7話
神様、私はなにかしましたでしょうか。
愛していた夫から複数人と浮気をされていたことすら耐え難い事実であるのに、どうしてこれ以上私を苦しめるのでしょうか。
全部全部秋斗のせいであることは理解していても神に縋るしかなかった。
仕事から帰宅をして、ここ最近ポストに毎日入っている脅迫状を取り出しながら、滲んだ涙を雑に拭う。
そう、ここ数日で浮気相手の女から酷い嫌がらせを受けるようになった。
相手を特定できていないが、内容からして浮気相手の女に違いない。
3人がそれぞれ嫌がらせをしてきているのか分からないが、多種多様な方法で私を傷つけにきていた。
脅迫状は白い紙何枚にも「離婚しないと殺す」といった脅迫まがいの文言や私に対する罵詈雑言が書きなぐられている。
管理人に相談をして監視カメラを見せてもらったが頭を使ったのかパーカーのフードをすっぽりとかぶっており、顔が見られなかった。
こんな紙今すぐ捨ててしまいたいけど、後々何かの役に立つかもと保管はしている。
他にもイタ電や駅の階段から突き落とされるといったこともあったが、電話は着信拒否をすればかかってこないし、階段の件は駅で大騒ぎになって以来2回目はなかった。
うんざりとため息を吐くと、タイミングよくスマホの通知がなる。
ああ、いつものかと眉をしかめてうんざりした気持ちを隠さずスマホ見る。
一体どこから私の個人情報が漏れているのか、スマホには捨てアドから大量のメールがきていた。
もしかしたら秋斗が教えてている可能性もあるかもしれない。
メールにはつらつらと秋斗との惚気話が盛大に書き綴られている。
どれほど愛してもらったか、大切にしてもらったか、私にマウントを取ることに一生懸命なご様子。
これも証拠になるだろうと嫌々だがスクリーンショットをとっている。
よくこんなに毎日時間がとれるものだと逆に関心しながら、慣れた手付きでメールを確認するがとあるメールに動いていた手が止まる。
「……なにこれ」
それはホテルかどこかで着替えをしている秋斗を盗撮した写真が丁寧に添付されていた。こんな写真を撮られていて今までよく隠し通せていたと関心してしまう。
「あはは、ははっ、あはははっ、あー、馬鹿じゃないの?」
なんだか全てが馬鹿らしくなってきてしまい笑い声が止まらない。
ガランとした部屋に乾いた笑いが不気味に響いていた。
馬鹿らしい、本当に全部が馬鹿馬鹿しい、私たちの結婚生活が2年も続いたのは浮気相手たちのさじ加減だったのだ。
こんなはっきりとした証拠があったのだから、いつ私たちの関係が崩れてもおかしくなかった。私だけ何もしらず、氷一枚の上に吞気に立っていたことに漸く気づかされた。
秋斗のことはもう愛していないから惚気だってどうだっていい。
だけど人から意図的に傷つけられようとして平然としていられるほど強くない。
こんな言葉でも鋭利な刃を持っていて私の心に傷跡をつけていく。
秋斗に相談することも考えたが結局はできなかった。
深夜になって帰ってくる浮気をした夫に何を相談するというのか。
この苦しみを与えた張本人なのに!
万が一にも相談をして、彼が浮気相手側だったら?
私にとって秋斗は最早信頼すら足らない人間なのだ。
「ああ、早く離婚したいなぁ」
力なくその場に座り込み、生まれて初めて受ける明確な恨み、私の不幸を願われる恐怖にぼろぼろと涙を流す。
全部全部、離婚をすれば済むことだから。今は耐えるしかない。
自分に言い聞かせても不安は消えることがない。ずっと背中にまとわりつく。
いつになっても苦しみからは逃げられないよ、と。
身も心もぼろぼろになっていることを実感する日々。
満身創痍で、あと一つ何かがあればコップの水は溢れかえるだろう。
どうせ眠れないのだから今日は秋斗が帰ってくるまで待っていよう。
いつまで経っても記載してくれない離婚届を待つのではなく、絶対にその場で記載をしてもらうのだ。
そうじゃないと、そうしないと、私、本当に壊れるかも。
今辛うじて生きていられるのは彼らに負けたくないという心持ち一つ。
通勤すら一苦労で息が上がるようになってしまったこの体を何とか動かして自宅のフロアまでつけば、眩暈がしてしまう。
今は本当にやめてほしいのに。
部屋の前に人影がある。
あの町で声をかけてきた愛らしい女の子が立っているようにみえる。
「あ、おばさん、綾のこと待たせすぎ!」
その子は私に気が付いたのか、艶やかな髪を靡かせながら振り返り、毒を含んだ笑みで私に微笑んだ。
「わぁ、おばさん、酷い顔!ただでさえ綾より可愛くないのに、女として終わってる~。それじゃあ秋斗さんも愛想つかせて正解だよ~」
「……何の用ですか?家にまでくるのは常識がないんじゃないですか?」
猫なで声とでもいうのだろうか、甘ったるい喋り方が耳につき、痛い頭を余計に不快にさせるせいで大人らしい対応が一切できずけんか腰になってしまう。
しかし、余裕がないのは彼女もらしく、たった数秒の言葉で目を吊り上げてキンキンと甲高い声で喚き散らす。地団駄を踏む様子も鬱陶しい。
「常識がないのはそっちでしょ!?あんたが秋斗さんを束縛するせいで私に会いに来られないじゃない!」
どうやら要件は秋斗の訪れがなくなったことへの苦情のようだった。
お生憎だけど秋斗は深夜まで帰ってこないので、私のところにいる訳でもない。可哀想にあなたも私も所詮遊びだったということ。
「最近秋斗は深夜まで帰ってきませんが、あなたのところには行ってないようですね?他にも愛人がいるみたいですし、あなたには飽きたのかもしれませんね。こんなヒステリックな女の子は飽きて当然かと思いますが、…っ、冷たっ!」
直接的な言葉を投げかければどうやら図星だったもよう。
わなわなと震えていた彼女はもっていた水をかけて喚きながら必死に現実を歪ませる。そういうところも、言葉で勝てないからと水をかけるのもまるで子供を相手にしている感覚がする。
「うるせーんだよ!クソばばあ!お前のせいで秋斗さんと結婚できない!お前さえいなければ全部解決なんだよ!消えろ消えろ消えろ!」
「浮気相手なんかじゃなくてちゃんとした恋人を探した方がいいですよ」
「お前!秋斗さんと結婚してるからって調子に乗るなよ!」
「乗るつもりありませんよ、秋斗は私に興味ありませんので」
「っ~~!このクソばばあ、あんたさえいなければ!」
可愛さなどどこにあったのかと思うほどに顔を歪ませたこの子は私に掴みかかってくる。そんな顔を秋斗に見せたのなら逃げ出されたのも納得できるほど。
このまま好きにさせてもよいが、ここは賃貸のマンション。他にも人が住んでいる。この子の大声にざわざわと人が集まってきているので一先ずは切り上げなくてはなるまい。
「今日のところはお引き取りください。警察を呼びますよ。また、今後家に来るようでしたらストーカーとして被害届を提出させていただきます。」
彼女も漸く人だかりができてきたのを理解したのか逃げるように帰っていった。
私も少し集まった人だかりに頭を下げて自宅へと逃げ込んだ。
ひそひそされるだろうが、どの道この家を出ていくのだからさほど気にすることではない。
静かな玄関でほっと一息つくものの頭が割れそうなほど痛い。
痛すぎて吐き気までしてきた。視界もなんだか定まらない。
あ、もう限界だ。
綺麗なほどに視界は黒一色になった。