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日日是好日

「ねぇ、和泉。けなげって、どういう意味?」


 この日、両親が家に不在のため、静介は和泉に預けられていた。

 和泉も仕事を休む口実ができるし、何より親友の可愛い子どもと遊べるのならばと、いつも快く承諾している。


「うーん、そうだな。お雪ちゃんみたいに、一所懸命な人のことさ。ほら、今日も津坂先生のところでお勉強してるだろ。手習いの師匠になるために頑張って、静介や辰巳のために毎日ご飯を作ってる。大変なのに、それを口にもしない……そんな人だよ」


 おっかさん、偉いと、静介は目を輝かせて言った。


「でも健気なんて言葉、どこで聞いたんだ?」


「おとっつあんが言ってた。あのね……」



 つい昨日のことだ。

 雪の弟、つまり静介にとっては叔父にあたり、辰巳の門下生でもある鈴彦が家に遊びに来ていた。


 静介は遊び疲れて、うとうとし始めていたときである。


「師範代は、姉さんのどういうところに惚れたの?」


 好奇心で、鈴彦は尋ねてみた。


「一目惚れみたいなもんだからな……俺のために尽くしてくれた健気な姿に、ころっといっちまったな」


 怪我をした辰巳は、雪の住む長屋に転がり込み、しばらく彼女の看病を受けることにある。それが二人の出会いであった。

 そのとき献身的に看病をし、好物のけんちん汁を作ってくれた雪の至誠しせいは、辰巳にとって一生忘れられない思い出である。


 健気という意味は何だろう……そう微睡まどろみの中で静介は考えるも、睡魔が勝った。



 今日になって父の会話を思い出して、聞いたみたわけである。


「ふーん、辰巳がねぇ」


 和泉は揶揄うような、腑に落ちたような気持ちで呟く。


 雪と出会った頃、それは今でも変わらないが、辰巳は雪にぞっこんであった。

 非常にヤキモチ焼きで、雪に頼ってばかりで、なのに雪を骨抜きにしている。


 どう足掻あがいても、彼女を届かない距離にした男だ。


「和泉はおっかさんの、どんなところが好き?」


「えっ……!」


 わかりやすいほど、動揺してしまった。


 ばれているのか……と思ったが、静介は単純に、どんなところが好きか、色恋といった欲を絡めずに尋ねたのだ。


 和泉の内心など知らずに、静介は好奇心の赴くまま、答えを待っている。


「笑顔、かな」


 雪は昔、あまり笑わない人だった。

 だから偶に笑ってくれると、特別なものを見れた気がして、その顔がきれいで、胸が締めつけられる。


 雪への感情を自覚したのは、きっと、辰巳よりも遅かった。


 辰巳と出会い、笑顔も増えた雪は、変わらずに美しい。


「やっぱり、おとっつあんも和泉も、おっかさんのこと大好きなんだね」


 子どもの真っ直ぐな言葉に、和泉はどぎまぎして頭をかいた。


 そのとき、戸口の方で足音がした。静介がぱっと駆け出す。


「おとっつあん!」


 戸口が開き、道場から帰って来た辰巳が入ってきた。


「ただいま。お、和泉も来てたのか」


 父の大きな手で頭を撫でられる静介は、とても心地良さそうな表情をする。


「お雪ちゃんから留守番を任されたんだよ。仕事も休めて助かった」


「はは、変わんねぇな」


 二人は笑い合い、昔からの気安さが自然に戻る。


「雪はまだか?」

「もうすぐだろ」


 言ったそばから下駄の音が近づいてきて、雪が風呂敷を抱えて帰ってきた。


「ただいま戻りました」


「おっかさーん!」


 今度は母に飛びつき、雪は柔らかく抱きとめる。


「おかえり、雪」


 雪が辰巳に微笑む。

 その笑顔を見た瞬間、和泉の胸の奥で、何かが静かに疼いた。。


「和泉さん、静介の相手してくれてありがとうございます」

「いや、むしろ俺が遊んでもらったよ」


 雪は笑みをこぼし、辰巳も肩の力を抜いたようにくつろいでいる。その光景を眺める和泉の胸の奥に、ほんの痛みが差したが、それでも悪くないと思った。


「夕餉、すぐ作りますね。今日は津坂先生に、大根のお裾分けをいただいたんです」

「やったー!」


 静介が歓声を上げる。


「静介、何食べたい?」

「うーんとね、ふろふき大根と、お味噌汁と……」


 四人は車座になって、ご飯を囲む。湯気の立つ味噌汁、焼き魚、ふろふき大根。

 箸を動かす音、静介の無邪気なおしゃべり、辰巳と和泉のくだらない冗談に雪の笑い声が重なり、長屋の一間は温もりで満たされていく。


 和泉は箸を止めて、ふっと思う。


 健気とは、きっと、こういう日々を守り続ける雪のことをいうのだろう。


 夜の帳がゆっくりと降りていく中、四人の食卓は賑やかに続いていった。

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