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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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 二人は森をぐるりと走って一周して、その後は手合わせをした。程よく疲れたので小川のほとりでウォードとブラッドウッドは並んで座って休んでいた。朝食までにはまだ時間がある。


「今朝の二人…繭みたいでしたよね…これは友人の受け売りなんですが、繭期っていわゆる蜜月みたいなものなんだそうです。ようやくここまで辿り着いたっていう安堵と互いへの信頼とでとても幸福なんだって…」


 ウォードは言いながらどこか遠い目をした。朝靄は消えて徐々に辺りは明るくなり始めていた。


「あの二人はその繭期を奪われて行方不明になってしまった…純白の美しい繭でした。でも飛び散った血の場所からどんどん黒ずんで崩れて…だから今擬似的にそれをもう一度やり直しているように思えてつい見てしまいました。なんかこうずっと見ていたくなるんですよね。美しくて強いものって」


 ウォードはあのとき屋敷の内部に入っていたのだとブラッドウッドは初めて知った。あの未曾有の事件が起こった際、ごく少数の魔力量の強い補助講師が呼ばれたが沈黙の誓いを立てさせられた。血の臭いと腐臭が漂う中、奇形化して気絶した学生をブラッドウッドはひたすら運び出した。その半数以上をウォードが倒したとも知らずに。


「…その知人は…羽化の守を務めたんだな…」


 だが王子も王女もほとんどがあの謎の流行病で亡くなった中、その知人はどうなったのだろう。


「彼は、北方警備隊で司令官の第二王女の右腕でした…王女との婚約も決まり嬉しそうに報告してきたのが最後でした。戦死の知らせを受けて…お嬢も第八王子も戻らないし…柄にもなく絶望しましたね。自分がこんな怪我で引退してなかったら命と引き換えにしてでも誰かを助けられたかもしれないなどと、おこがましいことも考えたりもしました…」


「君は…北方警備隊出身だったのか?私も一時期所属していて任期を迎えて戻ったのだが…」


 警備隊は人数も多いので、すれ違っていても分からないかもしれない。が、ウォードは苦笑した。


「私の出身は北方警備隊ではないですよ。それらしく振る舞ってはいましたが、警備隊の司令官である第二王女に同行を命じられた影の手の一人でした…って、ここは秘密ですよ。大っぴらにするとマズいので」


 まさかこんなところで素顔を晒している王国の元暗殺部隊の一人に会うとは思わずブラッドウッドは絶句する。引退前は一体どれほど強かったのか。けれどもウォードは珍しく自嘲的な笑みを浮かべた。


「魔力を使えなくなって引退しても、剣技ではそれなりに強いと思っていたんです。それがある日、学院長が連れてきた姪だというお嬢にこてんぱんにやられました。あんなに小柄なのに第二王女よりも強くて、何者なんだろうと思いましたね…心を…魂を掴まれたと言ってもいいくらいでした。今も知れば知るほど深みに嵌っていく…って何でこんな話をしてるんですかね。失礼しました」


 ウォードはいつものようににこにこ笑って癖のある茶色の髪を照れたようにかきあげた。最近伸ばし始めて短く切ることを止めているので犬っぽさが増している。ジュディスがわしゃわしゃ触る理由がなんとなく分かる気がした。


「…知ってます?お嬢は時々、学院長のことも下の名前で呼ぶんですよ。とても親しげに。あのくらい揺るぎない信頼を得るまでに互いに何があったのかは語ってくれませんけどね…自分もいつかその境地にたどり着けたらいいなと…」


 珍しく饒舌だなとは思ったが、それが治療後の魔力量の揺らぎからくる高揚状態だと分かったのは後になってからだった。


「ウォード先生も知っているかと思うが…私はクソ真面目で面白みのない男なんだ…だから親しい友と呼べるものがいない」


 ブラッドウッドの呟きにウォードは笑い出す。


「完全ぼっちの私に何を言ってるんです?あなたの周りには誰かしらいるじゃないですか」


「いや、彼らは私の家名に集まってくるだけで、私本人を見てはいないんだ…ウォード先生といると、そうじゃなくて…少し息が楽になる…」


「お役に立てて良かったですよ。私たちは案外この先長くお嬢にお仕えすることになるかもしれませんし、互いに友と呼べる存在になれたらいいなと思いますが、どうでしょう?」


 ウォードは言いながら片手を差し出す。ブラッドウッドは僅かに驚きながらもその手を握り返した。


「いや、こちらこそよろしく頼む…」



***

 


 やがて朝食の時間になった。少し前にソロが目を擦りながら降りてきて、昨夜のことを全く覚えていない様子に、ジュディスとレイ、アマロックは良かったのか悪かったのか判断に困りつつも知らぬフリを突き通していた。


(アマロック、体調はどうだ?なにか異変があったらすぐに知らせろ)


 ジュディスは首の噛み跡に指先を添えて探りながら、心の中で会話する。


(分かりました)


「ちょっと、誰か手伝って下さらない?」


 そのとき外から何故かモリス教授の声が聞こえて、ジュディスは飛び出す。外に出ると風に乗ってかすかに血のにおいが漂った。


「散歩の途中で、こちらが近かったから…この子、あなたやレイとはちょっと色々あったかもしれないのだけど…」


 ぐったりして意識のない少女は金の髪が乱れている。


「…誰?」


 ジュディスが真顔で首を傾げたのでモリス教授は脱力した。


「ベアトリスよ!忘れたの?」


「あー。んー??無理して化粧しない方が可愛いんじゃないですか?」 


「あなた、それ同性にも言わない方が無難よ…」


「はぁ、難しいな。女子らしい女子との会話は苦手なんですよ。怪我でもしてるんですか?」


 見てくれは美しい少女なのに、ジュディスはため息をつく。


「そうなのよ、これ見て。しばらく休んでいて姿を見てなかったから…気付くのが遅れたわ。他にもあちこち…心配なところが…」


 モリス教授は乱れた金の髪を避けた。止血はすでに終わったようだったが、ベアトリスの首にあるのも牙でつけられたような穴だった。



***



 ベアトリスは夢を見ていた。夢の中ではいつもどこか暗い森の中を歩いている。このまま誰も知らない遠くに行ってしまいたいと思った。

 ベアトリスは王子の羽化の守にはなれなかった。が、その後に起きた事件の噂を耳にし、なっていたら自分は死んでいたかもしれないと療養院のベッドで一人思った。媚薬の依存症になったベアトリスは家族からも見放された。誰も見舞いにすら来ない。元々羽化の守になれなかった時点で彼女は見限られたも同然だったが、密かに訪れた人物がいた。第一王子だった。第一王子はベアトリスの話し相手になり愛の言葉を囁いた。第一王子だけがベアトリスを必要としてくれている。最初はそう思っていた。けれども違った。王子が選んだのは同じく療養院にいたダリルの方だった。ダリルの方が役に立つ。君は心が弱く身体も脆いから使えない。残念だ。そう言われた。それでも役に立ちたい。ベアトリスは縋った。


「…で、いつまでもそうやって森をさまよい媚薬に頼り続けるのか?療養院で何も学ばなかったのか?」


 ベアトリスが目を開けると翡翠色の髪の少女が傍らに座っていた。全てを手に入れた少女。ベアトリスにない強さ魔力を持って第八王子の羽化の守を務め長い空白の期間の後に戻ってきた少女。敵わない。


「強いあなたに…私の惨めさなんか…分からないわよ」


 ベアトリスの言葉にジュディスは半ば呆れたような顔をした。


「当たり前だ。私たちは違う人間なんだからな。それに羽化の守になって絆を繋いだって相手の全てが理解出来る訳でもない」


 大人しい少女だと思っていたらどうも違うようだと、ベアトリスは眉をひそめる。まるで少年と話しているかのような。


「…第一王子に何をされた?何か…大切な物を差し出したのか?」


 唐突に問われてベアトリスは動揺する。


「…あなたに話す義理なんかないわよ」


「あるさ。レイも私も殺されかけたからな。あまり喋ると影の手に狙われるから、話せるのはここまでだが」


 ジュディスは立ち上がるとベッドの上に飛び乗った。布団をめくり、ベアトリスの腹に手を当てる。明らかに不自然に膨らんでいる。


「…本当にここにいるのが第一王子の子だと思っているのか?どう逆算しても、とっくに十ヶ月は過ぎている。おかしいとは思わなかったのか?」


 ベアトリスは俯いて沈黙し唇を噛んだ。腕には注射針の跡が点々と続き、あちこちが紫や青に変色していた。


「…誰にも言えなかったのか。一人でこんなに長い間抱え込んで辛かったな。怖かっただろう?」


 自分よりも歳下の少女のはずなのにその声色は憂いを帯びていた。頭を優しく撫でられたことで、うっかりベアトリスは今までずっと堪えていたものを手放してしまった。


「怖いわよ…でもこんなこと…誰に言えば良かったのよ…お父さまにも見限られて…頼れる人なんか…もう…いないのよ」


 ベアトリスは目の前の少女に縋り付いてさめざめと泣いた。少女は黙って背中を撫でてくれた。温かい手だった。

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