいと言ってるんです。モリス先生に強引に頼み込んでるのは私の方。だから先生は気にしなくていいんです」
そのとき遮断の外側からするりと学院長の右腕が侵入してきた。通常他人の遮断の魔術に入るには何らかの制限が生じるのに、まるで自分のもののように自然だった。その腕にジュディスが触れて遮断を解いた。やはり長年の付き合いがあるのだと、モリス教授はこういった無言のやり取りを見て納得する。
「おめでとうフレディ」
にっこり笑ったジュディスの言葉に学院長は珍しく照れたような、今まで見せたこともない無防備な表情になった。
「あぁ…この私にまさかこんな日が訪れるとはな」
「学院長…おめでとうございます。それと…ジュディスがとんでもない子だった、ということだけはよく分かったわ。この件は他言しません。言ったってなかなか信じられないと思いますし…」
モリス教授が言うと学院長は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「知った上でジュディスと関わった方が、この先何が起こっても受け入れられることもあるだろうな。君はジュディスに魔力を吸われたことはあるか?今度試してみるといい」
「何の話?」
フロレンティーナと話していたジュディスが自分の名前を聞きつけて振り返る。
「なんでもないわよ。そんな可愛い顔してとんでもない子だって話よ」
確かに知ったからには後戻りできそうにもなかった。このまま突き進むしか道はないのだと、モリス教授は覚悟を決めて小柄な少女姿の魔術師を見つめた。