神託
洞窟には広場のような空間があり、その中には地下水脈があった。その水面には薪木がパキパキと音を立て燃える姿に照らされた影が一つ。それは燃える炎の揺らぎと呼応するかのようにゆらゆらと揺れていた。
水面の岸に胡座をかく女は神の依代たる巫女であった。彼女は両手を眼前に掲げ、頭をたれつつ願いを捧げる。いや、それは赦しを乞うためであった。彼女の、そして一族の。祖先が崇める神々に対する裏切りの罪に赦しはない、彼女が幾星霜に休みなく捧げた祈りが重なった年月と水面に映る彼女の年輪のような表情の皺がその証左であった。
彼女の揺らぎが止まる。懐から抜き出した鋭利な刃を自身の二の腕に当てゆっくりと引く。巫女の心を現すかの如く、瞳が瞬き涙が溢れるかのように肉の裂け目から彼女の血が腕を伝う。足元に置かれた鈍い色で耀く装飾が施された黄金の盃、その中へ血が流れ落ちていく。血で満たされた盃であったが、それ以上の変化はない。今日もまた神の赦しを得られはしない。落胆を感じる事すら忘れ目線を離したその瞬間、盃から細かな振動と沸き立つ血を感じると同時に眩暈を覚えた。彼女の脳裏には情景が浮かぶ。
そこには一族の同胞達がいる。その様子は尋常でなく、打ちひしがれる者、恍惚とする者、呻き悶え苦しむ者にその身を窶している。しかし、皆の眼は一様に姿とは異なって爛爛と輝く光を宿し一点に視線を注いでいる。視線の先には男が屹立している。その姿だけ見れば痩せ細った一人の男であった、禍々しく周囲の空気を歪ませている事を除いて。背後には蠢く巨大な闇を纏い、人ならざる者の依代であり器である事を感じさせる。それは表裏一体として、巫女である彼女が失ってしまった繋がりを彷彿させた。溢れ出る闇の禁忌に彼女の心は鷲掴みにされ、暗闇から覗く眼は彼女を蹂躙せしめようとその心を虚無へと引きずり込む。瞬間、胸にぶら下げた装飾具が鋭く高い音を立て振動し、地面が蠢くかのような低音と甲高い金属音が織り交ぜられた名状しがたい叫びが示す強い拒絶に意識ごと吹き飛ばされ、洞窟の壁へと叩きつけられていた。
意識を取り戻した彼女は自身の腕を一瞥する。先ほど腕に伝った血を拭うとそこに傷はなかったが、代わりに変色した痣のようなモノが浮かび上がっている。まるで蛇か何かが巻き付いたかのようであり、待ちに待ったその時が現れた事を確信した。裏切りの代償は彼女を永遠に苛み、厄災が一族に降りかかった。それは一族と古から続く祖先達との守護の繋がりを切り裂き、隷属の鎖となって絶望の深淵に今も彼女達を繋ぎ止めている。
贖罪の業に耐えるかの如く、重い腰を上げ焚火から手持ちの松明に火を移し替えた後、杖で先を確認しながら洞窟の入り口へと彼女は向かっていく。洞窟の入口から漏れる薄明かりが外界へと誘う。洞窟の鬱屈した空気から解放され彼女は大きく深呼吸をする。空気を吐くとしっかりした調子で暗がりに話しかけた。
「何か厄介事かい?」
その声に応えるように洞窟の入口を覆い隠す周囲の茂みから昔馴染みの顔がするり、影から月夜の明かりへと躍り出る。男は白装束を纏い杖をついた老人であった。長い年月による寄せては返す波で削られた岩礁のような厳しい表情はその裂け目から低い声で彼女へと言葉を告げた。
「オウムアムアが現れた。」
それを聞いた瞬間、彼女の鋭利な目は見開かれた。先ほど見た幻覚は神託であったのかと思い返す。それは偽りの神からの託宣であったが、彼女の反芻するような表情を察して男は言葉を続ける。
「トアとカンガが連れかえって来た。今はトアが村に匿っている、他の者はタニーワの手によって命を落とした。西の集落も手遅れだったそうだ」
彼女は首にかけた装飾具に口付けし鎮魂の言葉を呟いた後、男へ返答した。
「カウマトゥア、悲しむのは責めないがこの機会を逃す訳にはいかないよ。一族をこの呪われた時の牢獄から解放しなければならない、託宣は下ったんだ」
そう言って彼女は服の袖を捲り上げ先ほどの腕の痣を見せた。その痣を一瞥したカウマトゥアは息を呑むと共に言葉を吐き出した。
「ああ、分かっている。分かっているが・・・だがトゥプナ」
男はその口元を歪めつつ、自身の吐いた言葉に蝕まれるように苦悶の表情を浮かべる。その姿を見つつトゥプナと呼ばれた女は呟いた。
「果たすべき役割があるんだよ、お前も私も皆も。そこから逃げて得たものがこのザマさね。いいね、もう逃げる事はできないよ」
トゥプナは俯くカウマトゥアの肩に手を置き夜空を見上げて言った。二人を照らし出していた月夜は暗雲に遮られ周囲を闇が包み込んでいく。女の最後の言葉に男は戦慄した。
「そう、我々は還らなければならないんだ。あの玉座へ、どんな代償を払ってでも




