血の流れ
話が終わってジュディスの寝室を覗こうとしたモリス教授は、近年稀に見る頑固なレイの遮断にぶち当たって弾かれた。
廊下に出ていたブリジットがそれを見てフッと笑う。が、笑った本人も同じ目に遭ったのか額が赤くなっていた。
「ジュディスとレイの周りには面白い魔術師が多いな。君は治癒師も兼ねているのか…ロウの家にはない逸材だな」
ブリジットを見たモリス教授は眉をピクリと上げた。彼の第一印象は概ね当たる。いけ好かない、と思った。
「…昨日引っ掛かったのはあなたね。待機と言われたから行かなかったけれど、ジュディスやレイにあまりちょっかいを出すと私以外にも怒る人が多いってこと、覚えておいた方がいいわよ?」
ブリジットは軽く両手を上げて降参だと告げる。レイを怒らせたのは確かだ。だが怒ったところで自分よりも格下の魔術師たちに何ができるというのか。
「二人が何をしているのか、興味があっただけだ。そうしたら、添い寝すると言われてこの通り遮断された」
「…あの二人の間に介入できるのは学院長くらいよ。それでも彼の辞書には気遣いと遠慮の言葉が存在するわ。土足で踏み込まれたくない部分を平気で暴くのがあなたなのかもしれないけれど、過剰な好奇心は身を滅ぼすわよ?あの二人はこれからもっと強くなる。油断していると痛い目を見るわよ」
ブリジットは僅かに驚いて変わった眼鏡で素顔を隠した魔術師を見返した。モリス教授は遮断の前で声を掛けた。
「レイ…遮断に使う魔力が勿体ないわ。そっちは私が引き受けるから、その分をジュディスに回してあげて」
程なくしてレイの遮断は解かれ上からモリス教授の遮断が施された。中を覗いてモリス教授は何か話してから扉を閉めた。気になって仕方ない様子のブリジットにモリス教授は涼しい顔で告げた。
「レイがジュディスに血を分け与えていたわ。精霊のやり方だから残念ながら見たって私たちには真似できないわよ」
モリス教授はそこで一度小さなため息をついた。眼鏡を外してブリジットの方をじっと見る。ブリジットは急に落ち着かなくなった。
「あなた…ジュディスにかまけている場合じゃないわよ?そのお腹の子…あなたの家系の特異な体質を受け継ぐわ。あなたと同じ。しかも恐らくあなたの呪いまで受け継いでる。生きづらいわね。大事にしてあげて。じゃないと…ジュディスや…紅い竜の子たちを巻き込んで、この国を…世界を…崩壊させるかもしれない」
碧の瞳に今までにない鋭い光が宿っていた。その口調とは裏腹に凛々しい男性の顔をした相手を見つめ、ブリジットは思わず息を呑んでお腹に手を当てた。自分よりも魔力量の低い相手に圧倒されることなど、これまではなかった。それなのに。
「あなたも随分と可哀想ね…恋や愛とは無縁の人生…自分の身体が便利だと思い込むことでずっと無理をして心を飼い慣らしてる…でも、生まれてくる子にまでそれを強いると、じきにあなたまで壊れるわよ」
可哀想?この私が?格下の相手に憐れみをかけられ、ブリジットは相手を睨む。
「いったい…何を見ている…」
助産院では男児だと言われた。だからそうだと思い込んでいた。だが私と同じなのか。父上はさぞ喜ぶだろう。一瞬そう思ってゾッとする。あの父なら腹の子にも同じことをするだろう。言葉巧みに操って自分と同じ道を歩ませるに違いない。諸手を血に染める茨の道を。
「私は目が悪い訳じゃないのよ…こんな風に時として余計な物が見え過ぎるから普段はこうしているの。それなのに今回ベアトリスの腹の中にあった呪物は全く見えなかった。肝心なときに役立たず…ほんと自己嫌悪ってこういうことを言うのね」
モリス教授は再び眼鏡を掛け直すと背を向けた。
「君…名前は?」
「アラステア・モリスよ。そういうあなたは?」
「ブリジット・ロウだ」
モリス教授は不意に押し黙った。
「ご子息のご冥福をお祈りするわ…」
「それも見えるのか?」
「…いいえ。私の妹が第三王子の羽化の守だったのよ…今はずっと療養院にいる…だから一つ上の第二王女とその守であるご子息のこともわりと知っていた…それだけよ」
寂しそうに微笑むと、モリス教授は何を思ったか優しくブリジットを抱擁した。不意をつかれたブリジットは瞠目する。気付いたときにはモリス教授はすでに去っていた。かすかな花の香りだけが残った。
***
程なくして王立治癒院から止血剤が届いたので、モリス教授はジュディスとレイの寝室に向かった。遮断の外側から声を掛けると、レイの声がした。
「入っても大丈夫?」
「…はい」
一瞬の間を気にしつつもモリス教授は遮断の中に入る。遮断の中には赤く染まった蔦が何本も絡まっていた。
「すみません、とっ散らかってて…」
「ちょっ…大丈夫なの?」
モリス教授は二人の顔を交互に見た。蔦はともかくジュディスの顔色は先ほどより良くなっている。それに起きていた。
「何だか自分でもよく分からないですけど、出来てしまったので…こうなってます」
レイの蔦は腰の辺りからジュディスの中に潜り込み、過剰に流れる血を堰き止めていた。直接触れているのは蔦だとはいえ、おおよそ触れてはいけないジュディスの身体の中の大切な部分に触れているのは確かなので、レイはモリス教授の顔をまともに見れず不意に目を逸らした。
「…僕が死にかけたとき…ジュディスが蔦になって流れ出るものを止めてくれたのを思い出して…それを身体が覚えていたから…試してみたら出来ちゃったというか…」
レイは口ごもる。これは治癒の一環だ。治癒の。そちらに意識を集中する。
「レイの蔦は治癒に向いてるのかもな…魔力交換を血液に置き換えて循環させてるから、これだと無駄に身体からも流れ出ない…」
ジュディスの言葉にモリス教授は思い切り脱力した。輸血するならどの血が適応するのかと思い悩んでいたが取り越し苦労に終わってホッとする。
「とりあえず良かったわ…」
モリス教授の言葉にレイが困ったようにおずおずと口を開く。
「でも僕…しばらくここから動けないんですよね…今日の魔術騎士科の講義…ウォード先生一人になっちゃうので…ブラッドウッド先生に引き継いで補助代理に入って貰おうかなって…」
「到着するまでにはこの蔦はなんとかしておきます…ちょっと不気味だし」
ジュディスの言葉を聞きながらモリス教授は首を横に振る。
「彼なら大丈夫だと思うけれど…とりあえず食事は運んであげるわ。他にも欲しいものがあったら言ってちょうだい」
レイは頷いた。過剰に意識しているのは自分だけのようだ。レイは言った。
「ものすごいお腹が減ってるんで助かります…」
***
ジュディスの中にずるずるとレイの蔦が引き込まれてゆく。笑いたいのか泣きたいのかよく分からない感情に支配されて、レイは眉を下げた。
「そんな情けない顔をするな…仕方ないだろう…収納できる場所は限られてるんだ…」
「だからって、そんなとこ…!!うわぁ!」
ジュディスは涼しい顔だ。それでも収まりきらない蔦は布団の下に丸めて押し込んだ。端から見ればさほどの違和感はない。ジュディスの腰にレイの左手が張り付いていて布団が妙に盛り上がっている以外は。
レイとジュディスがモリス教授の運んできた食事を摂っていると、しばらくしてウォードとブラッドウッドが現れた。ジュディスは粥を半分ほどまで自力で頬張っていたが、力尽きて半ば諦めかけていた。時折まだ力が抜ける。ブラッドウッドとレイは早速打ち合わせを始めた。ウォードはその間ジュディスの手から匙を受け取り、ゆっくりと粥を口元に運び始めた。
「お嬢…食欲がないなら魔力を流しましょうか?」
ウォードの言葉にジュディスは首を横に振った。
「魔力は…レイの方に流してくれないか?私は足りてるから…」
「…だそうですけど、流してもいいですか?」
ウォードがレイに問うと、レイは空いてる方の片手を出してあっさりと頷いた。
「お願いします」
レイはウォードから魔力を受け取りながら、ブラッドウッドに担当学生の剣術の悪い癖や苦手な動きを的確に伝えてゆく。その間にもジュディスの血を循環させ絡めた蔦から流し込む。複数のことを同時にこなすレイに感心しながらジュディスは口を開けて粥を食べさせてもらうだけとなった。急に自堕落になった気分になる。
「あんまり無理しないで下さいよ。今日はゆっくり休んで下さい。お嬢はたまには何もしない日があってもいいんですから」
ウォードは小さな子にするようにぽんぽんとジュディスの頭を撫でる。悪くないなと思いながらジュディスは目を閉じたが、不意に思い出して口を開いた。
「学院長から聞いたか?サフィレットが…ノアに戻ってしまったから…講義の際にどんな動きをするのか…ちょっと読めない。よろしく頼む…」
「分かりましたよ」
こんなときでも友人の心配かと思いながら、ウォードは頭を撫でて頷いた。




