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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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23/107

 その日の夜、クレメンスとの積もる話もあるだろうと、ジュディスは先に一人寝室へと向かった。なんとなく倦怠感を覚えて横になる。今日は随分と眠い、そう思ってベッドの中に潜り込んだ。ジュディスが眠ったのを階下で察知したレイは徐ろに立ち上がる。


「…本当に…今夜やるの?」


 傍らのブルーノは不安顔でレイを見上げる。ブルーノと意気投合したクレメンスも驚いたようにレイを見つめた。


「君がそんなにせっかちだとは思わなかったな」


「いや…せっかちってよりは君の父君の挑発に乗るつもりって方が正しいのかも。僕は君がまともな思考の持ち主と知って正直ホッとしたけどね」


 ブリジットの息子が魔術騎士科の講義を受講すると聞いてどんな人格破綻者が現れるかとブルーノは内心びくびくしていたのだった。


「…健闘を祈る」


 少し縮んで一見すると少女のように可愛らしい友だが羽化を終えて男らしさが増したようにブルーノは感じていた。それが少し眩しかった。

 一方で友人の前では格好をつけて寝室に向かったもののレイの心臓は口から飛び出そうなほどバクバクと煩く鳴り響いていた。深呼吸を何度も繰り返し寝室に入る。レイはすやすやと眠っているジュディスの隣に座ってその寝顔をしばらく見つめていたが、意を決してゆっくりと腹の辺りのボタンを外し始めた。それだけで背徳感に苛まれる。


「…そんなに悪夢を見たいのか?」


 不意に寝ているはずのジュディスが目を開いてレイを見つめ静かに言い放った。


「…!!」


 レイは驚きのあまり悲鳴を上げそうになり、辛うじてそれを飲み込む。


「まさか今夜を選ぶとは思わなかったな…」


 ジュディスは言いながらレイの右手を握る。


「ごめん…でも…早く僕も君に何かしてあげられるようになりたいんだ…」


 月明かりに照らされたジュディスを見つめながらレイは口ごもった。


「謝らなくていい…私もいつまでも逃げる訳にもいかないからな…きっと軽蔑するぞ?」


「…しないよ。僕は」


 レイは僅かに震える指でもう一つボタンを外す。次第に素肌があらわになる。レイの父親のつけた痛々しい傷跡が広がっている。特に何度も刺したに違いない場所にそれは残っていた。恐い。本能がそれに触れるなと告げている。


「ジュディス…触るよ」


「うん…」


 閉じたジュディスのまぶたも震えている。恐怖とそれを上回る罪悪感に駆られながらレイは切り刻まれた焼印に指先を当てた。



***



 どこかに転がり落ちたのだとレイは思った。暗闇の中にレイはいた。でも何故かよく目は見える。体中が痛かった。鞭打たれた背中が燃えるように痛い。その痛みを飲み込みながらレイは穴を掘っていた。自分が命を奪った子の亡骸を埋めるために。ひたすら掘っては埋めてゆく。牢の中には死にかけのそれでもまだ死ねない子どもが大勢いて、かすかな吐息と呻き声があちこちから聞こえた。血と汚物に腐った臭いが混ざって気持ち悪い。頭を抱えて悲鳴を上げ続ける少女もいる。この子はもう壊れてしまった、おしまいにしよう、そう思った。


「おねがい…もうおわりにして…」


「たすけて…」


 鉄の足枷のついたレイの足に格子の隙間から出た少年たちの腕が縋り付く。吐息に媚薬のにおいが混ざる。まだ会話が成り立つうちは殺すなと言われていた。レイは静かに首を横に振る。


「…すまない…」


 悲鳴を上げ続ける少女から残りの魔力を吸い上げる。最後の一滴まで絞り尽くす。何故か最後に少女は微笑みを浮かべ事切れた。やっとこの子は静かに眠れる。悪夢にまみれた夜から解放される。

 再びレイは穴を掘る。少女の遺体をそっと穴の中に寝かせる。土をかける。これでもう痛みも苦しみもない。少しだけホッとする。もう何人埋めたのか分からない。ここももうじき死体で埋まる。この手は血塗られている。



***



 目を開けると急に涙がボロボロとこぼれ落ちた。レイは慌ててジュディスを確認する。閉じた瞼が痙攣して程なくしてジュディスも目を開いた。僅かに眉をひそめる。不意にレイの掌から煙が上がり熱さを感じ慌てて手を離す。途切れた形に火傷をしていた。ジュディスの腹の傷も今まるで焼印を押されたかのように焼け爛れて煙を上げていた。


「…少し深く潜ったらこうなる…じきに戻る…」


 レイは蔦を伸ばして痛みを緩和させようとしたが、ジュディスはそれを止めた。


「…効かない。これを…延々と繰り返して…乗り越えるしか…ない」


 ジュディスは呻き声を何度も飲み込んだ。レイは涙を流しながらジュディスを抱きしめることしか出来なかった。触れただけなのに掌の火傷がズキズキと痛む。ジュディスはもっと痛いに違いない。レイの肩にかかる荒い吐息が炎のように熱かった。


「レイ…」


 不意にジュディスは名前を呼んで顔を上げた。


「私は…ああやって大勢…殺したんだ…」


 暗い瞳に揺れる不安の色をレイは瞬時に読み取った。


「うん…僕だって…今までたくさん殺してきたよ。命を狙われる度に問答無用に…中には幼い子どもの刺客だっていた…だから、僕の手も血塗れなんだ…」


「レイ…も…?」


「…一緒だよ」


 レイは焼印の箇所をちらりと確認する。先ほどの光景が嘘のように古い傷痕に戻っていた。少しホッとする。


「二段階飛ばしで駆け抜けたな。上出来だ」


 いつの間にか寝室の中にまで入ってきていたブリジットが拍手をした。思い切り嫌そうな顔をした二人に向かってブリジットは肩をすくめた。


「事故が起こらない限りは介入しないから、そう毛を逆立てるな。失敗して昏睡状態になる場合もあるんだ。お前たちは強いから火傷程度で済んだが」


 近付いてきたブリジットはレイの右手の掌についた火傷を強引に消し去った。が、不意に顔を上げニヤリと笑った。


「ふうん、ブルーノも始めたか。レイがいい起爆剤になったかな」


 ブリジットは呟くと寝室から姿を消した。



***



 しばらく屋敷は静まり返っていた。が程なくしてサフィレットのものと思われる悲鳴が上がり獣の唸り声に変わる。ブルーノの叫び声、何かが激しくぶつかる音に、寝室で息を潜めていたレイとジュディスは居ても立ってもいられず、とうとう部屋を飛び出した。宿泊の際は廊下の突き当たりの奥から二番目の部屋をブルーノたちが使っている。部屋の扉が大きな音を立てて扉ごと外れた。それを踏んで白狼になったサフィレットが駆け出してきた。


「サフィレット!!」


 狼の姿で突進するところだったサフィレットは途中でジュディスの姿に気付いたようだった。四つ足で走り出したのが人の姿に変わってそのままジュディスに飛びついた。


「サフィレット大丈夫か?」


 豊満な胸に顔が埋まる。一瞬呼吸困難になりジュディスは慌てて顔を上げた。顔を背けたレイが寝室から剥ぎ取ってきたらしい布団をジュディスに手渡す。サフィレットの身体を覆って、慌ただしい部屋の奥の気配を探る。部屋の奥からブリジットに支えられたブルーノがよろよろと姿を現してホッとしたのも束の間、サフィレットの姿は更に縮み始めた。驚くジュディスの腕の中で豊満な胸はどんどん平らになり、白い髪は茶色に変わる。


「…何言ってるの?ノアだよ。忘れたの?」


 茶色の髪の間から猫の耳が生えてぴょこんと動いた。サフィレットは出会った頃の小さなノアの姿に戻ってしまっていた。



***



「これは恐らく精神的恐怖からくる幼児退行だな。ブルーノは一歩前進したが、こちらは後退か…まぁ何が起こるか分からないのが呪いの厄介なところだ。そう落ち込むな。昏睡状態になるよりはよほどマシだ」


 ブリジットは言ったが、ブルーノの落ち込みようは凄まじかった。黒狼の耳を隠すこともせず部屋の隅に蹲っている。騒ぎに目を覚ました学院長とフロレンティーナも現れて事の経緯を把握した。今日は念の為二人もこちらに滞在していた。


「ジュディス、目と髪の色が変わったんだね。すごくきれい」


 ノアに戻ったサフィレットは自由奔放な子どもに戻ってジュディスに懐いていたが、程なくして目をこすり始めすやすやと眠ってしまった。懐かしいような複雑な気持ちでノアの寝顔を見ていると、ブルーノがやってきた。ジュディスの膝の上からそっと小柄なノアを抱き上げる。


「サフィレットはノアの方が楽しく生きられるのかもしれないな…」


 切ない微笑みを浮かべてブルーノはノアを抱き上げると寝室へと戻って行った。


「そんな辛気臭い顔をするな。生きてさえいれば、どうとでもなる。次の手を考えるまでだ…」


 そう言ったブリジットだったが、急に目を見開いてあらぬ方向を見つめる。カタリと音がして美しい女性が部屋に入ってきた。


「あら知らない殿方がいらっしゃるわ。私はトリニティ。あなたが番になって下さるの?」


 するするとトリニティはブリジットに近づく。ブリジットは興味深そうにトリニティを観察した。


「私が会いたいのは君じゃない。その中で眠っているもう一人を起こせたら…そうだな。褒美をやってもいいぞ?嫁に来るか?」


 近くのソファーに座っていたレイとジュディスはブリジットの台詞に思わず互いの顔を見合わせる。


「分かったわ…素敵な方。でも、あの子はなかなか起きないのよ」


「では起きるまで一緒に夜明けを待とうか?美しいトリニティ」


 歯の浮くような台詞をさらりと口にしてブリジットは白い髪に混じる翡翠色の髪の一房を手に取り、そっと口づけをした。

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