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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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無自覚

「で、そんなに暗い顔してるのか?常に冷静なのも悪いことじゃないと思いうけど…」


 ベッドの上に起き上がっていたジュディスはブラッドウッドがぽつりぽつりと語る話を聞いていたがニヤニヤ笑い出したいのを必死で堪えていた。隣に張り付いたレイは疲れたのか眠っている。布団の隙間から赤い蔦が何本も飛び出していたが、ブラッドウッドは見ないふりをした。


 午前中の講義と訓練は無事に終わった。新しく加わったクレメンスは他の学生に囲まれて質問攻めに遭っていた。


「ブラッドウッドは感情が動かない訳じゃない。人よりその振れ幅が小さいだけで…でも、ちゃんと差し入れを持ってきたり気遣いもできる…上出来じゃないのかな」


 昼の休憩時間に柄にもなくブラッドウッドはレイとジュディスの食べそうな物をアマロックに見繕ってもらい食堂から持ち帰って顔を出した。


「まぁ…長い間繰り返してきた私から言わせてもらうと、そんな魂を揺さぶられるような相手に出会えることの方が僥倖なんだと思う…」


 何気なくそこでジュディスはレイに柔らかな眼差しを送る。ジュディスにとっての僥倖は今気持ち良さそうな眠りの中にいる。


「ブラッドウッドは何でも真面目に考え過ぎちゃうから、考え込んでいる間に運命の相手が目の前を通り過ぎてるのかも…。我を忘れるほどの恋がしたいのか?ろくなもんじゃないよ。物好きに私を羽化の守にしたせいでレイは腹に大穴が開いて、私は見ての通り…今はこの小さな不便極まりない身体と格闘中なんだから…」


 ブラッドウッドは何故こんな話をジュディス相手に始めたのかも分からないまま小声で呟く。


「その…すごく失礼なことを聞きますが…以前は男性だったんですよね?その記憶を持ったまま女性の身体になると…どういう感覚になるんですか?想像がつかなくて…」


 ジュディスはブラッドウッドの黒い瞳を覗き込んだ。遠回しに聞かれたり邪推されるよりは、まだマシかと思い直す。


「最初は、なんの冗談かと思って…次第に屈辱も感じて…最後には諦めた。でも、やっぱり強い男の手で組み敷かれるのは腹立たしい、あ、これは戦ってるときの話だから誤解なく。何より前よりも弱くなってしまったのが一番辛かったな。それは今も…この身である限り続く…」


 一端口を閉じてジュディスは笑った。


「でも、いいこともあったよ。簡単に殴ったり蹴ったりされなくなったし、何かの道具に利用されることもなく、こうやって甘やかして貰える…何だかんだで大事にされてるなとは思うから」


 ブラッドウッドは苦しげな顔をした。心は動くのに口に出して表現するのが苦手なのだろう。


「うん…大事…」


 寝ているレイがそう言って徐ろにぱちりと目を開いた。


「あれ?ごめん…寝てた。あ!循環ちゃんとできてる?」


 レイの言葉にジュディスは頷く。寝ているのに蔦はきちんと仕事をこなしていた。


「あれ?ブラッドウッド先生…ん?何かいいにおいがする」


「差し入れを持ってきてくれたんだ。食べるか?」


「うん。繋いだのが左手で良かったよ。右手だったら不便だった」


 レイはそろりと起き上がると、フォークを手に持った。


「僕はアマロックの食堂の料理の方が好きなんだよ。でも行ったら他のみんなが気楽に食事できないから自粛してるんだ…」


「ブラッドウッドも一緒に食べないか?食事はみんなで食べた方が美味しいもの…らしいから?」


 なぜ疑問形なのかと不思議そうな顔のブラッドウッドにジュディスはきょとんとした。それから彼がそのことを知らないのだと思い至る。


「あ、言ってなかったか。私は食べ物の味が分からないんだ。たまに復活したと思ったらまた消えていて。少し前までは魔力だけ吸い取って生活してたので改めて食べる練習は継続中って訳で」


 だからわざわざ料理長が少し待てと言って野菜とチーズの入った粥を用意したのだとブラッドウッドはようやく理解した。言われてみればジュディスは粥の頻度が高い。


「あら先客かしら?ブラッドウッド先生?」


 モリス教授がハーブティーを持って現れる。


「食後に飲んでね。少しついでに診るわね」


 モリス教授はジュディスの下瞼の裏側を見た。手首にも触れる。モリス教授は表情を和らげた。


「朝よりはよくなったわね…本当にあの量の出血でよくここまで戻ったわ…レイのお陰ね」


 アマロックの料理を食べながら、レイはにこにこした。


「たまには僕だってジュディスの役に立つって分かって良かったけど…僕って今日はこのままなんですか?」


 やや不安そうにレイはモリス教授を見上げ、もじもじした。


「そろそろ…トイレに行きたいんですけど…ジュディスから離れるのが怖くて…一緒に移動した方がいいなら手伝ってもらえませんか…」


 その後結局レイとジュディスは二人揃ってトイレに向かい、モリス教授が赤い蔦をロープのように担いでトイレ周辺を遮断した。途中レイがうわぁと驚きの声を上げてジュディスに小言を言われていたが、なんとか無事に終えて出てきた。が、出てきたレイの方が顔色が冴えなかった。


「ずっとこのままって訳にもいかないから、止血剤も試してみる?」


 先に勢いよく頷いたのはレイだった。


「今僕が離れたら…またジュディスは倒れるくらい出血する…それは手応えで分かるんです。だから僕の蔦と止血剤を併用して様子をみたいです…」


「分かったわ。じゃあちょっと準備するわね」


 程なくしてモリス教授は点滴の準備をして戻ってきた。ジュディスは腕に針を刺されるその瞬間まで興味深そうに凝視していたが、しまいには点滴を見上げて妙に感心したような声を上げた。


「わぁ…なんか大袈裟だなぁ」


「あなたね、今レイのお陰で起きていられるけれど、大袈裟なくらい本当は大変な状態なのよ。自覚ないでしょ?」


 モリス教授は腰に手を当ててジュディスを叱った。



***



 何やら話し声がして騒がしいなと思い、ベアトリスはベッドの隣に用意された車椅子にそろそろと移動した。身体は動かせるがまだ時々めまいがする。廊下に出ると、ジュディスの部屋からモリス教授が出てくるところだった。


「何かあったんですか?」


 ベアトリスの言葉にモリス教授は首を横に振った。


「あまりに本人に自覚がないからちょっと叱っただけよ。食事は終わった?」


 頷くと、モリス教授はそのままベアトリスの車椅子を押して、ジュディスの部屋に連れてきた。


「ほら、体調の優れない者どうしで少し話したらいいわよ。ではまた後ほど」


 モリス教授はブラッドウッドと共に部屋を出て行った。そろそろ午後の講義の時間なのだろう。ベアトリスはジュディスのベッドに平然と入って寄り添っているレイを二度見した。人目もあるというのになんてふしだらな。信じられない。まるでその心を読んだかのように、レイは思い切り不満そうな顔をベアトリスに向けた。


「あぁ…レイが離れると私はまた出血多量で倒れるらしいから、この状態でいるしかないんだ…」


 ジュディスが言いながら、ようやく半分食べ終えた粥の皿に恨めしげな視線を送った。レイがその粥をすくって、ジュディスの口に運ぶ。


「ほら、口開けて。すぐ飲み込まないでちゃんとよく噛むんだよ」


「ん…」


 ベアトリスは信じられない光景の連続のあまり、甲斐甲斐しく世話を焼くレイに呆れたような眼差しを送って咳払いをした。


「人って死にかけると…性格が変わったりするものなのかしら?」


「そういう君はあまり性格が変わらないようだね。僕の忠告も聞かなかったくせに」


 粥を言われた通りに咀嚼しながら、そういえば元々この二人は魔力の相性からして悪かったのだとジュディスは思い返す。もう少しお互いのどちらかが踏み込んでいたら、オーブリーとレティシアのようになっていたのかもしれないが、自分が入り込んでしまったことで運命は変わってしまった。


「私からしたら、レイはそこまで変わった訳ではないんだ。素の自分を見せていなかっただけで。多分、ベアトリスだってそうだろ?お互い世間体やら何やらしがらみに縛られて本音を晒せない生き方を選んできた…私はそれをちょっとつついて壊しただけだ」


 再びレイに匙を突っ込まれてジュディスは黙る。粥がなかなか減らない。器に粥が永遠に湧いて出る魔術でもかかっているのかと疑ったくらいだ。


「まぁそうかもね。君も少しジュディスに壊されたらいいよ。実際、前よりずっと楽になった。苦手だった炎の魔力も今はそこまで苦手じゃない。あの頃はどうしても君にそれを言えなかった。伝えたら君自身を否定することになると思っていた。ごめん。本当に悪かった」


 急なレイの謝罪にベアトリスはぽかんとする。そうしてずっとベアトリスとの魔力交換を頑なに避け続け、ようやく無理矢理、我を通して魔力交換をした後のレイの様子が何かおかしかったのを急に思い出した。


「五歳かそこらの頃に、第一王妃の招いた魔術師に教育の一環と言われて初めて魔力交換をさせられたんだ。それが第一階級の炎の魔力で、それを思い出すと逃げ出したくなってしまって。僕はそんな情けない姿を君に晒したくなくて必要以上に冷たく振る舞った」


 ベアトリスは耳を疑った。けれどもレイの頑なな態度は全てそこに起因していたのだと急に腑に落ちた。そして自分はなんてことをしてしまったのかと、がく然とした。


「ごめんなさい、私の方こそ…強引に…」


「言わなかったレイが悪いんだから、ベアトリスは必要以上に責任を感じることはないぞ。運悪くベアトリスの得意な魔力が炎だった。そしてレイのトラウマも炎の魔力だった。でも一番悪いのは、王宮付きのその魔術師だ。どこのどいつだ?まだ生きてるなら二度と魔力交換できないように中枢を引き抜いてやる」


 ジュディスの瞳に浮かぶ光がやや本気に思えて、レイは慌てて首を横に振った。


「止めてよ。ジュディスが言ったら洒落にならない」


 レイは言いつつもまた粥の匙をジュディスの口に運ぶ。

 その魔術師はすでにこの世にはいない。実際に魔力中枢器官をこれみよがしに破壊された凄惨な死体が、ある朝城壁に吊るされていた。彼は両手両足の指全てを切り落とされ両目もくり抜かれていた。その指の数本は本人の胃の中から見つかったことを後に知った。犯人は見つからなかったが、前日の夜、母がやけに上機嫌だったのをレイは覚えている。師匠か。あるいは母か、その両方か。そうしてジュディスも考えることはわりと似ている。


「私も少し壊れたわ。でもお陰で見えなかったものが見えるようになった。ここにいると少し呼吸が楽になるの。だから身体が治るまで滞在してもいいかしら?」


 ベアトリスの言葉にレイは頷き、過去の記憶には蓋をした。あの頃の自分はもういない。


「元気になったら、ジュディスのダンスの先生になってよ。ジュディスは戦闘能力にかけては僕より男前なんだけど、踊りは壊滅的なんだ…」


「あんな、ぐるぐる回るだけで何の役にも立たないものを覚えなきゃならないのか…はぁぁ」


 ジュディスの心底嫌そうな顔にベアトリスは思わず声を上げて笑ってしまった。そうして自分が久々に笑ったと後になってから気付いたのだった。

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