血を欲する者
「珍しくまともな依頼人だったな」
あっさりと報酬を受け取ったセオはホッとしながらも頷いた。
「庶務課の掲示板に張り出されていた依頼でしたし…」
「それが安全だと思うセオはまだまだ甘いよ」
ブリジットが低く笑う。二人が歩いていると、横の廊下にアリシアの姿が見えたのでブリジットは反射的に遮断して気配を絶った。
「どうしたんですか?」
セオが遮断の中で不安そうな声を出す。ブリジットはセオの手を握った。
(静かに)
アリシアは一人の青年と歩いていた。彼は親しげにアリシアの肩に手を回している。が、何やら不穏な気配がした。
青年がアリシアの眼鏡を片手で外し二人は口付けを交わし始める。やがてアリシアの唇は青年の頬から耳にそして首筋へと降りてゆく。鋭い牙が光ってその首に突き刺さった。
「お前、リュカだな」
瞬間移動したブリジットがアリシアの手首を掴む。アリシアは目を見開いた。
「誰?なんでバレたかな…って簡単に捕まえられると思ってるの?」
アリシアはブリジットを見てニヤリと笑うと腹を狙って拳を繰り出した。まずい、とブリジットは焦って片手で腹を庇おうとしたが、それより早く間にセオが滑り込んでいた。セオにかけたブリジットの魔法陣が発動してアリシアは吹き飛ぶ。ブリジットはその隙にアリシアを魔術で拘束した。
「…っ!低俗な人間のくせにっ…邪魔をするなっ!」
アリシアの姿はみるみるうちに変わって肩の辺りで切り揃えた白髪に薄紫の青年の姿に変わった。気配も変わる。別の性格か、それとも。
「よりによって第七王子の亡霊を選ぶとは。嫌な姿だな」
ブリジットは鼻で笑う。ジュディスを手に入れようなどとおこがましい。
「この姿を見ても何故恐れない?」
ブリジットの軽蔑しきった表情に相手が動揺した。
「むしろ何故恐れると思ったんだ?己の力量を見誤って自滅した奴に興味はない」
背後で強い魔力の気配がして、学院長と魔術騎士科の補助講師の一人が立っていた。
「捕まえたぞ。リュカ…こいつが恐らく吸血騒ぎの張本人、ガルブレイスの巫女の一人だ。お前、化けたアリシア本人の方はどうなった?」
ブリジットが問いかけると第七王子の姿をしたリュカは嘲笑した。
「今頃は幸せな夢の中だ…悪意に満ちた血は旨いんだ。お前の血も…そこそこ旨そうだな」
「助かった。ブリジット」
学院長はリュカを引き連れ、補助講師はガタガタ震えている青年の方を連れて、瞬間移動で姿を消す。放心したように座り込んだセオにブリジットは声を掛けた。
「セオ…助かった…。でも何故、滑り込んで来たんだ?危ないだろう」
セオはブリジットを見上げて口ごもる。
「あの…クレメンスさんから聞いていたんです。お腹に…赤ちゃんがいるって…だから…」
ブリジットは目を見張る。クレメンスが?ブリジットは思わずセオを抱擁した。
「クレメンスはまったく余計なことを…と言いたいところだが、今回は本当に助かった…セオにも感謝する」
「いや…元々はあなたの魔術ですから…」
セオはブリジットの腕の中で照れたように呟いた。
***
リュカを沈黙の間に押し込んで、ミシェルとウォードに見張りを任せた学院長はフロレンティーナを呼び出して、女子寮へと向かった。寮監と共にアリシアの部屋を訪れる。扉を叩いたが反応がないので寮監が鍵を開けるとアリシアは首から血を流して倒れていた。
「アリシア!」
フロレンティーナの呼び掛けにも反応がない。フロレンティーナはアリシアに魔力を注ぐ。枯渇寸前で身体が冷え切っていた。
「…ダリル…どう…して?」
呟いたアリシアの瞼から涙がこぼれ落ちる。フロレンティーナとフレディは思わず互いの目を合わせた。フロレンティーナはアリシアを抱き上げる。
「治癒が必要なので移動する」
学院長は寮監に告げるとフロレンティーナと共に姿を消した。
***
アリシアが目を開けると、そこは見知らぬ部屋の豪華な天蓋付きのベッドだった。首を巡らすと近くに知らない赤毛の美しい女性が座っていた。
「…目が覚めた?」
「あなたは…?」
「私はフロレンティーナ。あなたが恨むべき相手よ」
不思議な笑みを浮かべて女性は告げる。アリシアは意味が分からず首を傾げた。
「どういうことですか?」
「あなたはダリルのことが好きだった?」
突然その名前が出てアリシアはハッとして身体を固くした。
「私は…っ…そんなこと…」
けれども赤毛の女性の金の瞳に浮かぶ憂いの色が全てを知っていると物語っているような気がして、アリシアはため息をついた。
「ダリルは…私なんかじゃなく…姉に夢中だったわ。姉は眼中にもなかったみたいだけれど」
アリシアの目から涙がこぼれ落ちる。
「いつも…注目されるのは姉ばかりで私は影…姉に相手をされないからと、そのうちダリルは第八王子の羽化の守と噂されてたベアトリスに近付いて行ったわ…」
「ベアトリスが憎かった?」
「…なんであんなわがままな子がって…思ったわ。ダリルはベアトリスの魔力暴走に巻き込まれて…その後に治癒院で病にかかって…死んでしまった…あんな子に関わらなければ良かったのに…」
「そうね。学院内の生徒が知っている事実はそうなのよね。でも…本当は違うのよ」
フロレンティーナが首を振る。アリシアは訝しむ。
「違うって…何が…?」
「学院長も沈黙の誓いで縛られたからこの話は語れない。でも私はあなたには真実を伝えるべきと思ったから少しだけ見せるわね」
フロレンティーナは胸の上に手を当てる。
程なくして僅かにフロレンティーナの記憶が流れ込んできた。一瞬ダリルの顔をした化け物が暴れているのが見えた。焦点が合っていない。補助講師が赤黒い触手に弾き飛ばされる。
「ごめんなさい。これ以上は酷い光景だから見せられない。ダリルは治癒院で亡くなった訳ではないの。ダリルは強い力を望んだ結果この姿に変わってしまった。治癒院を抜け出して第七王子の屋敷で暴れた…大勢の負傷者を出したわ。正気を失っていて止められなかった。形も変わりすぎてしまって元に戻せず…私が彼にとどめを刺したわ。彼の命を奪ったのはこの私なのよ」
「うそよ…そんな…」
アリシアは震え出す。
「本当よ。だから彼の死はベアトリスの責任ではないのよ…あなたはベアトリスを憎んでいるようだけど…」
アリシアはうそ、と繰り返したがそれが嘘でないことも頭の片隅では理解しつつあった。自分が憎んでいたものが形のないものに無理矢理形を与えられた結果の幻と知ってアリシアは怒りと恨みの負の感情のやり場をなくす。目の前の人を憎もうと思えば出来るはずなのに何故かそんな気も起きなかった。ダリルの変わり果てた姿を見て、化け物としか思えなかった自分がいた。あれほど自分は形に拘っていたのに。姉に似るように徐々に形を変えて寄せていったのは自分だ。わざと眼鏡までかけてダリルに気に入られようとまでした。
「ハハッ…」
アリシアは乾いた笑い声を立てた。
「私の方こそ化け物なのに…ダリルを化け物なんて…思う資格なんてないのに…」
アリシアは笑いながら泣いた。泣いているうちに元のアリシアの姿に戻り始める。変身術で無理矢理固定していた表情が崩れ、セシリアよりも大人しそうな柔らかい表情の少女が現れた。
「それが…アリシアの本当の姿なのね…セシリアとは違うけれど綺麗よ…いつかその姿のあなたを認めて愛してくれる人が現れるわ」
アリシアは泣きながら目をこすってフロレンティーナを見つめた。不思議な金の瞳だ。
「今のは予言よ。私の予言はよく当たるのよ」
フロレンティーナはそう言ってアリシアの頭をそっと優しく撫でた。




