出撃
出発号令が鳴り、艦内が俄かに慌ただしくなっていく。
レイスも装備を整え、集合場所である航空機格納庫へ向かう。狭く薄暗い船内通路に号令を受けた船員達が慌しく行き交う。薄暗い事も相まって船員の表情は読めず、人種の特定は難しい。どの国が関わっているか推察は困難だ、そんな事を考えながらレイスは船内の階段を降りて船底に近い格納庫へ通じる隔壁ドアまで辿り着いた。
周囲の空間を上部についた赤い照明が照らし出し、オーバル型のドアは血塗られたかのようであった。そのドアはレイス自身のこれから辿る未来を暗示するかのように不吉な印象を与えた。その瞬間、気が向いた時にしか行かなかったはずの学校の記憶が蘇り、気弱な国語教師が耳を傾けない生徒達に囲まれ消え入りそうな声で語っていた光景が頭にフラッシュバックする。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
1人しかいない筈の狭い空間には見知った顔が張り付いた亡者達がレイスに纒わり囁く。レイスの魂は肉体から引き剥がされ床をすり抜ける。亡者達に抗えず深淵が広がる海へ、その魂は沈んでいく。下降が終わり、深く沈んだ先には暗い玉座が鎮座する。気付くとレイスの周囲に亡者達は屹立している。いや、待っているのだ。亡者達の王、陽光の差さない昏き深淵の玉座の主を。
「我が身は我が物でなく、その血肉の一片を残さず。矮小なる我が魂をその全てを捧げる、深淵なる我が主よ」
亡者達は平伏し、歓喜の叫びを哭き叫ぶ。頭を垂れた贄は膝をつき、両手を差し出す。その虚空を充たす暴虐の闇が貌を成す。全ての邪悪を孕む巨大な存在に贄は恐れ慄き眼を背けようとするがその意思に反し、徐々に贄の顎は上がる。その眼は主を捉えるために。
後続が続く事を意味する階段を踏む金属の反響音がレイスを現実に引き戻した。我に帰ったレイスは額に浮かんだ冷や汗を拭き、自身に原因を探ったが前後の記憶は曖昧だった。ドアの前で呼吸を整えているレイスに追い付いた後続の船員は訝しげな目線を配り、ドアの錆びついた円形ハンドルに手を掛け回した。ハンドルは軋む声を上げながら、船員をその内へと導く。開け放たれたドアから眩しい光が差し、レイスは眼を細めた。
船員に続いてレイスはドアをくぐり格納庫の周囲を見回す。貨物用タンカーのコンテナ格納部を突貫工事で改造し、急拵えしたかのような場所であった。格納庫の梁や柱を構成する金属の形鋼同士は荒い溶接で継がれており、その姿から拷問を受けた兵士のように痛々しい印象を受ける。駐機している航空機は剥き出しの巨大な油圧シリンダーで支持された分厚い耐熱鋼板の上に鎮座している。そこには上陸要員達が乗る輸送用の垂直離着陸機オプスレイと護衛用のハリヤー戦闘機が2機づつ計4機が駐機しており、蜜蜂の如く忙しない整備員達がパイロットと共に出発前の機体を最終確認している。
駐機エリアには上陸要員である傭兵達も集まっており、整備する姿を遠巻きに眺めている者もあれば、銃器を点検している者、その場にいる整備員や研究員に対して卑猥なジェスチャーをして侮蔑の眼差しを向けられなお下品な笑い声を上げている者がおり、正規兵には見られない傭兵集団の見本市がそこにはあった。その中にあって、整備員と話込む見知った顔にレイスは声を掛けた。
「俺達の棺桶は準備万端か、プリースト?」
「安心しな、ファーストクラスだってよ。そういうあんたは顔色が悪いな、大丈夫か?」
心配しているというより観察するような眼差しをプリーストは投げかける。レイスが返答する前に低い唸り声が二人に割って入った。
「伝説の傭兵と聞いてどんな奴かと思えばただのジジイじゃねぇか。なあ、お前ら」
そう言って周囲の傭兵達に筋骨隆々の大男が語りかけている。彼に呼応して下卑た笑い声を上げる者も幾人かいる。その大男は短く刈り上げた金髪の頭頂も含めると恐らく2mは越えているだろう。その顔面は荒い木彫りのようであるが、彫刻家が自身の作品に絶望したかのように縦横無尽に刀を走らせている。それは文字通りである。噂では正規兵時代に捕虜となり、敵兵の拷問を受けた結果だという事だ。肉屋、ブッチャーと言われている傭兵はコイツの事かとレイスの脳裏をよぎった。また、自身が受けた拷問の経緯から投降した敵兵や民間人を男女問わず切り刻む嗜好を持つ事が本来の由来だと言う情報も伝え聞いていた。ブッチャーを一瞥してレイスは慇懃無礼に尋ねた。
「で、何か要かな?ここはスーパーマーケットではないい筈だが」
「何だと!?この英国のポン引き風情がっ!女王の乾いた樹洞にでもその枯れ枝を差し込みやがれクソが、とっとと消え失せろ!」
そう言って唾をレイスの足元に吐きかけた。
「お前にそれを決める権限があるのか、ブッチャー?」
「てめぇが口にするんじゃねぇ!コイツが権限だ!」
そう言って、ナイフというよりマチェーテに近い得物を腰から抜き出した。その姿を見てプリーストは腰のハンドガンに手を掛けたが、目線でレイスは制止した。周囲が緊張感で静止するその瞬間、またしても別の声が静寂を裂いた。
「揉め事はそれ迄だ、それをしまえマット」
マットという名に一瞬訝しんだレイスとその声を聞いた瞬間、イタズラを叱られた子供のようにブッチャーは声の主の方へ向き直り緊張した面持ちで敬礼姿勢となった。それはブッチャーだけでなくレイスを含めた傭兵全員が、である。声の主は女であり、レイスも見知った存在だった。中東系の浅黒い肌にベリーショートの黒髪、同色のベレー帽を被り、切長の眼は猛禽類のそれを想わせる。ブリーフィングで作戦説明を行った女がそこに立っていた。作戦立案者でもあり行動隊長。猟犬達の飼い主でコードネームはただ、アルファと名乗った。
「出発前に戯れ合うのは結構だが自重しろ」
「イエス、マム」
ブッチャーが返答し終えるとそれは同時だった。
「特に私の許可なく・・・なっ!」
その言葉を発するや否や彼女はブッチャーを軽々と組み伏せ、彼は膝立ちとなった。そして、いつの間にか手にした件のマチェーテをブッチャーの顔面めがけ一閃した。ブッチャーの片目に鮮血が走り嗚咽を漏らし、顔面を庇おうと頭が下がった瞬間にアルファはマチェーテの刃先をブッチャーの顎に当てた。
「動いて良いと許可したか?残った片目も不要か?」
「ノッ、ノー、マム」
歯を食い縛り、ブッチャーは声を絞り出す。
「レイス、これで手仕舞いだ。」
「ブッチャー、メディックの治療を受けろ」
「出発は5分後!各自、準備を怠るな。以上、解散!」
「イエス、マム!」
周囲の猟犬達の遠吠えが格納庫に反響する。アルファが立ち去ると同時に止まった時間が動き出す。立ち上がったブッチャーがレイスの横を通り過ぎる際に捨て台詞を耳打ちした。
「必ず貴様を殺す、覚えておけ!」
「済まないが何の事かね?生憎、耄碌して腕より口が立つ人間は記憶に残らんのだ」
レイスの返答に歯軋りが漏れ聞こえるほど口を噛み締め、見開いた残った片目に憤怒を宿して周囲を突き飛ばしながらその場からブッチャーは立ち去った。その姿を見たプリーストが頭を掻きながら呟く。
「面倒にならんといいが」
「何を馬鹿な。元より俺達は面倒が飯の種だろう」
「流石、ベテランの言葉は重いね。全く」
レイスの返答に笑いながら、装備を携えプリーストがオプスレイに向かっていく。他の傭兵達もショータイムが終わり、ぞろぞろと自分達が割り当てられた機体へ歩みを進める。
レイスも歩を進めながら先程の出来事を反芻した。ブッチャーの名前はマット・・・マシュー、それは偶然の一致か。ありふれた名前だ、何よりアイツが死ぬ瞬間は俺自身が見届けた筈だ。そして、あの女。実力は確かだが何か得体の知れないものを感じる。それはこの格納庫に入る前、喪失した記憶の残滓に通じる何か・・・。
背中に視線を感じるレイスだが、振り返らずオプスレイに搭乗する。何故なら、その主を知っているからだ。
荒波に揉まれ航行する輸送艦の船首から上甲板にかけた部分が中央より観音開きの要領で重々しい音を上げながら開け放たれていく。それに呼応して格納庫の天井には夜空が現出する。
先に乗り込んだプリーストが手招きをしている。その行為はとうに忘れた学生気分をレイスに思い出させてしまう。油圧シリンダーがエレベーターを稼働し慣性が乗組員に上昇を感じさせる。重機械が奏でる駆動音に負けずプリーストがレイスに喚く。
「ハイスクールを思い出すなぁ!」
傭兵達がゲラゲラ笑い合い、嘶声をあげる。レイスは自身を地獄へと導くウェルギリウスに笑みで応じた。




