王立治癒院
ようやくレイも動ける程度に回復した頃には夕陽はもう沈んでいた。西の空に金の三日月が見える。屋敷の方へ向かって歩いていると研究塔から出てくるモリス教授に会った。
「あら、珍しいわね。こんな時間にどうしたの?」
「先生は今から治癒院ですか?あの、急ですが同行しても…いいでしょうか?」
「えっ?あぁ…そうね。ジュディス、体調の方は大丈夫なの?あら…?」
モリス教授はジュディスの右肩に僅かに触れて不思議そうな顔をして眼鏡を外した。
「あ…そこはちょっと…」
ジュディスが困ったような曖昧な笑みを浮かべる。慌ててモリス教授は指先を離した。
「えっ?僕も同行していいですか?あの…姉の面会許可を取ろうかと」
「それなら私もレイと共に第二王女の面会許可を取ろう」
ブリジットも言う。モリス教授は頷くと中空に文字をスラスラと書いて三人分の外出許可を申請した。
「ブリジットも在籍しているから申請が必要なのよ。レイとジュディスは補助講師だから本来なら申請の必要はないのだけど、まだ未成年だから同行者は必要よね」
程なくして副学院長の許可が下りる。飛んできた青い小鳥が喋った。
「気を付けての。モリス先生、頼んだぞ。学院長にも伝えておく」
ハワード教授の声がした。
「じゃ行くわよ」
モリス教授が指先を振る。四人はあっという間に西門の前に瞬間移動していた。
(外に行くのか?ちょっと落ち着かないな…)
レイの足元で声がする。馬車に乗り込んで門から出るとジュディスが言った。
「わぁ!こんな風に外出するのは初めてだなぁ」
「えっ?あなたまさか外出したことなかったの?」
モリス教授が驚きの声を上げるとジュディスはしまったとばかりに口を押さえた。
「ええと…レイと一緒にこっそり…王宮と離宮には行ったんですけど…」
レイも気まずそうな顔をしてブリジットをちら見した。どちらも外出許可など出してはいない。
「まったく…レイにもロウの教育を施したのが仇になったな。影の手も巻いたのか…それはそれで問題だな」
「見つからずに国王陛下の寝室に忍び込むのはなかなか大変だったけどね」
ジュディスが上目遣いにブリジットを見る。
「ジュディス…それは問題発言だぞ?一体何をしに行ったんだ?」
ブリジットがニヤリと笑ってレイの顔を見る。
「ん?陛下の不調を治癒してきただけだ」
ジュディスの言葉にブリジットは吹き出した。王宮付きの治癒師の自尊心を傷付けないのは良いことだが、選ぶ手段があまりに型破りだ。
「ここはもう学院の外だから私は何も聞かなかったことにしておくわ」
モリス教授は肩をすくめてジュディスに向かって片目をつぶって見せた。
***
「へぇ、すごく広いなぁ」
ジュディスは初めて訪れる王立治癒院の正面階段を見上げて感心したような声を上げた。磨かれた大理石の白い階段の一段目に足を乗せるともう見上げるほど長い階段の上にいた。空間に魔術が掛けられているようだった。
受付でモリス教授は自分とジュディスの名前を書き込む。ジュディスとレイがローブのフードを脱ぐと受付嬢はハッとしたような表情になった。いつの間にか姿が戻っていたブリジットはレイと共に別の受付へ行く。第二王女の面会の手続きには時間がかかりそうだったので、その先は二手に分かれて行動した。
モリス教授は長い廊下を迷いなくするすると進む。途中温室のような緑溢れる部屋の前を通過して、いくつもの角を曲がり治癒院の奥に辿り着いた。
「この扉の先は重症な患者の病棟なの。驚かないでね」
ジュディスの頭にモリス教授はローブを被せた。
「念の為に、私の側を離れないでね。大きな声も禁止。あなたは驚いても叫んだりはしないでしょうけど」
扉に触れるとモリス教授の右手の甲に魔法陣が浮かび上がった。分厚い扉が音もなく開く。扉は二重だった。二人が進むと背後の扉が閉まり目の前の扉が開いた。
ジュディスはモリス教授のローブを握った。
(厳重でびっくりした?)
モリス教授の声が脳裏に響く。ジュディスは小さく頷いた。前方から歩いてきた治癒師がモリス教授に向かって一礼した。
(今日のアストリアさんはいつも通り安定していますよ)
(ありがとう)
声に出さず会話をしているが、いつも通りの言葉にモリス教授が僅かに眉をひそめたのをジュディスは見逃さなかった。
再び分厚い扉の前でモリス教授は手をかざす。先ほどとは別の魔法陣が現れた。中に入るとガラス越しにベッドに横になっている黒髪の少女が目に入った。数種類の点滴がぶら下がっている。
(ジュディスは少しこのガラスの前で待っていて)
モリス教授は横の扉に手をかざすと病室の中に入って行った。
「アストリア…あなたがこの前気にしていた子を連れてきたわよ」
横になった少女に静かにモリス教授は話し掛ける。しばらくは何の反応もなかったが、程なくして目が開いた。バネのように突然跳ね起きた少女は碧の目を見開いてガラス越しのジュディスを見つめた。よく見ると少女ではなかった。小柄な女性だった。
「あ…」
女性の口から声が漏れる。ジュディスと女性はしばらく見つめ合っていた。動いたのは女性の方だった。そろそろとベッドから出てきて、震える細い足で立ち上がろうとした。モリス教授が慌てて支える。片手で点滴を移動しながらモリス教授はゆっくり女性と共に近付いてきた。点滴のラベルを見てジュディスはそれが鎮静剤と栄養剤だと気付く。
ジュディスの目の前のガラスに女性の掌が触れた。ジュディスもガラス越しにその掌に合わせるようにそっと手を触れる。
「なまえは…?」
「私はジュディス…」
そこまで言ったところで二人を隔てていたガラスが消え失せた。二人の掌がじかに触れ合う。アストリアの手は冷たかった。ジュディスはそっとその手を握る。
「あなたも…羽化の守?」
傍らのモリス教授が驚いているのが分かった。
「うん、第八王子の羽化の守だよ」
「だれ…?知らない」
アストリアは首を傾げる。けれどもアストリアは程なくして微笑んだ。
「あなたの魔力…不思議」
反対の手が伸びてきたのでジュディスはその手も握る。ひんやりとしている。いつの間にか魔力交換が始まっていた。
(私が魔力交換しても大丈夫なんですか?)
モリス教授に思念を飛ばすと教授は小さく頷いた。
「炎…水…風…緑…大地…そろってる…」
アストリアからも魔力が流れてくる。ジュディスは僅かに驚いた。これは。
「…緑?」
呟いた途端にジュディスの両手から青白い蔦がするすると伸びて意思とは無関係にアストリアの方へ流れて行った。
「ジュディス!?」
モリス教授が驚きのあまり小さな声を上げる。
「あぁ…おとうさまと同じ」
アストリアは驚きもせず無邪気にクスクスと笑った。しばらくしてアストリアの掌からも薄紫色の蔦が一本伸びてきた。自然と蔦は絡み合う。しばらく絡んだ蔦はそのままお互いの腕の中に光って消えた。呆気に取られる二人の前でアストリアの身体から力が抜ける。慌ててモリス教授が支えると、アストリアは微笑んだまま、すやすやと眠っていた。
(ジュディス、なにがあったの?あの蔦は…何?)
(私にもよく分からないんです…でも…多分、アストリアの父親は蔦の眷属の可能性が…そしてアストリアも蔦持ち…精霊の血が入ってる…)
ジュディスは自分の腕に消えたアストリアの蔦の感触を思い出す。レイの時と感覚が似ていた。再び右肩の辺りがムズムズし始めてジュディスは襟をめくった。
「あぁ…また?」
青い花が終わって種になろうとしている部分の近くに青白い蔦が新しい小さな蕾を作っている。ジュディスはモリス教授を見上げて少し情けない表情を晒してしまった。
「すみません…妹さんの蔦と私の蔦が…自主的に…交配しちゃったみたいで…」
「ええっ!?どういうことなの?」
モリス教授がアストリアをベッドに戻す間にガラスが再び出現する。中から出てきたモリス教授は、ちょっと見せてと言って眼鏡を外してジュディスの肩を見た。
「精霊の力は…この蔦によって引き継がれるんですけど…一定の時期を過ぎると…こっちの意思とは無関係に種を作るようになるみたいで…」
言いながらもすでに花の蕾に魔力を持っていかれてジュディスは立ち眩みがした。
「ジュディス!?」
慌ててモリス教授が抱きとめる。
「花が咲くまでに…ものすごい…魔力を消費するんです…」
先ほどレイとブリジットから散々魔力を吸い取ったのにこの始末だ。自力で立ち上がれなくなったジュディスを抱き抱えてモリス教授は立ち上がった。
「少しずつ魔力を流すわ。馬車に着くまでに私が倒れない程度にね。それにしてもジュディスったら、アストリアよりも軽いわね。細すぎるわよ?」
「多分…消費に供給が…追いつかないんですよ…」
向かいから来た治癒師が慌てたようにこちらを見たが、モリス教授は大丈夫よ、と言って先へ進む。分厚い扉を魔法陣で開けてモリス教授が出ると、他の見舞客と思われる人物とすれ違った。やはり驚いたように見られるので、ジュディスはとりあえずローブのフードを被って顔を隠した。
しばらくすると待合室のソファーにレイとブリジットが座っているのが見えた。レイはジュディスの様子に慌てたように立ち上がる。
(ジュディス?どうしたの?)
「大丈夫よ。多分…またみんなの魔力が必要になると思うのだけど…とりあえず今日は戻りましょうか」
モリス教授ら四人は治癒院から馬車に乗り込み帰路についた。




