晩餐
ソロは大きなテーブルを囲む面々を見渡して萎縮していた。左腕のないのが学院長だと聞いたばかりだ。とりあえずここで過ごす許可を貰えたのは良かったが、剣士のような人たちも現れ派手な美女も入ってきて大人ばかりで緊張していた。が、程なくして先ほどの王子と婚約者、黒髪の青年が白髪の少女を伴って降りてきた。知った顔に少しホッとする。半獣人の自分が同席してもいいのかとも思っていたのだが、白髪の少女は明らかに半獣人だった。通り過ぎた際にまた血のにおいがする。ソロと目が合った少女は何故か首に手を当てて頬を赤くした。
一同が席に着き王子が一言述べた。
「今日は新しい客人も加わりました。怪我のせいで記憶を失っているので、とりあえずソロと呼ぶことにしました。皆もよろしくお願いします。それでは美味しい料理に感謝して頂きましょう」
一同がグラスを持ち上げたのでソロも慌ててそれを真似る。
「食べれそうか?あまり無理はするなよ?」
ジュディスが小声で話し掛ける。いつもはエステルが給仕するが、それだとソロが余計に緊張するだろうとテーブルにはすでに料理が並べられていた。
「作法は気にしなくていいよ。私も適当だ」
そう言いながらも野菜を口に運ぶ所作は美しい。
「共有しなくて大丈夫?」
隣の王子の言葉にジュディスは頷いた。
「レイの血の影響なのかな?今日は味が分かる。あぁいつもは味覚がダメなんだ。ここには私を筆頭に訳アリの面々が多いからソロも気にするなよ」
ソロは頷きながらおそるおそるパンを口に運ぶ。とても柔らかい。スープに入った肉もとても美味しい。夢中になって食べるうちに、何故か涙がこぼれてきた。
横から指先で拭われる。ジュディスはソロの頭をげしげしと撫でてくれた。
「うまいだろ?」
ジュディスの言葉にソロは深く頷いた。その時だった。
「やーん、遅れちゃったわ!ごめんなさい」
慌ただしく駆け込んできた長身の人物にソロは驚く。金髪に変な眼鏡をかけた男性だった。
「ジュディスもサフィレットも今日は災難だったわね。もう大丈夫なの?」
「はい。モリス先生、今日は予定を急に変更してしまって、すみませんでした」
ジュディスが謝罪する。本来なら王立治癒院に同行する予定だったのだ。
「いいのよ…あら?この可愛らしい子はだあれ?」
ジュディスの隣のソロを見てモリス教授は破顔する。膝を折って目を合わせると優しい口調で言った。
「こんばんは。小さなお友だち。私はアラステア・モリスよ。ここの教授で治癒もできるの。食後にジュディスたちも診るから一緒にいらっしゃい」
優雅に立ち上がるとモリスと名乗った男性は空いていた椅子に座った。
「お腹が空いちゃったわ。あら?フロレンティーナ、食欲がないわね。ひょっとして…?」
モリス教授は隣の席の美女に小声で話す。赤い髪の美女は頷いた。
「私、こういうのとは無縁だと思っていたのよね。でも、これがそうなのね…何だか胸がムカムカするのよ…」
「食べられるものだけ食べてテラスで少し休んでいたら?匂いでも気分が悪くなったりしやすいのよ。後で魔力を流してあげるわ」
「そうするわ…」
美女はグラス片手に席を立つ。
「殿方っていいわよね…こういうのとは無縁なんだから。ジュディスもサフィレットもいずれ通る道なのかと思ったら同情するわよ…はぁぁ」
美女の視線の先にいた隻腕の男性が慌てて立ち上がり、美女を支えてテラスへ移動する。一同が物珍しいものを見るような視線を送ったが、程なくしてジュディスは含み笑いを漏らした。
「戦場の獅子も形無しだな」
***
食後に果物をつまみながら、それぞれが休憩していると厨房からアマロックが出てきた。途端に休んでいた騎士二人が立ち上がり敬礼する。
「じゃ、始めるか」
二人はアマロックに連れられて外へ出て行った。不思議そうなソロにジュディスが教える。
「あの料理長はめちゃくちゃ強いんだ。さっきの二人はこれから鍛錬の時間だ」
「そういえば、ウォード先生とブラッドウッド先生は食べ物が少し違っていたよね。ジュディスの差し金?」
隣のレイが尋ねる。
「いや、アマロックだな。鍛えるとなると徹底的に食事の管理から入るんだ」
「わぁぁ…」
テラスでは、モリス教授がフロレンティーナに魔力を流していた。心地良さそうにフロレンティーナは目を閉じている。程なくしてモリス教授はジュディスとサフィレットを呼んだ。
「サフィレットからでいいよ」
ジュディスは言って中庭でアマロックにしごかれる二人をソロが物珍しそうに見ていたので、その隣に腰を下ろした。剣を交える姿を見たソロは目をキラキラさせて興味深そうだった。
「調子の悪さがどこかに残っていたりしない?」
モリス教授の言葉にサフィレットは首を傾げる。まだ少し頭が痛いと言いかけて、モリス教授が首に残る噛み跡に気付いた。
「あら…こんなところに傷?」
言いかけてモリス教授はサフィレットの顔が赤くなっているのに気付く。
「これは…その…怪我じゃないので…」
か細いサフィレットの声にモリス教授は全てを理解して微笑んだ。この年頃の半獣人にはたまに見られる行動だ。サフィレットの頭を撫でながら囁く。
「良かったわね。大事にしてもらうのよ。頭痛は…そうねぇ。薬湯を出しておくから様子をみてみて」
身体全体に掌をかざしてモリス教授は異常がないか確認する。引っ掛かりを感じる古い傷もあった。しかも物凄く厄介な。しかし今は触れぬ方がいいだろう。
「大丈夫そうよ。ジュディスいらっしゃい」
呼ばれたジュディスはソロも連れてテラスに戻ってきた。
「先に診てもらえますか?何だか調子悪そうで…」
みるみるうちにソロは顔色が悪くなる。うずくまったソロは苦しそうに呻いて、食べた物を吐き戻してしまった。ジュディスがその背中を撫でながら、顔を顰めた。顰めながらも指先から水を出して手際良くソロの口内をすすぐ。
「モリス先生…ちょっと触ってみて下さい…」
言われるままにモリス教授はソロの背中に手を当てた。嫌な違和感が指先に伝わる。背骨に沿ってそれはずっと続く。モリス教授はジュディスの片手を握った。心の中で語りかける。
(誰よ。こんなことしたの。これ以上成長出来ないように無理矢理歪められてるじゃない)
(一人心当たりがあるんですけど…多分サフィレットを診たときにも、先生なら気付いたんじゃないですか?同じ痕跡が私にもまだ若干残ってる…)
「えっ…?」
思わずゾッとしてモリス教授は声を上げてしまった。その毒牙に掛かって辛うじて生き残った者を治癒院で見たことがあるが、精神を病んで軟禁状態で過ごしていた。待つのは薬と魔力で徹底管理された中での緩やかな死のみと言っても過言ではない。では何故ジュディスもサフィレットもここまで回復しているのか。
(サフィレットの中の一番酷い記憶は、まだノアの母の呪いが掛かっていた頃にフレディが上から鍵を掛けたんです。あれは何が起こっても生かす為の呪いだったから…でも呪いが解けたことによってノアはサフィレットとなり同時に鍵の効力が少し緩んでしまって…僅かな記憶を垣間見たサフィレットは悩んでました。記憶を封じる鍵は私も昔フレディにやってもらったことがあるんです。神官リシャールに関する鍵はフレディが持っているから、自分では開けられない。多分ソロも誰かが似たようなことをして守ってる…)
鍵は諸刃の剣だ。相手が裏切って開けた場合、それは本人の命を脅かす。揺るぎないお互いへの信頼。学院長とジュディスの間に時折漂う親密さはそれが理由なのかもしれないと、モリス教授は思った。
「ソロは急に食べ過ぎてお腹が驚いてしまったのかもしれないわね。少し魔力で補ってもいいかしら?」
モリス教授は無難な言葉を口にして服の汚れも綺麗にしソロをソファーに座らせる。ソロは素直に頷いた。モリス教授がソロに魔力を流す間にジュディスはもう一つの懸念をモリス教授に心の中で伝えた。
(ソロも、少し前の私と同じで食べ物では栄養を摂取出来ないのかも…魔力を吸う体質の可能性があります)
「…!!」
学院長が以前にもちらっと口にしていたのでモリス教授は辛うじて声を上げることはなかったが、ここに並ぶ三人に共通するのが、忌わしいあの気配かと思うとレイやブルーノ、そしてソロの将来の相手の前に立ちはだかる試練に同情を禁じ得なかった。レイほど変容してジュディス寄りになれば凌駕できるのだろうか。モリス教授には分からなかった。
「ジュディス、この後もう少し話をしましょ」
モリス教授は知れば後戻り出来ないという学院長の言葉を噛み締めながら努めて軽い口調で言った。




