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猟犬

ブリーフィングが終わり、輸送艦の甲板で海原を見ながら一服の時間を愉しんでいた。


短く刈り上げた白髪に手櫛を入れながら水飛沫を馴染ませた。海水の塩分が顔に当たる度、こめかみに刻まれた皺と異なる傷が鈍く痛んだが、ガタが来た体を騙し騙し使い、時に世間では非合法と言われる薬を風邪薬替わりに服用してきたツケかも知れない。支給された迷彩服に袖を通し、ブーツを履いていると軍人に戻ったような気分になったが、規律を重んじる軍にもう俺の居場所はないと気付き自嘲した。


目線の先に広がる海原は濃紺、その水面下は全く見通す事が出来ない。大昔の船乗り達は海にいる大海蛇や大ダコの類と言った魔物を恐れていたと何かのTV番組で見たのを思い出した。実際の所、この見通す限りの大海原を前にするといない方がおかしいのではと思ってしまう。だが、俺は魔物を恐れていない。何故なら俺自身が幽霊と言われる傭兵だからだ。各地の戦場を渡り歩き恐怖心は遠く昔、何処かに置いてきた。


貧困家庭で生まれ、売女の母親の元でヒモに小突かれ、ありきたりのチンピラとして育って地元で燻る毎日だった。行き着く先はギャングかポン引きかドラックディーラーが順当な就職先だったが、人生の転機は誰にも訪れるもんだ。学校をサボって街をぶらいついた俺はボンボン学校の奴らが同じ学校の奴を路地裏で袋叩きにしているを見つけた。俺は袋にしてた奴を袋にして金を巻き上げた。笑えるのはそこからだった。最初に袋にされてた奴は助けられたと勘違いして漁夫の利を得ようとした俺に感謝し、その間抜けはマシューと俺に名乗った。


お互いギブアンドテイクな関係が良かったのかも知れない。俺は嫌な奴の締めかた、たるい店員の目を盗んで商品を拝借する方法などチンピラの教養課程を教えてやった。厳格な家庭に育ったマシューはそれが刺激的だったらしく、逆に俺はボンを金蔓として多いに利用した。そんなビジネスライクな関係がいつか友情って奴になっちまった。マシューは底抜けにいい奴だった、世の中そんなもんだ。


そんな奴が何と軍に入隊すると言いやがった。弱者を助ける力が欲しいとかそんな理由だった。自分を助ける事すら手に余る奴の言い分に俺は呆れた。あまつさえ一緒に行こうと言われた俺は結局、犬みたくついていった。何故か。母親がドラッグの不法所持で捕まり、ヒモ共々豚箱行き。俺は孤児院に引っ張られる直前だった。犬の俺でも保健所はゴメンだ。ちょうど、お国が他所の喧嘩に頭を突っ込んでる最中でもあり、チンピラ犬と両親の強い反対を押し切った飼い主はまんまと奉公にありついた。


最初は後方勤務と聞いたが、何の手違いか前線に俺らは送られちまった。これだからお役所仕事は信用なんねぇ。そんな俺たちに出来たのは新兵みんなで初任務の前夜に屯所を抜け出し夜の街で景気付けをした。その後、俺が便所に行ってる間に悪ふざけで他の奴等がマシューを娼館に押し込んでやがった。とりあえず全員に一発お見舞いしてから娼館に行くと奴が丁度出てきやがった。今までに見た事ないぐらい幸せな顔してやがって、どデカいキスマークが頬に付いてやがった。俺たちは笑い合った。


そして、初任務の結末も唐突だった。味方陣地から数m離れた瞬間、ポップコーンみたいに敵の銃弾でマシューの頭が弾け飛ぶ様を見て自分の頭のネジも吹っ飛んじまった。何とか手荒い通過儀礼を生き延びた俺はその後も死神をあの世でマシューが買収してくれたのか、戦場で俺は生き続けた。


その後、惰性で奉公し続けたが情報部のツテからマシューの親父が珍しく汚職に協力しなかった政治家だったという話を知った。報復の手段として敵対する奴らが選んだのはマシューだった。そいつらが手を回してあいつと俺を最前線に送り込んだらしい。世の中、都合の良い偶然って奴はないらしい。ただ、酒場の肴で出てきた話だ。真実とクソが織り混ざったカクテルに俺は気分が悪くなり、部隊の奴らに気晴らしして来ると言って休暇申請し受理された。それから軍には戻っていない。


復讐?そんな事してどうする、やり始めたら世界中の人間を殺し回る事になる。マシューには悪いが復讐なんてそんなもんだ。自由になったが、犬の俺に目的なんてものはなかった。ただ、軍は犬の俺を猟犬に変えちまった。そんな俺は飼い主を求めて戦場を渡り歩く猟犬となった。


思い出話に頭が浸かっていたが背後に人の存在を感じ、頭を切り替え振り返った。背後にいた頭を剃り上げた黒人がその反応に驚いて言った。


「レイスの目は二つだけじゃないってのは本当らしい」

「そういうお前は?見ない顔だな、新人か」

「新人?あんたに比べたら誰でも新人だろ。プリーストだ、よろしく頼むよ」


そう言ってプリーストはレイスに手を差し出した。レイスもそれに応じる。


「幽霊と握手ができるとは光栄だ」

「こちらこそ、僧侶様と握手できるとは。これで昇天させられない事を祈りたいもんだ」


そう言いながら軽い会話を続けてお互いの腹を探りあう、プリーストがレイスに問いかけた。


「ところで今回の任務、何か匂わないか?」

「匂うとは?」とレイスはオウム返しに問う。

「あんたほどのベテランなら分かってるだろ。ただの回収任務にしては人員・装備にえらく金がかかりすぎている。さらに破格の報酬だ、気前が良すぎる。それに兵隊だけじゃない、吸血鬼みたいに尻の毛まで白そうな青白いインテリ(研究者)どもがスクールバスの遠足みたく乗り込んでやがる」


プリーストが指摘した内容はレイスも同じく感じていたが知らん振りする。


「そうかな、大統領と人気ポルノ女優のSM趣味を納めたホームビデオかも知れない。そうなら白い家の住人は金に糸目をつけない。インテリどもはそれで家に帰ってママとディナーを食べた後、そのビデオでシッポリやるのさ」

「そんなもの地元のホームレスに頼んだら二束三文で買えるさ」

「それはそれは。さぞかし楽しい地元のようだ」


そう言って観念したかのようにやれやれといった風にプリーストは続けた。


「まあ、いいさ。簡単な任務で稼げるならそれに越した事はない。地獄であっても幽霊のあんたなら地元より見知った場所だろ。しっかり、道案内を頼むよ」


そう言ってプリーストは手を振って艦内へ戻って行った。その姿を見送った後、レイスは海原に目を戻した。実際、プリーストが言う事は正しい。不釣り合いな金は必ず何かを目眩しさせるための常套手段だ。本来であれば避けるべき筆頭。だが、レイスはこの仕事を受けた。


付き合いのあった闇医者に数ヶ月前に身体を見せ告げられた内容。長年の猟犬生活が祟ったのだろう、マシューの懐も底をついたようだ。幽霊であっても死神からは逃れられないらしい。ただ、猟犬である以上は路上でくたばるより、猟犬らしい死に方を望んだ上での選択だった。


甲板に雨が降り始めた。


見上げると晴天だった空は曇天となり、

穏やかだった海原も荒れ始めている。


これから待ち受ける運命にレイスは自身を委ね、

マシューが耳元で囁く。


「嵐が来るよ、ユーリ」

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