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料理長の見極め

 やがて西の空に太陽が沈み、夕飯の時間帯になってブラッドウッドは昼間ジュディスに言われた通りに第八王子の屋敷へと向かっていた。料理長とやらに会うためだ。王立学院の敷地は広いので、ブラッドウッドは初めて足を踏み入れる場所だった。

 途中、西門の方へと向かうモリス教授とすれ違う。一礼をして通り過ぎる。


(どこへ行くんだ?)


 モリス教授といえば研究塔に籠もっている印象があったのでブラッドウッドは意外な思いでその背中を見送った。

 森の小道を歩いていると、遠くにブルーノと白い髪を背中辺りまで伸ばした少女が見えた。少女の方は最近魔術騎士科の講義を受講し始めたサフィレットという名の美少女だと、その目立つ髪色からブラッドウッドは判断した。補助講師の中にも早速目をつけた者がいて下世話な話題にその名が挙がっていたのを忌々しく聞いていたばかりだ。だがどうやら二人の様子を見ると生粋の遊び人のブルーノにすでに先を越されたようだった。会話までは聞こえないが二人は仲良く手を繋いで歩いていた。普段の癖で気配を消していたブラッドウッドは、にも関わらず二人が同時にこちらを鋭い目つきをして振り返ったことにギョッとした。


「あぁ…ブラッドウッド先生でしたか…ジュディスに呼ばれたんですか?」


 すぐにニコニコと人当たりの良い穏やかな顔付きになったブルーノが話しかけて来る。隣のサフィレットも微笑んでいて、先刻見た光景は見間違いだったのではと思う豹変ぶりにブラッドウッドは僅かに不安を覚えた。


「できれば第八王子の屋敷周辺で見たことは他言無用に願いたいのですが…」


 ブルーノの言葉をどう受け取るべきなのか思案しつつもブラッドウッドは、とりあえず頷く。


「ウォード先生も来たばかりの頃、料理長の洗礼を受けていましたよ…お察し致します…」


 心底気の毒そうな顔をされて、ブラッドウッドの不安は更に膨れ上がった。



***

 

 

 屋敷の庭にはブラッドウッドを呼び付けた当の本人ではなく何故かウォードもいた。ウォードは小等部と思われる少年と一見すると遊んでいる風に見えたが、所々に体術を交えてさりげなく身体の使い方を教え込んでいた。


「あぁ…どうも、こんばんは。お嬢は今ちょっと取り込み中なので、少し待ってください」


 ウォードは言って、テラスの方に目を向ける。どういう訳かテラスは遮断されていた。室内から多忙な学院長までもが顔を覗かせたことに、ブラッドウッドは驚いた。


「客人が到着したぞ?ジュディス、大丈夫か?」


 遮断した空間に片手を入れて学院長が声を掛ける。空間から学院長の右腕を掴んだのは血だらけの白い腕だった。ずるりと遮断された空間から少女が姿を現す。ほぼ裸に等しい姿にボロボロになった服を身に纏っているのが見えて、ブラッドウッドは慌てて後ろを向いた。こういうとき、他人より視力が良いのは仇になる。少女の腹に爛れた古い傷痕があるのをブラッドウッドははっきりと見てしまっていた。恐らく刺傷。魔剣の類で出来た傷だと目星を付けて、何が起こったらこんな年端もいかぬ少女にこんな酷い傷痕が残るのかと嫌な気分になる。その間に学院長は自らの身体でジュディスを隠し、炎を使って流れた血を全て焼き消した。ローブで身体を包み込まれたジュディスは目を閉じてしばらく学院長にしがみついていた。


「…まさか棘まで出るとは思わなくて…今はもう戻ったけど…ちょっと慌てた」


 小さく息を吐いたジュディスはようやく目を開いてブラッドウッドを見た。


「やぁ…よく来てくれた。見苦しい姿を見せてしまってすまない」


 やがて着替えを終えたジュディスは何事もなかったかのような顔で戻ってきて、学院長はテラスの遮断をようやく解いた。ソファーには幾分か顔色の良くないレイが横たわっていた。ジュディスは隣に座ると、そっと魔法陣の刻まれた手でレイの額に触れた。


「まずは皆で食事を摂ってからだが…私は今日はテラスで済ませる。レイとあまり離れない方が良さそうだから。ケイレブ、エリアルもそろそろ中に入ってくれ。ブラッドウッドも皆と一緒に。ここの料理長は腕が良いんだ」



***



 学院長の一つ隣は空席で、近くの二つの空席は恐らくレイとジュディスのもの、その向かいにブルーノとサフィレット、ウォードとブラッドウッドという、よく分からない顔ぶれの夕食が始まった。

 給仕に現れた背の高い女性が手際よく料理を提供してゆく。レイはまだ眠っているのか、ジュディス一人分の食事がテラスに運ばれてゆく。今日のメインは鶏肉料理だったが、香草の香り豊かな柔らかい肉が口の中でとろけて少し噛んだだけであっという間に消え失せた。皆他愛ない話をしながら純粋に食事を楽しんでいる。ブルーノがこの場にいるのは、第八王子の友人だからなのかブラッドウッドにはよく分からなかったが、サフィレットに対するさり気ない気遣いなどを見ていると、遊び人だからこそこういった場でも卒なく振る舞えるのか、純粋にサフィレットに好意を抱いているのか次第によく分からなくなってきた。


「疲れましたか?」


 隣のウォードに言われてブラッドウッドはハッと我に返る。


「私も最初はどうしていいのか分かりませんでしたが…まぁそのうち慣れますよ。第八王子とお嬢が行方不明になる前から、こんな風に皆で集まって食事するのが習慣になっていて…今日はまだ一人帰ってきていませんが」


 ウォードは言いながらもテラスの方に目を向ける。小さなジュディスの頭が見えた。その隣が何故か淡く光っている。


「そろそろ王子がお目覚めの頃じゃないですかね。戻ってきてからまだ本調子に戻っていないのでこの時間帯はだいたいこんな感じです」


 ウォードの言葉通りジュディスの隣に起き上がった第八王子が姿を現した。が、その髪は不思議なことに夕闇に淡く光っている。まだ少し眠そうな顔のまま王子はジュディスに抱きついた。ブラッドウッドは慌てて視線を目の前の皿に添えられた付け合わせの野菜に向ける。何となく見てはいけないものを見てしまった気がした。


「本当にまずいときは学院長が遮断しますから、大丈夫ですよ。この状況に慣れるのも犬の条件の一つですし。この後、恐らく料理長に会うことになると思いますが…まぁ何が起こっても落ち込まないで下さい。私もまだ料理長には連敗してますから…」


「料理長って、あだ名か何か…なんですか?」


 不審そうなブラッドウッドの言葉にウォードは首を振る。


「料理長は料理長ですよ。そろそろ厨房も一段落した頃でしょうから、会えると思います」


「…ケイレブちょっといいか?」


 そのときテラスの方からジュディスの呼び声がした。


「レイを寝室まで運んでもらえないか?」


「分かりました」


 ウォードは素早く立ち上がるとテラスに向かった。レイは僅かに抵抗する素振りを見せたが、ジュディスが耳元で囁くと小さく頷いた。淡く輝くレイを抱き上げたウォードは大人しくされるがままになっているレイの髪を慣れた手付きで撫でた。数年分小さくなったせいか、こうしているとジュディスよりも少女めいて見えた。


「少し魔力を与えてもいいが、くれぐれも交換はなしで。せっかく食べた物を戻したら料理長に叱られるからな」


 ジュディスの言葉に頷いてウォードは二階に消えた。


「お待たせ、ブラッドウッド先生。それじゃ厨房へ行こうか」


 肌が透けそうな薄着でジュディスはそのまま厨房へとブラッドウッドを案内する。厨房内では中庭で遊んでいた子どもが賄いを食べているところだった。更に厨房奥の扉をジュディスが開けると外に繋がっていた。


「アマロック、待たせたな」


 ジュディスの声に振り返った鋭い隻眼の大男にブラッドウッドは怯んだ。戦士のように引き締まり鍛え上げられた体付きをしているが、身にまとう空気は戦士のそれとは全く異なる。最近すれ違った中では王宮から来た全身黒尽くめの魔術師集団が一番近いだろうか。得体が知れなくて不気味だ。


「こんばんは。クリス・ブラッドウッドと申します…」


 ブラッドウッドは恐る恐る口を開く。口にくわえているのは煙草かと思ったら、よく似た禁煙用の飴の棒だった。


「アマロック、本当に禁煙を始めたのか?」


 ジュディスが吹き出すと、アマロックと呼ばれた料理長は飴の棒を口から出して不服そうな声を出した。


「あなた方はやたらと鼻が利きますからね…それはそうと、彼が新しい人材ですか?決め手は?」


「毛並みの色かな?強いて言うなら堅物過ぎるから程よく崩したくなった…」


 ジュディスの言葉にアマロックは呆れたように笑った。


「私はここの料理長でアマロックだ。お嬢様に剣を捧げた者の力量と覚悟の程を見極める役目を買って出ている。君の経歴にはざっと目を通した。数年前まで南方の国境警備隊に所属していたそうだが、半魔の獣人と戦った経験はあるか?」


 その言葉と同時にジュディスが広範囲を遮断するのが分かった。遮断された途端に目の前は地面以外はだだっ広い何もない空間に転じる。


「前回ケイレブとやり合ったとき屋敷を壊して学院長に叱られたんだ。ここは狭間を少し広げただけだから、アマロックは遮断を壊さない程度に魔力を解放してくれ」


 目の前の大男の身体が一瞬縮んだように見えた。が縮んだ後四つん這いになった男の身体は漆黒の毛並みに覆われた巨大な魔犬に変わっていた。

 滅亡した南方王朝の残党には悪しき呪術で身体を変えられた半魔人や半魔獣が多く存在していたのは知っていた。が、ブラッドウッドが知るのは単なる知識としてのみで実際に戦ったことなど一度もなかった。震えそうになる手でブラッドウッドは自らの剣を抜く。王立学院の中で半魔獣と戦うというあまりに非現実的な状況と、相手の放つ魔力に圧倒されて立っているのもやっとだった。

 魔犬が地面を蹴り突撃してくる。鋭い爪の一撃を何とか剣で躱したが、相手のスピードに食らいつくのがやっとだった。二度目の爪も辛うじて弾く。だがその隙に間近に迫っていた鋭い牙のある大きな口で首筋に噛み付かれていた。鮮血が噴き出し視界を赤く染める。ブラッドウッドはそのまま後ろにどっと倒れた。


「…起きろ。大丈夫だ。死んでないから」


 耳元で声がしてブラッドウッドは目を開ける。地面に倒れていたことにようやく気付いたが起き上がれなかった。慌てて首に手を当てる。無事だ。覗き込むジュディスの後ろで、料理長は相変わらず飴の棒をくわえたままだった。


「今のはあくまで精神領域内での戦いだ。でも本物とそこまで区別はつかなかっただろ?」


「…生きてるな。とりあえずは及第点だな」


 アマロックに告げられて、ブラッドウッドはようやく身体を起こした。


「いや…死んだと思いましたよ」


 牙のめり込む嫌な感覚がまだ首筋に残っている。現実なら間違いなく即死だ。


「精神力の弱い奴は俺に噛まれた段階で肉体も死んでるだろうからな。相変わらず、我が主の慧眼には恐れ入る」


「この先伸び代のない者を取り込んでも育て甲斐がないじゃないか。そうだろ?アマロック」


 傍らの大男を見上げてジュディスは笑う。笑いながらブラッドウッドを立ち上がらせた。


「とりあえず及第点も取れたことだし、今日はもう帰っていいぞ。また明日も同じ時間に来れるなら来てほしい」


「分かりました」


 ブラッドウッドと並んでジュディスが見送りに出ようとしたところで正門の辺りで何やら話し声が聞こえてきた。ブラッドウッドの知らない赤い髪の美女がモリス教授を支えるようにして立っている。


「大丈夫よ…そんなに酷い怪我な訳じゃないから…」


 先ほどまでブラッドウッドの隣にいたジュディスが一瞬にしてモリス教授の近くに移動していた。


「先生!?何があったんですか?もしかして…私のせいですか?」


 腕に触れたジュディスがハッとしたように顔を上げる。


「あぁ…ジュディス…私ったらあなたの魔力量を見誤っていたわ…朝の魔力交換の残滓がこの時間まで残るなんて…思ってなかったのよ…」


 モリス教授は力なく笑って深いため息をついた。

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