不安
ジュディスは丸まったまま口を利かなくなってしまった。仔猫とレイがそっとその両側に寄り添う。
一方でソロから出てきたシリルは鏡で姿を確認したり、食事を摘んだりと実に自由に振る舞っていた。あの子誰?とアドリアーナが無邪気に聞いたが、一体誰なのか把握できているのはジュディス以外には誰もいなかった。
「ジュディス…」
結局皆につつかれてフレディがジュディスに近寄り重い口を開く。フレディの声にもジュディスは顔を上げなかった。不意に手を繋いでいたレイが顔を上げる。ジュディスは口にするのも嫌なようだった。
「僕が…ジュディスの声を伝えます」
そう言うとレイはフレディの手を握った。
(…シリルは…南方王朝の狂王に…ジェイドを売った張本人だそうです。養子として迎え入れ…その…儀式の生贄にするようにと…シリルは…ジェイドの父親だそうです)
フレディは嫌悪感のあまり相手を射殺しそうな視線を送る。フレディの意識を読んだフロレンティーナも金の瞳を光らせた。そのときだった。
「おや…これはこれは」
昨日のウォードの介入により今朝は起きるのが遅くなったブルーノと一緒に寝坊したサフィレットが運悪くそこに姿を現す。ブルーノはシリルを二度見した。
「えっ…?まさか…副神官長さま?」
ブルーノは目を瞬く。
「おぉ!第三王子殿。運命の番と出逢えたようで何よりじゃの」
シリルはにこにこしながらブルーノの肩を叩く。しかしすぐにブルーノはその場に漂う緊迫した空気を感じ取った。特にジュディスの方から恐ろしく冷たい空気が流れて来る。ノアの姿のサフィレットがそれを感じ取り怯えて耳を下げた。
「…何があったんですか?」
ブルーノは困り果てて辺りを見回した。
***
まさか神聖南方王朝の副神官長の座をシリルが得ているとは思わず、ジュディスは歯噛みした。しかもブルーノとは既知の間柄のようで、あの使節とは違ってサフィレットがノアの姿でも本人と理解して祝福している。自分にとっては許しがたい相手だがブルーノにとっては味方であり胸中複雑だった。しばらく黙ってジュディスの隣に座っていたレイだったが、不意に立ち上がるとその手を引いて二階の寝室へ移動した。
扉を閉めてサンダルを脱ぎ捨て仔猫と共にベッドに飛び乗る。横に立ち尽くすジュディスを手招いた。
「来て…」
素直にジュディスはレイの隣に座る。レイはジュディスを抱きしめた。
「ジュディスがトゲトゲだと僕も痛いんだ…」
レイはジュディスの背中を優しく宥めるように撫でる。頑なだったジュディスの身体から少し力が抜けるのが分かった。
「あいつは…嫌いだ…」
「うん…別に無理に好きになる必要なんてないよ」
「ブルーノの前で見せる顔と…私の前で見せる顔が…全然違う…気持ち悪い…」
レイはジュディスの頭を撫でながら顔を覗き込む。何となく察したのかジュディスは首を振った。
「今は…そういう気分じゃ…」
「うん…だからだよ。少し気分転換が必要なんだ…」
優しくレイの唇が重なってジュディスは目を閉じた。そのまま半ば投げやりにベッドに倒れ込む。絡んだレイの両手からゆっくりと魔力が流れ込んできた。前はこういう時は流れが重かったのに、今日はそこまで負担に感じない。むしろ心地良かった。程なくして唇からも魔力が流れ込みジュディスは震えた。目を開けるとレイの姿が出逢った頃の十六に戻っていた。けれども体付きが明らかに違う。羽化後のレイの姿を初めて目の前にしてジュディスは動揺した。
「え…?」
ジュディスの唇から漏れた声にレイが目を開ける。自分の少し骨張った両手を見つめてレイは小さく笑った。
「前みたいに大きな身体で抱きしめたいって思ったんだ…」
「ちょっと力を貸しただけだよ。簡単さ。すぐ戻るけどね」
仔猫がレイの背中から顔を出す。そういえばファラーシャもいたのだと思って急にジュディスは照れくさくなり、目の前のレイから慌てて顔を背けた。
「ジュディス?」
抱きしめられる感覚も前とは全く違う。力強いレイの腕に包まれてジュディスは自分の身体が今は華奢な少女なのだと再認識した。分かっていると思っていた。けれども自分の中ではまだまだ認識が甘かったのだと、その現実を突き付けられた気がした。少女になってもう諦めたはずだった。なのにちっとも諦められない自分がいることにも気づいてしまった。ままならない身体を抱えて、この先も生き続けるのだろうか。父まで現れて抱える問題は増え続けるのに一つも解決の糸口は見い出せないままだった。
***
「講義に出てくる」
沈黙を貫いていたジュディスが突然喋ったのでレイは驚いた。何がどうなってそこに行き着いたのかは分からないが、ジュディスはてきぱきと準備を始めた。
「身体は大丈夫なの?」
「…なんとかなるだろ」
「私も行くわ!」
車椅子のベアトリスまですでに準備を終えて出てきてレイは再び慌てる。
「まだ休んでいた方がいいよ」
ところが二人は声を揃えて言った。
「病気じゃないから!」
二人に置いていかれたレイは、慌てて灰色の仔猫に伝えた。
「二人をお願い!」
「任せて!」
仔猫はキラリと瞬いて姿を消した。




