ロウの血筋
「何なんだこの鬱陶しい壁は」
「も、申し訳ございません」
本日二度目の、恐ろしい人物の訪問に王立学院の門番は泣きそうになっていた。ガタガタ震えながら書類を差し出す。サインを殴り書きした人物は馬車ではなく、馬に飛び乗り颯爽と姿を消した。光るサインを見返して門番は額から噴き出す汗を拭った。
「たった一日で寿命が縮む…」
***
「おいフレディ、私を呼び付けるとはいい度胸だな」
荒々しく馬を走らせレイの屋敷に乗り込んできた人物は開口一番にそう告げて、すらりと剣を引き抜いた。
「相変わらずだな…ブリジット」
フレディも中空から燃える大剣を取り出す。両者は睨み合い、地を蹴って走り出した。
「フレディやめろ!屋敷が壊れる!」
間に二階のテラスからジュディスが飛び降り割って入る。どこから取り出したのか両手に握った細身の剣で二人の剣を止めた。フレディは即座に剣を消したがブリジットは小柄な相手を二度見した。
「お前…」
飛び退って再度ブリジットは剣を構える。再び剣を交える。速さも申し分ない。久々に背筋がぞくぞくした。的確に受け止める。だが素早く離れたジュディスの剣は、スルスルと解けて蔦に戻った。あの手応えで剣ですらなかったことにブリジットは呆気に取られ少女を見返す。
「わーやっぱり痺れるな」
両手を振りながらジュディスは笑った。
「名前を貸して下さりありがとうございます。お初にお目に掛かります。ジュディス・ロウと申します」
ジュディスは礼儀正しく一礼した。
「…ようやく会えたな」
ブリジットは値踏みするような視線を送る。
「これが彼の地で見出したお前の片腕か…一度ならず二度も消え失せおって、私に無駄足を運ばせた代償は高くつくぞ?」
名前を貸した相手の顔を見に気紛れに王立学院を訪れたら、第八王子諸共行方不明になった後だった。
「ジュディスは今となってはレイの婚約者だ。それに、その見返りはロウの家にすでに約束されているだろう?」
フレディの言葉にブリジットは嫌そうな顔をした。
「本人の前で見返りの話など出すな。私は金儲けがしたくて貸した訳ではない」
「別に気にしませんよ。今後もお世話になることもあるかと思いますし」
「あれは正式なお前の取り分だ。使いたいときは遠慮せず言ってくれて構わない」
ブリジットは小柄な少女をもう一度見下ろした。紫と濃い緑の瞳。翡翠色の長い髪。見た目も飾っておきたいくらいの美少女だ。何より魔力量が素晴らしい。
「これなら合格だ。ロウの名を与えても遜色がない。後継者に据えたいくらいだな」
ブリジットは豪快に笑ってジュディスの頭を撫でた。
***
「うわぁ…あの師匠と対等に渡り合ってるよ…」
柱の陰から見ていたレイは大きなため息をつく。食後の腹ごなしに剣術指導を始めようとしていたアマロックがレイの隣で唸った。
「なかなかに恐ろしい気配ですな。あの方がレイ様の師匠ですか?」
怯えたソロが何故かブラッドウッドの足にしがみついて、ブラッドウッドはおっかなびっくりその頭を不慣れな手つきで撫でてなだめていた。ウォードも興味深そうに観察する。
「魔力の揺らぎが少ないですね…複数の力を有しているのにあんな風に安定させるのはなかなか難しいと聞きますよ…」
「読めるのか…」
ブラッドウッドはウォードの分析に舌を巻く。表舞台に出てこないだけで自分の知らない強い者はまだまだいるのだという事実を突き付けられた気もしていた。
「私に向かってくるのはジュディスだけなのか?ここの男どもはフレディ以外は皆腑抜けなのか?」
ブリジットは獣のような瞳で屋敷の中に視線を送る。誰もがゾッとする中、運悪くサフィレットを連れたブルーノが現れた。屋敷の入口で異様な雰囲気に気付いたブルーノは咄嗟にサフィレットを背後に庇って鋭い視線をブリジットに送る。
「ほう…面白い。若いが鍛え甲斐のありそうなのが来たな」
ブリジットの微笑みに、訳が分からないなりにブルーノは嫌な予感がした。そしてそれは見事に的中した。
***
自分の屋敷にも関わらず縮こまったレイとその隣のブルーノは居住まいを正す。今、目の前には主人の如く偉そうに足組みした人物がソファーで寛いでいた。学院長に似た栗色の髪を長く伸ばしている。瞳は濃い青。時折不意に見せる表情が学院長に少し似ていた。
「うちの不肖の息子を預かると申し出られては断る訳にもいかないからな…あれは反抗期で困る。ちょうど…ブルーノと同じくらいかな。兄と比べたつもりはなかったのだが捻くれてしまった。子育ては難しいな。それにしてもレイは見事に縮んだな。実に可愛いぞ。膝の上に来るか?」
「師匠…ご勘弁を」
げっそりした友を横目で見つつ、ブルーノは二人が呼ばれた理由になんとなく目星をつけていた。
「あの焼印の呪いを乗り越えて愛する者を抱くのは、灼熱の地獄でその身を焼かれる覚悟があるかと問うにも等しい…が、前例を作ってしまったからには不可能とも言い切れない。なぜなら我が伴侶が悪しきその印を持つ者だからだ」
二人は胃をぎゅっと掴まれるような緊張を感じた。
「まずは、相手が眠っている間にでも印に触れてみろ。指先だけでいい。それで何を見ても飲み下せ。それが出来なければ先には進めない。潔く諦めろ」
ブリジットの濃い青の瞳に僅かに金の虹彩が混じっているのにレイは初めて気付く。だが瞬きの間にそれは消え失せた。
「二人がそれを克服できたら次の段階に進む。無論、棄権もあり得るが…その顔を見ると選びそうにはないな。それを身の程知らずと世間は言うが私はむしろ好ましく思うぞ。さて次はベアトリスと言ったか…」
ブリジットの呟きに、久々にその名を聞いたブルーノはレイの顔をちらりと見る。あとで、と声に出さずレイは告げた。ブリジットは颯爽と部屋を出てゆく。残された二人はようやく深く息を吐いた。ブルーノは小声で言った。
「学院長も怖いと思ってたけど…君の師匠からは何だか得体の知れない怖さを感じるよ…」
レイは頷く。
「師匠に比べたら学院長の方がずっと優しいよ…師匠はちょっと人としては信用できないところがあって…倫理観の欠如というか。まぁ指導力はあるんだけどね。それに、あの印に触れろって…」
「うん…あれに触れて正気を保てるかな…自信ないよ…」
二人は顔を見合わせて同時に深いため息をついた。




