精霊の前触れ
ブリジットがセオを連れてレイの屋敷に戻ると、テラスのソファーで仲良く並んで休んでいたジュディスとレイは笑い出した。
「ほら、言っただろ。賭けは私の勝ちだな」
「もう…最近、師匠は過保護になったんじゃない?」
レイが呆れたように言う。
「あの…ここって…第八王子さまの…屋敷なんですか?」
一般推薦枠で入学しているセオはあまりに美しい二人を間近に見てしまい、怖気づいて庭先で立ち尽くしてしまった。レイが困ったように微笑んだ。
「そんなこと別に気にしなくていいよ、それに師匠が連れて来たんだから…あ…」
少女姿の魔術が切れて、本来のブリジットが姿を現す。自分よりも大きくなった美人を目の前にセオは開いた口が塞がらなくなった。
「だ…だれ…?」
「あぁすまないな。さっきまでのは昔の姿だ。とりあえずそのあちこちの怪我をどうにかするのが先だ。来い」
「えぇ!?」
「アドリアーナいるか?」
大広間でフロレンティーナと一緒にお茶を飲んでいたアドリアーナはニコリと笑って駆け寄ると夫を出迎えた。頬に口付けをする。が、足りなかったのか結局唇も重ねた。
「あなたおかえりなさい。この子どうしたの?ボロボロじゃない」
少女姿のアドリアーナは首を傾げてセオを見た。
「あなたの好みとはちょっと違うようだけど…どうしてこの子にあなたの服従の印がついてるの?新しい遊び?」
「そんな訳はないだろう。一時的な救済措置だ。それよりセオの治癒を頼む」
「いいわよ。いらっしゃい」
アドリアーナに手招かれてセオはふらふらと歩いてソファーに座った。現実とは思えない黒髪の美少女が目の前にいる。美しさも度を越すと苦手と感じないのだとセオは唐突に理解した。少女がセオの両手を握ると、その手から黒い入れ墨の模様が伸びてセオの身体全体を覆った。少女は目を閉じる。再び開けたその瞳は人とは異なり獣のように細くなっていた。金の瞳が光る。模様はあっという間に少女の身体に戻り、セオの身体にあった痛みは見事に引いた。腕を見ると青痣も消えている。
「終わったわよ。呪いも使い方次第よね。ブリジットご褒美は?」
「…それは今夜にでもゆっくりと。なんだ?あぁ、アドリアーナは私の妻だから惚れるなよ?」
「既婚者って…そういう…こと…」
セオは今の今まで少女だと思っていた相手にまるで少女のような妻がいる現実を受け止めきれずに放心していた。
「さて、どこから話してもらおうかな。あの四人と君に無心している人物は…また別だろう?」
ブリジットの言葉にセオは再び現実に引き戻される。セオは肩を落とした。
「…はい」
観念したようにセオは語り出した。
***
「私の呪いが発動するまでは、学生寮には戻らない方がいいぞ。外泊許可は取った。どうせこの屋敷は無駄に部屋が余っているんだ。他にも色んな奴が出入りしているから、気にせず使え」
ブリジットはそう言ったが、セオは通された部屋に恐れ慄いて、傍らのレイを振り返った。
「あの…もっと質素な部屋はないんですか?眠れそうにないんですけど…」
「えぇ?困ったなぁ。使用人の部屋ならあるけど…」
階下に戻りアマロックの使う部屋の向かいの扉を開ける。それでも学生寮よりも広かったが、二階の部屋よりはマシだった。天蓋付きのベッドなどあり得ない。
「こっちでお願いします!」
セオにせがまれて、レイは仕方なく頷く。
「じゃあしばらくはこの部屋を使ってよ。後で君の荷物も回収するから…って、あれ?」
見ればネルの姿のフロレンティーナとジュディスが荷物一式を浮かべて戻ってくるところだった。
「仕事が早くて助かるよ…」
レイが苦笑すると、ジュディスは笑った。
「ついでに回収したいものがあったから久々に行ってきたよ。他にも予想外の発見があったから温室に置いてきたけどね。ちょっと増え過ぎててびっくりした」
ジュディスの肩に小ぶりな巻貝が乗っている。淡く光るそれをジュディスは指に乗せた。セオが驚いて凝視する。
「夜光カタツムリじゃないですか!!しかも虹色に光る希少種!」
「お、詳しいんだな。よく知ってるな。こいつがいつの間にか床下で繁殖してて卵だらけになってたんだ」
「ジュディスの部屋って…一体どうなってるの?」
(前にノアの爪でちょっと怪我したとき血が流れてたんだな。それに寄ってきたみたいだ)
心の中の声にレイは納得した。精霊の住む地にかつては多く生息していた種だ。セオの部屋に荷物を置いて、ジュディスは夜光カタツムリをセオの手に乗せた。
「生き物が好きなんだな。だったら、これ、やるよ」
「えっ?本当に!?いいんですか?」
「魔力の相性も悪くなさそうだし。でもこいつはちょっと特別だから外には放すなよ。ついでに小銭稼ぎしないか?実は飼育係が必要な量でちょっと困ってるんだ」
ジュディスは悪戯な笑みを浮かべる。小銭稼ぎと聞いてセオは大きく頷いた。
「お話お伺いします!」
***
「どうせなら生き物好きで専門知識のある人に任せたかったからな。丁度良かった」
ジュディスは学院長の許可を取り正式にセオと契約を交わした。セオは生徒会のお金を着服した件について学院長に謝罪し、その罪を償うことになった。罰則については服従の件を考慮した上で後に知らされるそうだが、セオはどこかホッとした顔をしていた。
ジュディスは今学院長とレイと共に話をしていた。レイの肩にファラーシャが乗っている。
「廃業寸前の精霊遣いの知人に連絡したら即返事が届いたぞ。卵を買い取りたいそうだ。精霊の前触れだからな。吉兆だと」
学院長は戻ってきた遣い鳥を見ながら言った。
「廃業寸前ならとりあえず今回は贈り物にして、精霊が目覚めたらそのときに協力してもらったらいいんじゃないかな。同業者の信用できる人にも声を掛けてもらってさ」
ジュディスが言う。学院長は少し考えたが頷いた。
「昔精霊が多く生息した地域の精霊遣いにまずは連絡を取ってみている。国王陛下もこの件についてはお喜びだ。手始めに学院内の精霊を呼び覚まし必要があれば浄化せよと」
「呼び覚ますのって、やっぱりジュディスの血が必要なのかな?ジュディスばかりだと負担になると思うんだけど。例えば僕のじゃダメなのかな?」
不意にレイが言ってファラーシャを見た。ファラーシャは笑いながらレイの首に鼻先を近付ける。
「レイもいい匂いがするから呼び寄せられると思うよ。レイの中に流れる精霊の血を嗅ぎ分けて寄ってくるんだ」
ファラーシャはクスクスと笑った。




