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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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優しい腕

「あなた、おかえりなさい」


 寝室には蠱惑的な目をしたアドリアーナが待っていた。いつにも増して美しく見えるのは、自分が香りをかいで受けた影響のせいではないかとブリジットは思った。

 ブリジットはドサリとベッドに横たわると腕で目元を隠した。かつてアドリアーナを飼っていた男のように欲望を(たぎ)らせた目でアドリアーナを見たくはなかった。けれどもその頬が明らかに赤く、いつにも増して呼吸も乱れていることにアドリアーナは気付いていた。


「ジュディスが角を使ったのね?」


「あぁ…部屋にいても…分かるのか?」


「私だって竜だもの、そのくらい感じ取れるわよ。それに…あなたは奔放を装っているけれど、本当は身持ちが固いってことも…それは、私だけが知ってるわ。よく耐えたわね…」


 アドリアーナにふわりと抱きしめられたブリジットはあっという間にその腕の中で溶けた。ブリジットを抱いたアドリアーナの腕も光り出す。やがてアドリアーナも溶けて二人は一つに混ざり合った。初めての感覚にアドリアーナは高揚した。このまま遠くまでどこまでも流されたいと思ったが、その前に行うべきことがある、と必死に抗う。


(ブリジット…お願いがあるのよ…)


(…なんだ…?)


(私、あなたの子を…産みたいの)


(うん…?)


(だから…セシルを私にちょうだい。あなたは…身軽になって…南へ行くといいわ)


(…えっ?待て!アドリアーナ!!)


 ブリジットは焦ったが、すでにアドリアーナは元の姿に戻っていた。慌ててブリジットも元の姿に戻る。けれども、すでに遅かった。あれだけ膨らんでいたお腹には再び引き締まった筋肉が戻っていた。


「アドリアーナ!?」 


 一方のアドリアーナは満足したように膨らんだ自分のお腹を優しく撫でた。


「セシルも無事よ。あら蹴られたわ。驚いた?そうよね、ごめんなさいね。慣れないわよね」


「アドリアーナ…君は本当に…何かあったらどうする気だったんだ」


 ブリジットは珍しく動揺した顔付きでアドリアーナを見つめたが、不意にその身体を抱きしめた。


「あら、もちろん、経験者に聞いたに決まってるでしょ?何の知識もなく突然やるほど私だって無謀じゃないわよ。その気になればあなたの胸だって引き締まった筋肉にできそうだけど…そこはとりあえず保留にしておいたわ」


 アドリアーナはブリジットの頬を撫でた。


「あの子たちと南へ行きたいんでしょ?私もあなたが行ってくれるなら少し安心できるわ。だってジュディスはいつでも無茶しそうなんだもの」


「あぁ…アドリアーナ。私は…」


 ブリジットは押し黙る。アドリアーナの肩に額を当てていたが、しばらくして嗚咽が漏れた。


「やっと泣けたわね。ずっと我慢してたんでしょ。悔しかったわよね。私だってそう…呪いの発動する夕方を狙うなんて…卑怯者のすることよ。じゃなかったらあんな奴、引き裂いてやれたのに」


 ブリジットがいつものようにアドリアーナを拘束した直後にそれは起こった。強力な魔術道具はアドリアーナでも破壊できない強度を保っている。目の前で襲われたブリジットをアドリアーナは助けることが出来なかった。ただただ悔しかった。その悔しさと憤りをアドリアーナは絶対に忘れない。いつかあの男を滅ぼすと心に固く誓った。アドリアーナはブリジットの背中を優しく撫でる。それでもあの日ブリジットが死なずにいてくれて良かったと思った。舌を噛んで死んでしまうのではないかと思ったが、きつく噛み締めた唇の端から血が流れただけだった。意地でもブリジットは声一つ上げなかった。

 ブリジットは自分の方が大きいのに何故か小柄なアドリアーナに包み込まれている感じがした。この小さな手を守りたいがために屈辱にまみれても生きることを選択した。それだけだった。それなのに今は守られている、そう思った。ブリジットは微笑むアドリアーナを見つめた。


「クレメンスがお腹にいたときもこんな感じだったわ…懐かしい…あの子もさっき少し溶けてたわよ?ジュディスの影響かしら?でもベアトリスがまだで、今夜は諦めたみたい。クレメンスは何にでも果敢に挑むわよね。あなたに似たのかしら?」


 アドリアーナの言葉にフッとブリジットは笑った。照れたように涙を拭ってブリジットはアドリアーナの髪を撫でると口付けをした。


「私だって…欲しいものは譲らない…クレメンスもそうだろうな。近々キャンベル公爵家に乗り込むための日取りを決めようと連絡をしているんだが、梨の(つぶて)だ」


「キャンベル公爵家の後妻って…あなたとは犬猿の仲なのよね?今から会うのが楽しみだわ。南に行く前に決着をつけたいところよね…」


 アドリアーナはクスクスと笑い出す。


「楽しみ?私はあんな性悪には会いたくないぞ?」


「あらそう?性悪なら、なおのこと、こちらがベアトリスを可愛がっているのを見せつけなくちゃね。酷い目に遭えばいいと冷たくあしらっていた子が優遇されているのに気付いて歪む顔が見たいわ…」


 アドリアーナはブリジットと唇を重ねる。甘噛みをしながら覗き込む金の瞳が悪戯な光を帯びていた。


「…この状況を楽しんでいるな」


 ブリジットが片方の眉を上げるとアドリアーナは肩に両腕を回しながら囁いた。


「えぇ。ここにいたら毎日が刺激的で楽しいわ。それはあなたもでしょ?」


「そうだな…退屈する暇がない…蔦も手に入れたしな…日々強くなっていく自分が分かる…」


 ブリジットが掌から蔦を出す。


「あなた、私の蔦が育ったら交配する気でしょ。でも残念ながら、そっちはまだもう少しかかりそうよ」


 アドリアーナはブリジットの蔦に指を絡ませながらクスクスと笑った。



***



 翌朝、朝食の時間にレイの屋敷に集まった者は、皆一様にブリジットのお腹に目をやり動揺した。


「セシルはどこ!?」


 中でも一番慌てたのはアストリアだった。


「まさか…」


 アストリアは青ざめる。ブリジットはアストリアの顔色を見て途端に胸が痛んだ。


「違うんだ。安心してくれ…セシルはアドリアーナが預かってくれたんだ…」


 アドリアーナが遅れて現れる。急にお腹が大きくなってドレスが合わなくなり、調整するのに手間取っていたのだった。


「驚かせてごめんなさいね、アストリア。セシルは元気よ。昨日ブリジットと私が溶けてセシルごと預かったのよ。これでブリジットは南へ行けるでしょ?学院長先生?」


 唐突に話を振られたフレディは眉を上げる。咳払いをして告げた。


「それは私の一存では決められないが…推薦することは可能だ。この学院から留学と称して何人か送り込むこともできるだろう」


「学院長先生!僕も推薦して下さい!留学したいです」


 突然クレメンスが挙手する。全員の視線が一気に彼に集中した。


「クレメンス…これは単なる留学ではない。留学と称したサフィレットの奪還計画だ。それに…」


 学院長は沈黙した。ブリジットが選ばれるなら後継者である彼は残す。国王ならば恐らくそうする。本来ならばレイとジュディスも、たとえ使節団と銘打ってでも行かせる選択などしないはずだった。だがレイが言った。止められても行くよ、と。それならば正式な使節団として送り込んだ方が安全性が増す。たった一人生き残った王子を使節として送る程度には神聖南方王朝を信用している、そう無言の圧力をかける選択をした。


「クレメンス、お前は留守番をしろ。アドリアーナとベアトリスの両方を守れるのはお前だけなんだ…お前に頼みたい」


 ブリジットは優しい目で息子を見た。クレメンスは押し黙る。苛ついたように片手で父と同じ栗色の髪をぐしゃぐしゃにした。


「…父さんだって…レイもジュディスも…ブルーノだって…南に行ったら無事に帰って来れる保証なんてないじゃないか!」


 今度こそ一気にテーブルはしんと静まり返った。ジュディスがおもむろに立ち上がる。


「…そうだな。保証はない。でも…待っている皆がいてくれるからこそ、生きて帰ろうと思えるんだ。少なくとも私はそうだ…。前はいつ死んでもいいとすら思ってた。時間はかかるがやり直せるから。でも…考え方が変わったんだ。眠っている間に限りある命の友とはもう再会できなくなる…」


 クレメンスの金の瞳に映るジュディスは凪いだ湖のように静かだった。レイも立ち上がってジュディスの肩を抱く。


「大丈夫だよ。クレメンス。前のように急に行方不明になったりしないから。それに僕たちは夢の中でなら女神の前庭で会える。離れていても…」


 レイも微笑む。クレメンスの袖を横からベアトリスが引いた。クレメンスは目を閉じると、小さなため息をついた。


「分かった…その代わり…前庭に来なかったら、南だろうが北だろうが…地の果てまで君たちを探しにゆく。僕は自慢にもならないが友人が少ないんだ。これ以上減ったら困る」


 クレメンスは椅子に座るとグラスに入ったモリス教授のお茶をぐびぐびと飲み干した。


 テーブルの端にいたヒューバートはクレメンスの発言を意外に思った。彼は整った顔立ちで付き合っている美しい女性もいる。勝手に大勢の友人に囲まれている自信ありげな人物に見えていたせいだった。


(人は見かけによらないな…)


 女神の前庭についてはよく分からなかったが、ヒューバートは初めてここでクレメンスという人物に対して興味を持った。人との関わりを極限まで避けていた彼が、モリス教授やアウレリアのように自分からこちらに関わってきた人物以外に興味を示したのは初めてのことだったのだが、そのときのヒューバートはその事実に気付いてはいなかった。


 

 

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