赴京記-都へ向かう記 第五章 松柏の下で
曲阜の孔子廟は、もともと孔子の故居であり、孔子の死後、東周の魯哀公によって建立された。その後、歴代の皇帝によって拡張され、まるで宮殿のような壮麗な廟宇となった。各院の周囲には柏と檜が植えられ、鱗のように細かく繊細な葉が風に揺れている。廟内にはいくつもの建築があり、その中の「大成殿」には、多くの参拝客が集まっていた。
その群衆の中に、米色の右衽衣を身にまとい、特殊な形の「六合一統帽」を被った少年と、絹織の灰色盤領衣に四方平定巾を纏った年上の少年の姿があった。二人は孔廟の壮大な建築とその配置に圧倒されていた。
「我が故郷の孔子廟は、ここまでの規模ではない……今日、聖人・孔子の故居を拝し、その偉大さを改めて実感した」
そう語ったのは、蔣舜仁だった。
「なんだか、あまりの驚きで話し方まで変わってるな……まあ、気持ちはわかるよ。俺も、こんな壮観な建物は初めて見た」と、李士良が返す。
「やはり、来てよかった……視野が広がった気がする」
「てっきり、試験の成功を祈りに来たのかと思ってた」
「それは自分の努力次第だ。神頼みすることじゃない。孔子を拝むのに、功利的な願掛けなんて必要ない」
二人は参道を歩き、小道へと入った。その道の両脇には柏の木々が生い茂り、日差しを遮っていた。小道脇に腰を下ろし、水を飲みながら、しばしの静寂が流れた。
そして突然、蔣舜仁が言った。
「なあ、京師に着いた後、お前はどうするつもりだ?」
李士良は少し考え、こう答えた。
「京城近くの町で仕事を探して生計を立てるつもりだ。洛陽の狐どもの拠点からは、できるだけ遠くに……あとは運次第だな」
「定まらぬ流浪の生活を続けるくらいなら、一緒に閩南へ戻らぬか? あそこは湿気が多くて暑いが、豊かで住みやすいぞ」
「だめだ。狐どもに見つからないようにしないと。それに、俺と一緒にいれば、お前にもまた迷惑がかかる」
「それは心配するな。吾には策がある」
「奴らは広大な商業ネットワークを持ち、俺と同じような人狼の傭兵も使ってるんだ。お前みたいな書生じゃ、太刀打ちできない」
「だが、吾にはお前がいる。お前の武芸の腕は、旅の中で十分見てきた。お前がいれば、奴らから吾を守ってくれる」
「……それで? 具体的に、どうするつもりなんだ」
「丹薬に使われる赤蓼、あれって染料にもなるんだろう?」
「そうだよ。藍染にも使える。でも、それがどうした?」
「吾は官吏になるのをやめるつもりだ」
「なに!? じゃあ、今までの旅は……なんのためだったんだよ」
「進士になったところで、すぐに官職が得られるわけではない。だったら……」
「だったら?」
「だったら、科挙に合格した名声を活かして、租税と徭役を免除された立場で、大きな染布商を始める。赤蓼を藍染の名目で大量に仕入れれば、洛陽の狐どもは丹薬の材料を手に入れられなくなる」
李士良は、思わず目を見開いた。彼は蔣舜仁の大胆な構想に驚きつつも、その危険性を理解していた。
「そんなことしたら、供給が途絶えたことに気づいた奴らは、お前の命を狙ってくる。絶対にやるべきじゃない」
「だからこそ、お前がずっと傍にいてくれれば、吾を守ってくれるだろう。お前は吾の盾になり、吾はお前の後ろ盾になれる。これなら、街での放浪生活よりずっといい」
李士良は苦しげに、感情を抑えきれずに言った。
「……それは、危険すぎる……お願いだから、そんな無茶はやめてくれ……俺一人なら、どうなっても構わない。でも、お前にまで被害が及ぶのは……もう、嫌なんだ……」
蔣舜仁は、目をまっすぐに見て言った。
「吾はお前を守りたい。吾には、故郷の民を救う力はないかもしれない。だが、せめて、今そばにいるお前だけは守りたいのだ」
そう言って、彼は李士良を抱きしめた。
「お前の恩に報いたい。せめて、これくらいはさせてくれ。そうすれば、お前ももう放浪せずに済む」
李士良の心に、あの日からの記憶がよみがえった。人間社会で拒絶され、狼として蔑まれ、逃げ続けた日々。しかし、蔣舜仁と出会ってから、初めて光を見た気がした。黎景という狐の助けもあり、外の世界が必ずしも残酷一色ではないことも知った。
──それでも、この人に頼ってもいいのか? 本当に信じていいのか? わからない……でも、どのみち逃げ続けるだけでは、やがてどこかで力尽きてしまうだけ……
「……わかった。お前についていく」
李士良は、涙を流しながら答えた。
「……ありがとう。でも、すごく怖い……お前が、狐どもに殺されるんじゃないかって……」
「努力すれば、きっと奴らに勝てる。そうすれば、お前も安心して暮らせるようになる」
二人は長く抱きしめ合い、李士良の感情が落ち着くまで離れなかった。
──柏の木立の下で、未来の不確かな二人の少年は、互いに誓いを交わした。
この先、彼らを待ち受けるのは、試験よりも遥かに厳しい闘いになるはずだ。だが、彼らは決意した──どんな困難が待とうとも、この道を共に歩むのだ、と。
参考文献
丁援ほか『第3章 中国伝統建築の類型』、『一冊でわかる:中国建築』、新北市:聯経出版、2015年9月。