僕の母の話 後日譚
後日譚です。これでシリーズ最後となります。
母がお骨となり帰宅した日の夜、お寿司や唐揚げやその他のご馳走がテーブルにたくさん並び、同じくらいのビールやお酒と、たくさんのジュースも並び、親族や近しい人達と宴会となった。僕も好きなように飲み食いした。なんかいろんな人から励ましみたいな声をかけられた気がするが、あまりピンとこなかった。そして父の上司以外は覚えていない。なぜ父の上司を覚えていたかというと、眼の前でいきなり前歯を外してみせたからだ。さすがにびっくりしたので印象に残っていた。
時系列は定かではないのだが、母の遺体が帰宅してからこの宴会までの間に、
「母が死んだのはおまえのせいだ」
的な事を言われたのをハッキリ覚えている。誰かはハッキリ覚えていない。なんとなく、『母』ではなく『姉ちゃん』と言っていたような気もするから、叔父だったかもしれないが、確信はない。誰かに言われたということだけは覚えている。後にこの言葉は長年の間、僕の心に暗い影を落とし、常につきまとい、多感な時期に苦しめられる事となる。
この頃、納骨まで毎日母を弔うため、焼香に使う火種と線香の点火の仕方を覚えた。すると大人に凄く褒められた。得意になった僕は、火を点ける時になると率先して得意気に点火し、褒められ待ちを度々していた。
母は突然僕らの前からいなくなった。当然生活はがらりと変わる。父は当時働き盛りの中堅営業職で帰りも遅く、さすがに幼い子供2人を育てながら仕事をしていくのは無理があった。なので僕ら兄妹は地方にある父方の祖父母宅に預けられ、父が仕事の合間に様子を見に来ることとなった。そのため住んでたマンションは引き払うことになった。
この2年後、父は再婚し義母が新たに家族の一員となってくれるのだが、この生母の件により僕は自覚なく、決して満たされない母を求めるガチガチのマザコンになっていた。困った事に、義母は美しい女性だった。更に悪い事に、ちょうど僕は思春期を迎えつつあった。そのため、これらがごちゃ混ぜになりガッツリ拗らせた挙げ句、エディプスコンプレックスみたいな状態になり義母に大迷惑を掛けることとなるのだが、それはまた別のお話。
一応、義母の名誉のためハッキリさせて置くのだが、義母に大迷惑はかけ続けたものの、『過ち』は一切無かったことだけはきちんと述べておく。義母がしっかりした人間だったのが全てだった。正直、今でも義母には全く頭が上がらない。
自分はこれまで、余程親しくなった人以外にはこの話をすることは無かった。父に止められていたからだ。だが、飲み会などで興が乗った時に、たまに『どこにでもあるごく普通の家庭の話』として笑いながら饒舌に話すことがあったのだが、こちらがげらげら笑いながら話してると、大抵聞き手が泣いている事が多かった。何故かは今でも分からない。
また余談として、父が無理心中考えていたこと、僕が自己嫌悪で死のうとしたけど痛いのが怖い臆病者なので死に切れなかったこと、などなどがあったりするが、
そんなものは、よくある、ごく普通の家庭の話でしかないのだ。少なくとも、ごく普通の人間である僕にとっては。
読んでくださった方ありがとうございました。
これは幼い『僕』の目から見たノンフィクション、事実です。こんなこともあるんだ、と、読み物として楽しんで頂ければ幸いです。