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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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欠片

「あれ、何だと思います?首の傷も気にはなりますが…」


 しぶしぶながらレイとモリス教授の診察を受け入れたベアトリスを部屋に残し、ジュディスは遮断の中で話をしていた。今ベアトリスにはエステルがついている。不幸中の幸いというべきか今日は日曜で皆のんびり過ごすはずだった。


「そうね。あの首…何かに血を吸われて貧血を起こしたのか、あのお腹にあるもののせいで貧血になったのかは判別がつかないわ。想像妊娠とも違うのよねぇ。でも中のあれに命は感じられなかったわよね」


 レイと意識を共有したのでより鮮明にモリス教授にもベアトリスの中にあるものが見えていた。


「鼓動もない、へその緒が繋がっている訳でもないのに子宮に納まってるのが厄介なのよ。強いて言うなら血肉の塊。どうやって取り出したらいいのかしら」


「私とレイなら…やってやれないこともないんだけど…あれを吸い上げるのはあまり気が進まないなぁ」


 ジュディスの言葉にレイが明らかに動揺した。


「あれを吸う!?正気?中に呪いが掛けられてる可能性だってゼロじゃないよ?」


「じゃあ、腹を切るのか?一度切ったら次に子どもができたときにリスクが上がるんだぞ?バラバラに砕いて掻き出すのもなぁ…気乗りしない」


 モリス教授も全く同じことを考えていた。


「やっぱり私が吸い上げるよ。うまく吐き出せなかったときは、レイの蔦をここに突っ込んでくれ。嫌でも出る」


 ジュディスは口を指差す。


「えぇ…やりたくないなぁ…」


 レイはどんよりした表情で肩を落とした。


「ねぇジュディス、本当にやるの?」


 モリス教授の憂い顔にジュディスは頷く。


「元はといえば、私やレイのベアトリスに対する配慮が足りなかったせいもあるだろうし…モリス教授はベアトリスを眠らせてきてもらえますか?なるべく深く…その間に終わらせるから」


「任せてちょうだい」


 モリス教授は明るい調子でベアトリスの部屋の扉を叩いて中へと消えた。十分ほど経ってモリス教授は顔を出したが、やや顔色が悪かった。


「あの子、まだ媚薬を手放してなかったのね。循環したらかなり吸っちゃったわ。まだ朝だから…夕方までには抜かなくちゃね…」


「すみません」


 言いながら、ジュディスとレイも中に入る。ベアトリスは眠っていた。手近な椅子にモリス教授は座る。万が一の為に備えて同席することにした。


「え?こんな顔だったっけ?」


 レイが小声で呟く。素顔を見るのは初めてらしい。


「そういうのも、女性には言わない方がいいらしい」


 ジュディスは言いながら腹部をめくると蔦を出した。後ろからその手の甲に掌を合わせてレイも細い蔦を出す。探りながら奥へ入る。モリス教授は驚きを隠せずにその様子を見守っていた。ウォードの魔力中枢器官の再構築の話を聞いてはいたが、こうして目の当たりにするとやはり未知の領域以外の何物でもなかった。ジュディスの青白い蔦がしばらくして赤黒く染まり始めた。


「大丈夫?」


 レイは不安そうだった。


「うん…」


 全ての蔦が赤黒く染まる。異様な光景だった。レイの翡翠色の蔦はそのままだ。一定量の痛みを弱める魔力を流し続ける。


「…何かある…っ!」


 ジュディスは素早く蔦を引き抜き反射的にそれを床に放り投げる。忌わしい気配がした。何故これがこんなところに!?モリス教授も素早く封印を施す。


「これは…!」


 モリス教授は息を飲む。


「第一王妃…死してなお我を呪うか…」


 ジュディスの声とは思えない低い声が呟く。ジュディスは完全に獣の目をしていた。

 そこにあるのは、忌わしい名の一部が刻まれた血塗れの金属片だった。神官リシャールの砕かれた焼印。みるみるうちにベアトリスの腹は萎んでゆく。呆気に取られて見守るレイの腕の中にジュディスが静かに崩れ落ちた。



***



「何故危険を承知で許可したんだ」


 所要で昨夜から出掛けていたフレディは戻るなり知らせを聞いて静かな怒りを顕にした。


「申し訳ありませんでした」


「…あれは血の中に隠すと検知から外れる性質を持つんだ…見えないのだから仕方ない…ジュディスの性格なら止めてもやるだろうしな…」


 レイとモリス教授は怒鳴られるか殴られるかされた方がマシだと思って縮こまっていた。感じられる炎の魔力はまるで地獄の業火のようなのに、フレディはそれきり押し黙ってしまった。しばらくして大きなため息をつく。


「少し…二人きりにしてくれ。レイ、悪いが今回は遮断する。ジュディスの…記憶の鍵を掛け直す」


 ジュディスが獣のように叫び続ける寝室にフレディは姿を消した。



***



 ジュディスは薄暗い中、鎖に繋がれていた。そうだ、元々繋がれている。自由などない。手も足も首も全て、いつでも相手の気紛れ次第でどうにでもできる。折ったり、切り刻んだり、すげ替えたり。切り裂かれた腹から引きずり出された腸が地面のそこら中に散らばっている。虫がたかる。生きながら少しずつ食われている。体中にうじ虫の蠢く気配がする。

 それでも死ねない。どこまでも、どんな苦痛を与えられても、女神の領域が開かない限り、こうして生き続ける。助けなど来ない。


「ジュディス!私を見ろ!」


 琥珀色の瞳がこちらを射るように見ている。誰だ。そのまま抱きしめられて耳元で囁かれた。


「ジェイド…私だ。フレディだ。思い出せ。今お前はジュディスになった。ジュディスの記憶にも鍵を掛ける…許せ」


 額に熱い掌を感じた。炎の魔力に焼かれる。熱い。でもこれなら焼け死ねるだろうか。全て焼き尽くして骨も残らないほど消し去ってくれ。

 カチリ。

 耳元で音がした。そうだ生きながら食われたのは夢の中だ。生々しい記憶が遠くなる。自分はまだ生きている。


「ジュディス…」


 ゆっくりと目を開けると、フレディに何故か抱きしめられていた。顔を上げるとフレディの頬に引っ掻き傷ができている。


「…すまない…」


 しわがれた声が出る。喉が痛い。手を伸ばしてフレディの傷に触れる。魔力で治そうとしたが、手が震えるだけだった。静かにフレディはジュディスの背中を撫でる。咳き込むと突然口から血の塊が溢れ出た。


「できると思ったんだ…できたけど…まさか…」


 その先を続けようとして何を見たのか思い出せないことに気付く。フレディを見上げる瞳が困惑したように揺れたが、やがて静かに凪いだ。フレディは血の汚れを消し去り、水を操ってジュディスの口をすすがせた。その水も炎で蒸発させる。


「少し休め…ここにいるから」


 ジュディスを寝かせて、フレディは片手を握る。魔力を込めて言葉で縛る。安堵しきった幼い子のようにジュディスはその手を握り返して目を閉じる。程なくして寝息が聞こえてきた。


(危なかった…)


 フレディは張り詰めていた緊張と共にようやく遮断を解いた。



***



「僕はどこかでジュディスの言う、忌わしい記憶のことも、僕が強くなれば一緒に乗り越えられるんじゃないかって、そんな楽観的な希望を抱いていたんです…でも…そうじゃなかった」


 モリス教授はレイの肩を抱いた。魔力で覆った際に触れた忌わしい気配がまだ指先に纏わりついているようで、何度も手を清めてしまった。


「レイは…あれに触れた?」


 モリス教授の言葉にレイは俯いたまま首を横に振る。


「ジュディスの蔦の後ろに僕はいたから…でも…同調していたから一瞬見えて…僕の想像を遥かに絶する…生き地獄に…ジュディスは囚われていた…」


 静かに倒れた後にジュディスは再び目を開いたが、その焦点が合わなくなり頭を抱えて絶叫し始めた。身体は不自然に痙攣を繰り返し、手足がおかしな方向に曲がった。羽化の守の際に結んだ精神的な深い繋がりは薄くなった時期のはずなのに、ジュディスの苦痛に引きずられてレイまでが悲鳴を上げ慌てて口を押さえた。勝手に身体が震え出し、目の前が暗くなった。


「私も怖かったわ。あなた方二人をまた失ってしまうかと思って…本当に怖かった…」


 モリス教授は不意にレイを抱きしめた。膝の上にそのまま乗せてすっぽりと包み込む。存在を確認するかのようだった。


「学院長を…怒らせてしまった…ジュディスを頼むって言われてたのに」


「あの炎は怖かったわね…怖すぎてちびりそうになっちゃったわよ」


「…え?」


「やっと顔を上げた。冗談よ。でも怖かったのは本当」


 レイに向かってモリス教授は微笑んだ。レイは少し照れたようにはにかむと、不意に思い出したように続けた。


「先生…媚薬なら僕は平気だから吸えますよ…少し…影響を受けてません?」


 モリス教授は緊急事態を除いては勝手に密着するようなことはまずしない。必要な場合は相手の意思を確認する。


「あら…私ったら…」


 そのままレイはモリス教授の首に腕を巻きつけた。まるでジュディスのようだ。モリス教授の中に流れる媚薬の成分をレイは的確にどんどん吸い上げる。程なくして身体の倦怠感が消え、感情の昂ぶりも落ち着いた。


「レイ、本当に大丈夫?」


「はい…でも、なんだか眠い…かも…」


 程なくして本当にレイはモリス教授の腕の中ですやすや眠ってしまった。

 眠ったレイを抱き抱えてモリス教授はジュディスの部屋の前に行く。遮断は解かれていた。


「入ってもいいかしら?」


 学院長が魔術で扉を開けた。眠ったレイを見て学院長は僅かに笑った。


「隣にでも寝かせておいてやろう。レイは遮断が不安だと聞いていたが、今回ばかりは無理だった」


 学院長は布団をめくる。モリス教授がレイをそっと下ろすと、身動ぎしてジュディスの方に転がった。眠っているのにジュディスが腕を伸ばしてレイの頭を抱く。


「ジュディスは強いが…ジェイドの頃のあの記憶はまだ克服できていないんだ…」


 焼印の破片はフロレンティーナが怒りの炎で消し去った。モリス教授も目撃したが、初めて竜の片鱗を見たと思った。街などあっという間に業火に包まれ消え失せる訳だ。


「あれを飲んだベアトリスも元に戻るのは難しいだろうな…しばらくは媚薬も含めて徹底的に監視下に置ける場所に移すしかない…療養院から出た後は生家にいたはずなのにキャンベル公爵家は何をしていたんだ。しかしロウの家も忙しいから、あれを頼むと言ったら嫌な顔をされるかもしれない…」


「だったらしばらくは沈黙の間辺りで管理するしかないわね。私にはベンジャミンもいるから、もう一人くらい人手があれば何とかなるとは思うわ。ちょうど卒業後の進路に悩んでた子がいたのだけど、研究室に来ないか声をかけてみてもいいかしら?それにベアトリスにだって他の生徒との交流は必要よ。今はかなり分が悪いけれど」


 ジュディスの信奉者が勝手に暴走して戻ってきたベアトリスに嫌がらせをしているのを止めたことがある。ジュディスが現れるまでベアトリスはまるで未来の王妃のように振る舞って、反感を買ってもいた。本人の撒いた種ではあるが、いつでもベアトリスは頂点を目指し孤独に見えた。


「誰からも必要とされないと思ってしまうって…この年齢には辛いわよ。腹を割って話せる友だちが出来るといいのだけど」


 モリス教授は憂い顔のまま、右手を伸ばして学院長の頬にできた傷をそっと消した。

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