竜の火種
その日の夕方、クレメンスとベアトリス、レイとジュディスは互いの受講する講義を照らし合わせて頭を悩ませていた。ジュディスとレイは補助講師の仕事もあって割と忙しい。この数日はジュディスの不調でブラッドウッドや他の補助講師に頼んでいたが、ベアトリスを一人にしないとなるとなかなか難しかった。
「僕たちのこと忘れてない?」
不意に声がしてブルーノとノアが現れる。ノアはブルーノの後ろに隠れるようにして、ベアトリスを見ていたがそろそろと隣に立った。
「君が来てから…まともに話してなかったけど…まぁ…協力するよ。というかノアがそうしたいって。僕と付き合うようになってから、ノアもしばらく嫌な思いをしたり、危ない目に遭ったりもしていたから」
ジュディスとレイはハッとした。女神の領域に落ちている間にそんなことが起こっていたとは。ノアに出会う前のブルーノは確かに奔放にも見える振る舞いをしていたから、ノアは完全にそのとばっちりだろう。ジュディスの冷ややかな視線にブルーノは頭を掻いた。
「それにしても…なんでわざわざ研究塔の空き部屋なんか使ってるんだ?偶然フロレンティーナに会わなかったら探せないところだったよ」
「ちょっと今ジュディスは家出中なんだ。僕の屋敷には顔を合わせたくない人がいるからね」
レイが苦笑する。ブルーノは今朝の冷え冷えとした空気を思い出して身震いした。
「ジュディス…ひょっとして副神官長と…何か因縁でも?」
凍てつくようなジュディスの視線を浴びてブルーノは自らの発言を後悔した。ジュディスは淡々と口を開く。
「隠す訳でもないから言っておくと、あいつ…シリルは私の父親だ」
「ええっ!?」
ブルーノを始めとする面々はジュディスの言葉に目を剥いた。
「あいつとは因縁しかないからな」
あぁ…とベアトリスが空を仰ぐ。我が身にも当てはまったからだった。ブルーノも痛いところを突かれたような顔をした。
「…実は僕も…父とは険悪なんだ。お互い苦労するね…ってか、あの人に子どもがいたなんて知らなかったから驚きだよ。しかもそれが君だなんて」
ブルーノはそこまで言ってジュディスを不思議そうに見た。
「ジュディス…その肩…どうしたの?」
「気にするな。花が咲くだけだ…といっても今じゃない。多分今夜だから…」
「花?」
半獣人の二人は身構える。服の中に蔦は隠したが次第に膨らむ蕾がジュディスの右肩を圧迫していた。
「ジュディス、そろそろ無理だよ。どうせ知り合いしかいないんだから、少し服を切るよ?」
レイが言って膨らんだ肩の辺りの布を魔力で慎重に切り取る。中から現れた蕾にクレメンスとベアトリスはさすがに驚いた顔をした。
「いずれレイの屋敷にいたら見る機会も増えると思うから…私とレイの持つ力の一部だと思ってくれると助かる…」
ジュディスは僅かに苦しげな表情をした。
「僕が代わりに説明するよ。今…僕たちはこの蕾のある蔦を繋いで…ジュディスの血を循環させているんだ。だから繋いだ手を離せない。ちょっとした生命維持装置だと思ってくれて構わないよ。ジュディスはあまり今体調が良くないんだ」
確かに言われてみればジュディスはレイに力なく寄りかかったままだった。
「で、まぁ…これから花も咲くので余計に魔力が足りていない状況だから…あ、来た」
扉を叩く音が聞こえて、ネルの姿のフロレンティーナが入ってくる。
「はいはい、お待たせ。魔力を届けに来たわよ」
ベアトリスの不思議そうな顔にフロレンティーナはにっこりと笑った。
「あら、こっちの姿ではあまり会ってなかったものね。私よ、フロレンティーナ。これ、元はジュディスの変装した姿なのよ。学院内をうろつくには何かと便利だから使わせてもらってるけど」
言いながらフロレンティーナは燃えるような赤い髪の美少女姿に変わった。
「ジュディス…嫌だと思うけれど、しばらく魔力中枢の辺りを直接触るわよ」
「え…っ!」
ジュディスは慌てた声を上げたが、フロレンティーナの手は素早くボタンを外しするりと服の中に入り込む。事情を知るブルーノとレイは互いの目を合わせて無言の会話をした。自分たちが怯む場所に簡単に触れている。途端にジュディスはレイの肩に顔を押し付けて周囲から顔を背けた。肩にかかる荒い呼吸が熱い。蔦を通じてレイにもフロレンティーナの炎が流れ込んできた。
「ジュディス…大丈夫?」
レイの声に首だけ縦に振ってジュディスは静かに息を吐き続けたが何かを耐えているのは明白だった。それでもとうとう我慢出来ずにレイの手を強く握り締めて小さな悲鳴を上げる。レイまでジュディスの声にそわそわした。フロレンティーナはしばらくして手を離すと、ジュディスの頭を優しく撫でた。
「前に気絶していたときとは違うから嫌だったでしょう。よく我慢したわ…でも意識があったお陰で竜の火種を少し入れることができたから、これで突然枯渇することはないはずよ。元気になったら返してね」
フロレンティーナはそう言うとジュディスの額に口付けをした。再び姿がネルに戻る。ネルは手を振って部屋から出て行った。
「竜の火種…って…」
クレメンスが信じられないものを見るような顔でジュディスを見る。目を開けたジュディスは身体がかなり楽になっていることに気付いた。
「あぁ…フロレンティーナと私は以前、縁を結んだから、こういうことも可能になったみたいだ…すごいな…魔力中枢の中が燃えてるみたいだ…」
クレメンスは口にこそ出さなかったが、ジュディスの魔力中枢の許容量に驚いていた。竜の火種を入れられても燃えていると言っただけだ。クレメンスの魔力中枢なら多分瞬時に焼け焦げて炭化している。蔦を繋いでいると言ったレイも平気そうだ。二人ともやはりもう魔術師の域を超えた存在になったのだとクレメンスは再認識した。平凡な自分と超越してゆく友とを比べても仕方のないことだが、それはやはり少し寂しかった。
ベアトリスはクレメンスやレイ、ブルーノが同行可能な講義を中心に単位を取る方向に決めそれ以外は潔く捨てた。
「どちらにしても、今は午前中に一つの講義に集中するので精一杯なのよ。今日ジュディスと一緒に歴史学の講義に出て嫌ってほど実感したわ。少し禁断症状が出ちゃってジュディスに助けて貰わなかったら危なかったし。それに私以外にも留年してる人が身近にいるって分かって心強いわ」
留年組のレイとジュディスは素直に喜べず苦笑した。
「あれでも最短で戻ったつもりだったのに八ヶ月も過ぎてたからなぁ…」
そこまで考えてレイはふと首を傾げた。
「そういえば、ジュディスの誕生日っていつなの?いつ十四歳になるのかと思って」
突然の言葉にジュディスはきょとんとしてレイを見る。
「誕生日?さあ。知らないな。でも十四にはなってる」
「ええっ?」
一同の注目を浴びてジュディスは眉をひそめる。
「あぁ…年齢なら一応新しい一年が始まるときに数えてはいるんだ…だから今年の一月一日の時点でもう十四になってるってことだよ…なんだその顔は…」
「いや…確かにその数え方の部族も南方にはいるんだ…ただ…最近は西の文化が広まって生まれた日を誕生日として記録するのが主流になっているから…」
ブルーノは向こうで習った記憶を辿る。それももう何十年も前の話だ。一体ジュディスは何年に生まれたのか。
「じゃあジュディスは十四歳のお祝いをしていないのね。十四はこの国では少し特別なのよ。相手の同意が得られれば魔力交換を自分から行なっても良い年齢だから…」
「え…?あ…そうなのか。知らないから、羽化の守になりたての頃、調子に乗って勝手に魔法陣を描いてレイと魔力を流し合ったりしちゃったな…」
ジュディスが考え込んでいる間に一同の視線が今度はレイに集中する。レイは目を泳がせて言った。
「羽化のためには守との魔力交換が切り離せない必要事項なんだよ…僕は魔力交換が得意じゃなくて、ジュディスの方が得意だった…だから自然とそういうことだって…」
「ふーん」
ブルーノとベアトリスがニヤニヤしながら慌てるレイの顔を面白そうに見ていた。どうやら魔力交換の主導権は最初からジュディスに握られているようだ。通常では歳下に委ねることはまずない。
「まぁ確かに今だってレイの魔力交換は危なっかしいもんな…」
真面目な顔でジュディスが言う。
「あぁぁ…情けなくなるから、もう言わないでよ…」
レイは空いている方の片手で顔を覆った。




