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黎明

 沈黙の間の監視室の奥にある仮眠用の狭いベッドで目覚めて、背中が少し痛かったにも関わらず、モリス教授は密かに喜びを噛み締めていた。

 真夜中に魔力暴走を起こした生徒がいて多少苦戦したものの、怪我人も出ずに済んでホッとしていた。対応に疲れたミシェルと魔力交換を行っているうちにうっかりそのまま寝てしまったらしい。ミシェルを起こさないようにそっと起き上がる。美しい黒髪を撫でて静かに外に出た。

 まだ辺りは薄暗いが、東の空は白み始めていた。ひんやりとした空気を吸い込む。日の出前のこの時間帯がモリス教授は好きだった。


(ジュディスとレイが戻ってきた…)


 その知らせを聞いた瞬間、これまでの鬱々とした気分が一気に晴れやかになったことにモリス教授は気付いていた。だが二人の周囲には連日人集りができていて、なかなか個人的には話す時間がない。聞きたいことは山ほどあったが、あの第七王子の屋敷の惨状を目にした衝撃はなかなか拭い去ることができなかった。

 しかも、あの場に二人もいて巻き込まれたと聞いたときの絶望感。負傷した学院長が屋敷を外から大規模に遮断していたので最初は何が起こったのか分からなかったが、やがて黒尽くめのどこか不気味な気配の魔術師たちが十人ほど現れて中の始末を行って去っていった。途中遮断を強化するために学院長に呼ばれて近寄ると濃厚な血の臭いと腐臭が漂ってきて吐き気を催した。いまだに屋敷は封鎖されたままで立入禁止となっている。あの不気味な魔術師たちが王家の「影の手」と呼ばれる者たちだと知ったのは学院長が連行されて行った後のことだった。

 副学院長である魔術史学者のハワード教授が臨時で学院内をまとめることとなったが、彼は元より書物庫に籠もって古い歴史書を読むのに夢中で、副学院長とは名ばかりの立場であったため、高齢の彼の補佐としてモリス教授が入ることになった。その期間モリス教授は実質、学院内の全ての権限を掌握し頂点に立ったも同然であったが、彼はちっとも嬉しくはなかった。何のことはない。目が回るほど忙し過ぎてその権限を行使する余裕すらなかったからである。フロレンティーナがいなかったら過労死していたかもしれなかった。


「やあ、おはよう。年寄りじゃないのに早起きだね君も」


 森の方へと歩みを進めると、そちらから出てきた人影に声を掛けられた。白髪頭のハワード教授である。小柄な教授はニコニコしながら、淡い水色の瞳でモリス教授を見上げた。


「おはようございます。散歩ですか?」


「まぁ…そんなものかの。第八王子の屋敷の方をぐるりとな。そうすると寿命が延びるような気がしての」


「散歩は健康に良いですものね」


「ところでモリス教授、君は歴史書をインクで塗り潰した世代か?それとも集めて燃やされた世代かね?」


 急に何を言い出すのかとモリス教授は思いながらも、学生の頃に突然学院内に軍人がやってきて歴史書を集め、目の前で全て燃やされたことがあったのを思い出した。


「後者ですね…燃やされましたね」


「わしはあの頃、辺境の魔術学校の教壇に立っておったんじゃが、歴史を曲げてはならんと思って信念を貫いた。そうしたら投獄されてな。それはもう酷い目に遭ったわ」


 小柄なハワード教授をモリス教授は意外な思いで見返す。いつも穏やかでそんな出来事とは無縁な印象があった。


「この度、学院長が連行されたときにそのときのことが過ってしまって肝が冷えたわ」


「そうだったんですね…それは…何も知らずに、すみませんでした」


「あれは夢だったのか…何日も責め苛まれて、意識が朦朧としたわしの前に、あのお方が現れたんじゃ。あのお方は、信念を捨てろと仰った。紙に書かれた歴史など曲げてしまっても構わぬから、わしに生きろと。その後、拷問官の前で何を言ったのか記憶がなくての。気付いたらわしは釈放されておった…」


「あのお方…?」


 モリス教授の声色にハワード教授は苦笑した。


「戻ってきた第八王子の羽化の守を見ていたら何故か急にあのお方を思い出してしまっての。やはりあの美しい髪色かの。いやいや、老いぼれの迷いごとと思って聞き流しておくれ」


 ハワード教授はモリス教授の腕をぽんぽんと叩くと、僅かに片足を引きずりながら通り過ぎてゆく。その後ろ姿を見送ったモリス教授は、自分も第八王子レイの屋敷の方を散歩してから、研究室に戻ることにした。


***


「ちょっとレイ、それは緩めすぎだってば」


 隣で水をバシャバシャ蹴りながら、ジュディスが笑う。レイの身体感覚を掴むために始めたはずなのにいつの間にかすっかり遊びに興じている。川の中に足を浸けたレイはつま先を光る蔦に変えて流れに乗せてゆらゆらと漂わせていた。


「気持ちいいよ、ジュディスもやってみたらいいよ」


 レイは水面にきらめく蔦を見ながら傍らのジュディスに向かってニコニコと笑った。もっと自分の身体の変化にショックを受けるかと思っていたジュディスは、レイの反応に拍子抜けする日々だった。戻ってきたらレイもジュディス同様に睡眠時間が極端に短くなってしまった。怪我により減った体内の魔力量と精霊の血で変わった体質を安定させるのに、昨晩も魔力交換を行いながら眠ったが、二時間寝たか寝ないかでレイは目覚めてしまった。それにようやく春になったとはいえ、まだ水温は低い。にも関わらず室内用の薄着でも二人は平気だった。


「レイは簡単に蔦になっちゃうなぁ…私も昔はそうだったけど、今は色々あってちょっと制限してるんだよ」


 川の流れに右手を入れたジュディスは人差し指から細い糸のような蔦を出した。するすると伸ばしてレイの足の蔦を絡め取る。


「ちょっ…くすぐったいってば!ジュディス!」


 レイはひとしきり笑ったが、ふと真顔になってジュディスを見た。ジュディスも頷く。


(誰か来る…)


(うん…ちょっと隠れようか)


 二人は周囲を遮断して息を潜めた。程なくして森の小道を歩いて来る人物が誰なのかに気付いて、まだかなり距離はあったが、レイとジュディスは悪戯な笑みを浮かべた。


(ちょうどいいところに…)


(捕まえよう)


 二人は足音を立てずに素早く移動する。するすると木に登り、やってきた人物がその木の真下を通過するのを見計らって左右から同時に飛び降りた。


「…!!」


 ジュディスが素早く手で口を封じたので、彼は悲鳴も上げられずに地面に倒れ込む。左右からのぞき込む美しい顔は悪魔にも見えて、およそこの世の光景とは思えなかった。顔立ちは違うのに双子のようにも見える。瞳の色が片方入れ替わったせいだろうか。押し倒されたまま、モリス教授はしばしその美しい生き物の姿を堪能した。


「モリス先生、油断し過ぎですよ」


「…でもちょうど良かった。先生が来てくれて」


 ニコニコしながら、ジュディスとあまり大差ない大きさになったレイが続ける。この自分の置かれた状況下から考えて、モリス教授はあまり好ましくない事態に巻き込まれる予感しかしなかった。


「…なんなのよ。あなたたち…」


 ようやく身体を起こすと、ジュディスは世間話でもするかのような軽い口調で、モリス教授にとっては衝撃的な内容を口にした。


「レイが半分ほど人じゃなくなったから、魔力交換すると余計なのまで混ざっちゃって。先生も微調整に付き合ってもらえると助かるんですけど、お願いできますか?」

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