赴京記-都へ向かう記 第二章 船と異郷人
ある室内の空間で、狼のような姿をした二人の者が格闘技の練習をしていた。年少の方が拳を繰り出したところを、年長の方がその拳を受け止め、逆に地面へと投げ倒した。
「お前は自分の怪力に頼りすぎている」年長の男が言った。
「うっ……ああ……」投げられた方が苦しげな声をあげる。
「今のお前の技量では、初任務には到底足りない」年長の男は再び言った。
「それは話が違う。商会はどうして俺にこんなことをさせるんだ?」年少の者が言い返す。
「話が違う?あの狐どもが約束を守るとでも?お前があそこに加わったその瞬間から、駒として使い捨てられる運命だったのさ」
年長の男は手を差し伸べ、年少の者を起き上がらせた。
満月の浮かぶ夜、柳の木が湖畔を囲む庭園で、風に乗って柳絮が舞っていた。その庭の中、小さな亭にて三人の士大夫が酒を酌み交わしながら歓談していた。
「『未若柳絮因風起』──」
青色の盤領衣を身にまとい、四角い平定巾を被った男が言う。
「私は嶺南の生まれで、ここに赴任するまで、このような風景を見たことがなかった。あの詩句は柳の葉が風に舞う姿を詠んだものだと、ずっと思っていた。」
「晋地に赴任してもう長いだろう。そろそろこの土地にも馴染んできたのではないか?」
別の四方平定巾を被り、右衽の白衣を着た男が尋ねた。
「どうにも慣れないこともある。たとえば、前に洛陽商会が起こした騒動などは、判断が非常に難しかった」
青の盤領衣の男が答えた。
「その件では、師爺と長く議論していたらしいな。洛陽商会の権勢は大きく、敵に回すのは厄介だからな」
三人目の、盤領の藍衣を着た男が言った。
「だが、どう見ても無理やりあの広大な土地を買い取って煉瓦窯を作ろうとするなど、あまりに横暴だ。元からある窯業の生計を脅かす……」
その言葉が終わる前に、庭の奥から騒がしい声が上がった。衛兵たちが音のする方へ一斉に駆け出す。士大夫たちは皆、視線をその方向に向けた。
やがて月明かりの下、彼らは二つの影が庭の塀を飛び越えるのを目撃した。驚愕する彼らの目の前で、その影はまっすぐこちらへ向かってくる。
いや、あれは人間ではない。人の体をしてはいるが、顔が──頭部が──狼なのだ。間違いなく、狼の頭部を持っている。
一人が繩付きの笠のような武器を投げつけ、右衽白衣の士大夫の頭を覆った。繩が引かれると同時に、彼の頭は笠の中で潰され、鮮血が噴き出した。場は一気に混乱へと陥る。
笠型の武器は元の投擲者の手元に巻き戻り、その者の姿が明らかになる。狼の面を持つ、筋骨隆々とした大男だった。
もう一人が後から駆け寄ってくる。年若く見えるが、こちらも狼の顔をしていた。手には弩を握っており、士大夫たちに向かって放った。
最初の矢は柱に突き刺さったが、すぐに弦を引き直し、次の一射で藍衣の士大夫の頭を撃ち抜いた。
青衣の士大夫は恐怖に駆られ逃げ出そうとしたが、数歩も進まぬうちに狼の大男に取り押さえられ、脚を捻じられて激しく悲鳴を上げた。
男は士大夫を放し、彼は地面に尻もちをつく。
「やれ」
狼の大男が弩を持つ若者に命じた。
その若き狼は数秒のあいだ躊躇い、震える手で、狐の文様が彫られた手首を見つめながら、ゆっくりと引き金を引いた──
蔣舜仁は夢の中で、誰かに背負われて走っているような感覚を覚えた。やがて足音は次第に遅くなり、そして止まった。
彼は誰かが話している声を朧げに聞いた。さらに、袖口の中に何かが差し込まれる感触があり、それから地面にそっと降ろされた。床が微かに揺れているようだったが、まだ意識ははっきりしない。
必死に「目覚めよ」と心の中で何度も唱えながら、ついに彼の目がゆっくりと開かれる。
目に映ったのは、帆の下に広がる船の内部。そして、すぐ隣には李士良が心配そうに彼を見つめていた。
「よかった、やっと目を覚ましたね、永仁」
蔣舜仁は周囲を見回した。自分たちは今、どうやら船の中にいるらしい。そして袖口を探ると、驚いたように言った。
「吾輩は……なぜここに……? あれ? 銀子は?」
李士良は少し申し訳なさそうに答えた。
「追手はもう撒いたよ。ここは運河を北上する漕運船だ。でも……その、蔣永仁、すまない。君がなかなか目覚めなかったから、勝手に君の銀子を使って船賃を払ったんだ」
自分の金を勝手に使われたことに、蔣舜仁は一瞬不満を覚えたが、考え直した。李士良がそれをしなければ、今こうして船に乗って逃げることはできなかっただろう。仕方のないことだった。
「構わぬ」
彼はそう答えた。
李士良はほっとしたように微笑み、続けて言った。
「でも、支払えたのは濟寧州までの運賃だけなんだ。それ以降は下船するしかない。永仁、君はまだ銀子を持っているかい?」
「確認してみよう。吾の行囊はどこだ?」
李士良の顔が少し曇った。彼は傍らを指さした。
そこには破れた行囊と、一つの笠状の武器が置かれていた。どうやら追手から奪ったものらしい。
蔣舜仁は慌てて袋の中を確認した。数冊の書物や私物のほか、残されているものはほとんどなかった。
「荷が……襲撃の時に破れてしまって……」
李士良は困ったように言った。
蔣舜仁の手は震え始める。彼は袖から銀子を少し取り出し、再び袋の中を探ったが、票號で換銀するための伝票は見つからなかった。どうやら失ってしまったらしい。
彼の手元には『四書集注』といくつかの書物、そしてごくわずかな私物しか残っておらず、北上する旅費としては到底足りない金額だった。
二人の間に沈黙が流れる。
やがて、李士良が口を開いた。
「船主と交渉してくるよ。もしかしたら、働かせてもらって賃金を得られるかもしれない」
彼が立ち上がろうとすると、蔣舜仁が手を挙げて止めた。
「吾が行こう。吾輩は貢士だ。肩書きがあれば、交渉もしやすいかもしれぬ」
蔣舜仁は立ち上がり、船室へと向かった。船内にはわずかな乗客しかおらず、大半の空間は大量の荷で埋め尽くされていた。
彼は一人の水夫のもとに近づき、言った。
「吾輩は貢士だ。船主と話をさせていただけぬか」
水夫は頷き、彼を船主のもとへ案内した。身分を伝えられた船主の前で、蔣舜仁はひざまずいた。
「どうか吾と吾が仲間に働かせてください。京に向かう道中、旅費が必要なのです」
船主はその突然の行動に驚き、すぐに彼を立たせた。
「ちょうど綿の荷が多くて人手が足りなくてな。お前の仲間が手伝ってくれるなら助かる」
彼は誠実な表情で笑みを見せ、続けた。
「帳面もつけられるか?」
こうして数日のあいだ、蔣舜仁と李士良は船主のもとで働くこととなった。李士良は船荷の搬出入を手伝い、蔣舜仁は帳簿を担当し、貨物と乗客の数、金銭の記録を日々書きつけていた。
ある日、船が市鎮に停泊したとき、蔣舜仁は船室から降りてきた。李士良は、袋に詰められた綿を船から下ろし、大きな木箱を次々に積み込んでいた。その箱は二人がかりでないと運べぬほど重く、李士良は袖をまくり、汗を流しながら作業していた。
ふと、その腕に目をやった蔣舜仁は、これまで気づかなかった模様を見つけた。獣のような姿をした、何かの印が彼の手首に刻まれていたのだ。
(あの印は何だ……?)
近ごろ、彼の疑念は日に日に増していた。
なぜ、自分たちは武器を持つ者たちに追われたのか?
たとえ李士良がどこかの地主から逃げ出した身だとしても、奴婢一人を捕まえるために、あれほどの戦力を動かす必要があるのか?
あのとき市街で、人々が一斉に眠りに落ちたのはなぜだ?自分の記憶には、睡眠薬のような香りはまったく残っていない。
襲撃者たちが使ったあの奇妙な武器──まるで見たことのない仕掛けだった。それを李士良が使いこなしていたということは、彼はすでに使い方を知っていたのでは……?
そして何よりも──
あの、狐のような顔をした男。
手はまるで獣の爪のようだった。
まるで志怪小説に登場する妖魔そのものではないか……。
(李士良……お前も、まさか……)
その夜、夕食を終えた後、蔣舜仁は李士良に声をかけた。
「少し、外に出て話そうか」
二人は船の後部へと歩いていった。夜風が運河の水面を撫で、静謐な雰囲気が辺りを包んでいた。その落ち着いた空気は、心の内を語るにはふさわしい。
何から話せばいいかわからず、蔣舜仁は無理に口を開いた。
「なあ、知っているか? この漕運船は、商人の荷を町へ運ぶことで生計を立てている。たとえば、あの綿は上海で採れたもので、市場で加工されてから売られるんだ。面白いとは思わないか?」
李士良は真剣な面持ちで言った。
「君が僕をここに呼んだのは、綿の話をするためじゃないだろう?」
蔣舜仁の顔も真剣になった。
「お前の手首に、何か刻まれているようだった」
李士良はとっさに手首を押さえた。
「……たいしたことない」
「いや、知りたいんだ。お前は……普通の人間ではないのか? 追ってきた連中も……人間ではなかったのでは?」
蔣舜仁は続けた。
「頼む、真実を教えてくれ。でなければ、これ以上一緒に京へ向かうことはできない」
李士良は目を伏せ、小さく言った。
「……わかった。なら、ここで別れよう」
彼は踵を返そうとしたが、蔣舜仁が彼の手を掴んだ。
「頼む……話してくれ。吾も共に背負う」
その眼差しはまっすぐで、偽りのない誠実さを帯びていた。
李士良は何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。
「これは……君みたいな儒生には、到底受け止められない話だ」
「構わぬ」
蔣舜仁の声には、確かな決意が込められていた。
彼の揺るぎない眼差しに、李士良はついに折れた。
「わかった。すべて話そう。聞いたあとで僕を拒絶しても、責めはしない」
「……話してくれ」
李士良は手首を押さえていた手をそっと離し、刺青を露わにした。それは、狐のような姿をした印だった。そして、彼は帽子を取り外した。
髪がさらりと落ちると、蔣舜仁の目に、彼の頭から突き出た──獣の耳が映った。
──我が祖は、漢の時代に現れた一群の錬丹術士たちの「産物」だ。
彼らは仙人になることを夢見て、南方から取り寄せた薬草を使い、体力と力を強化する丹薬を精製した。
その丹薬は村人たちに売られたが、やがて恐るべき副作用が現れ始めた。
服用者は、次第に人の姿から逸脱し、獣のような怪物へと変貌していった──狼のような外見を持ちつつも、人間の身体と理性を保つ存在へと。
しかも、その変異は遺伝する。子孫にも同じ特徴が現れた。
やがて、変異者たちは人間の姿に戻る術を身につけるが、頭部にはどうしても隠しきれぬ──獣の耳が残った。
我らの祖先は人間から「妖怪」として恐れられ、漢末の混乱期に迫害を受け、族をあげて北方の長白山へと逃れ、そこに砦を築き、外界との接触を絶った。
数世代が過ぎた頃、我々は自らを「人狼」と名乗るようになり、長白山に築いたその村を「犬良村」と呼ぶようになった。
外界の者には我々の村の存在は知られておらず、我々も自ら外と交わることはなかった。
──それは、狐たちが現れるまでの話だ。
彼らは、狐の姿に変化でき、人の心を惑わす、古代から続く異種族だ。だが、我々人狼には通用しない。
彼らは我々を見つけ、交易を持ちかけてきた。
彼らは外の物資や情報を持ち込み、我々は山で採れる高麗人参などを交換に提供した。
私は農家の末子として生まれ、畑を手伝い、山に分け入って人参を掘る毎日を過ごしていた。
やがて、村で唯一の儒生の家に書生として仕え、書物を整理するうちに字を覚え、外の世界についても知るようになった。
──外の世界は、変化に富み、華やかで、眩しく見えた。
私は次第に、その世界への憧れを抱くようになった。
そんなある日、我々と交易していた狐族の組織──洛陽商幇が、村に人手募集の話を持ってきた。
村の長老たちは強く反対した。だが、私は止められなかった。
私は村を出て、洛陽商幇に仕えることにした。
それが、私の人生最大の過ちだった。
張大人──洛陽の大地主にして、商幇の首領。
彼は私を騙し、私の人狼としての力を利用して、私を暗殺者に仕立て上げた。
見たことのない武器を手渡され、他の得体の知れぬ人狼たちと行動を共にし、敵対勢力を抹殺する任務を次々と課された。
この「刀盤」──笠型の武器もその一つだ。
私は手を汚し、多くの命を奪った。
耐えきれなくなった私は、ある夜、洛陽商幇の会館を抜け出し、逃亡を図った。
──この世界は、君のような儒生が思う以上に、奇異で危険に満ちている。
妖魔や異形が跋扈し、士庶の世界には知られていない現実が存在している。
君がこれを知った上で、私と距離を取ろうとも、私は責めない。
運河の水面は月光を反射して揺らめいていた。
静かだった水面は、今や深い闇を湛え、まるで幾多の秘密が沈んでいるかのように不気味に映る。
蔣舜仁は、李士良の告白を聞き終えて、何も言わずに船室へと戻っていった。
その夜、彼は帳簿の記録をつけていた船室の机に向かっていた。船主が近づき、話しかけた。
「最近の利益はなかなかいい。商人たちは定期的に嶺南から藍染め用の蓼藍を木箱に詰めて濟寧へ送ってくるんだ。うちも結構運んだよ」
船主はそこで一瞬言葉を止め、蔣舜仁の顔をじっと見た。
「……あんた、どうしたんだい? 顔色が悪いな。酬労でも上乗せしようか?」
──余は、何者なのか。
義なる人間か、あるいは偽善者か。
あの狼の子を受け入れたのは、本当に善意からだったのか、それとも「善人でありたい」と願う見栄ゆえか。
我が故郷では、常に弱き者が強き者に虐げられていた。
庶民は、先祖が田畑を士紳に寄進し、賦役を逃れようとした結果、小作人として仕え、士紳の家人たちに虐げられた。
士人たちは書を読み、仁義を語りながらも、家僕が悪事を働くのを黙認した。
それを見て、私は嫌悪を覚えた。
だが、私は何も言えなかった。私はその士紳の子であり、逆らう勇気がなかったのだ。
それは「孝」なのか? それとも「臆病」なのか?
──余は善人か。いや、善を装った者か。
──この狼の少年との出会いは、私自身を試す試練なのかもしれない。
あの異形の者たちとの遭遇。あの戦慄。
その全ては、余が善であるか否かを試す、天からの問いかけなのだろうか。
余は、ただ一人の狼の少年を救うために、この魍魎の世界へ踏み込む覚悟があるのか?
余は、義人か? 偽善者か?
──余は何者か? 余は何者か? 余は何者か?
余は何者か? 余は何者か? 余は何者か? 余は何者か? 余は何者か? 余は……
翌朝の黎明、まだ日が昇らぬ頃。
李士良は船尾に佇み、静かな河面を見つめていた。
水は暗く冷たく、その景色は彼の胸に寒さを呼び込んだ。
彼は思っていた。──自分はこの先、どうやって一人で故郷へ戻るのだろうか。
そこへ蔣舜仁が船室から現れ、そっと彼の肩に手を置いた。
「太陽もまだ昇っておらぬのに、なぜここにいる?」
「眠れなかったんだ」李士良は答えた。
「吾もだ。あまり眠れなかった」
しばし沈黙が流れたのち、蔣舜仁が口を開いた。
「昨日、お前は『この話を聞いて、離れるとしても恨まない』と言ったな。なぜ『離れてくれ』とは言わなかった?」
李士良は答えなかった。ただ黙って河を見つめ続けた。
蔣舜仁は静かに言った。
「つまり……誰かにいてほしかったのだろう?」
彼は続ける。
「吾には、お前が必要だ。そして、お前にも吾が必要なのだと、そう思っている」
──そうだ。吾輩たちは互いに必要とし合う存在なのだ。
汝は吾に食と宿を求め、吾は汝を通じて、自らが本当に善なる人間であるのかを試している。
「善人」であると示したいだけの男ではないかを、知ろうとしている。
蔣舜仁は心の中で、そう自らに言い聞かせた。
「吾は濟寧に着いた後、曲阜の孔廟を訪れたい。お前に、荷を運ぶのをもう少し手伝ってもらいたいのだ」
李士良は振り返り、穏やかな眼差しを向けた。
そして、ほんのりと微笑み、こう言った。
「だったら、あの凝固した粥、また作っておいてくれよ」
二人は見つめ合い、やがて連れ立って船室へと戻った。
船室に戻った二人。李士良は荷物の山を何気なく眺めていたが、その中の一箱が気になり、そっと蓋を開けた。
中には、鮮やかな赤い葉がぎっしりと詰められていた。
彼は顔をしかめ、厳しい表情で蔣舜仁に尋ねた。
「永仁、この荷物……いったい何なんだ?」
蔣舜仁は答える。
「蓼藍だ。衣類を染めるための材料だと聞いている」
「いや、違う。これは……赤蓼だ」
「赤蓼……? それは何だ?」
「滅多に知られていない植物だ。でも……僕は村の書で見たことがある」
李士良は声を落とし、低く告げた。
「それは、例の丹薬──人を人狼へと変える薬を作るための重要な材料なんだ」
彼は続けた。
「君が言ったように、商人たちは綿を町に運び、加工して売る。だが僕の故郷では、あの丹薬をまだ作っている。材料は洛陽商幇が供給していた。
そして、完成した丹薬は、また彼らが買い戻していたんだ」
李士良の声がさらに沈む。
「こんなに大量の赤蓼が運ばれるなんて……その買い手は、おそらく──」
蔣舜仁の胸に、冷たい不安が広がった。
「……この荷物、濟寧に届けるんだったな。ということは……洛陽の連中が、濟寧で待っているということか?」
二人は顔を見合わせた。誰も言葉を発することができなかった。
やがて、蔣舜仁が静かに言った。
「──どうやら、我らは……早めに下船したほうがよさそうだな」
参考文献
中華民国教育部『教育部重編國語辭典修訂本』(https://dict.revised.moe.edu.tw/)、閲覧日:2025年3月27日。