男装で面接に行きましたが、うちのじいやは泣いています
拝啓、実家のお兄様。ついでに成金で悪趣味なお父様、お義母様、義妹義弟。
波多野ミナト十八歳、人生の転機に立っています。私は今、通訳になれるかの瀬戸際なのです。
『ここに数か国語が得意とあるが、それぞれどれくらいの実力があるんだ? 俺の通訳として、商談の場で立ち回れるのか?』
私より頭ふたつぶんくらい大きな、金髪碧眼の男の人が、一人掛けのソファに足を組んで座っている。その後ろにはこれまた背の高い、茶髪の男性が控えている。
真新しいホテルのラウンジで、私の雇い主になるかもしれない異国の商人――ルドルフ=ゴルトベルクさんと、私は面接をしていた。
慣れない男物のタイが首を絞めて、少し息苦しい。その不機嫌そうなその態度に物おじしてはだめだと、胸を張って答える。
長い髪を切り落としたばかりで軽い頭が、少しこころもとないのだけど。低い声を作ると、自然に舌へ力が入った。
『はい。試験は受けていませんが、あなたとこうして会話できる程度の実力はあります。僕の生まれた家は商家ですから、商売の話も心得ています』
よどみない発音ではきはきと答えられた。ひそかに息を吐く私をよそに、ふむ、とその人は私の履歴書を投げ捨ててしまった。
『まあ、いい。明日から来い』
これは、受かったのかしら。私はちいさく眉をひそめて、質問のために口を開いた。
『契約条件は、募集要項にあった通りですか? 雇用期間は一年。この報酬がひと月でいただく金額として、少し足らないように思います。通訳の相場の半分ではないですか』
賃上げを暗に要求する私に、ゴルトベルクさんは顔をしかめて言ってみせる。
『何を言っている。一週間分だ』
『イッシュウカン』
鸚鵡返しにする私に、彼は顎で床の履歴書をしゃくった。そんなことは無視して、にこりと笑う。
『承知しました。では、その条件で。明日は何時に来ればいいでしょうか』
『日の出の頃に来い』
随分とはやい出勤だけど、私は文句を言おうと思わなかった。せっかく得た働き口なのだから、彼の気が変わらないうちに退散するに限る。
そのまま立ち上がる私に、ゴルトベルクさんは脚を組み直して床の履歴書を指さした。
『拾わないのか?』
『それはあなたに提出した書類ですので』
私は軽く礼をして、そそくさとロビーから退散した。最後にゴルトベルクさんを振り返ると、億劫そうに腕を伸ばして自分で履歴書を拾っている。案外、律儀なのかも。
回転式の扉を押して外に出ると、ぴゅうと冬風が頬を刺す。年末も近い帝都には、人々が忙しく往来していた。
少しぶかぶかのインバネスを羽織って、私は颯爽と往来へと踏み出す。これで、晴れて私も勤め人だ。
それも、ずっと夢だった通訳として。
「やった! やった!」
ちいさく呟きながら革靴で駆けていく小柄な男に――少年と思われているのでしょうけど――道行く人たちが奇異の目を向ける。だけどそんなことはどうでもいいくらい、私は浮かれていた。
ここまで来るのに、大変なことがたくさんあった。お父様に卒業間近の女学校を中退させられるし、継母には中年男の後妻に据えられそうになるし、とどめにお母さまの形見の晴れ着を血のつながらない義妹に取られるし。
散々だったけどこれで全部、帳消しだわ。
息せき切って道をゆき、市電に駆け込む。ぎゅうぎゅう詰めの電車だけど、そんなの今日はちっともつらくない。じいやのお家の最寄りで降りて、下町の細い道を走り出した。門をくぐったところで、女中の中村さんが「お嬢様!」と大きな声で私を咎めたけれど、革靴を揃えもせずに履き捨てて、土間から家に上がった。
「じいや! 私、通訳になったわ!」
高らかに報告すれば、仏間の奥からじいやが飛び出してきた。しわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして、私の手を取って「やりましたな」と喜んでくれる。それからすぐに、よよよと泣き出してしまったので、私は背中をさすることしかできない。
「これでよかったのか、悪かったのか。じいやは、亡くなった奥様に顔が立ちませぬ」
「何を言うの、じいや。お母さまはきっと喜んでいらっしゃるわ」
自信満々に言う私に、じいやは涙を拭って「はい」と頭を下げた。
じいやは、お兄様と協力して、私を帝都へと逃がしてくれた人だ。お兄様の手を振る姿を二人で見送ったこと、私はきっと一生涯忘れられない。
「お嬢様のご多幸を、じいやと坊ちゃまは、切に祈っておりますゆえ」
そして私の髪を短く切った頭を、ゆっくりと撫でた。小さい頃のように「お嬢様は、ご立派です」と褒めてくれる。
「ごめんね、じいや。つらい役回りをさせたわね」
私の胸をようやく、罪悪感がつきんと刺した。
「わがままを言ってしまったわ。私の髪を売ったお金で、洋服を買ってこいだなんて」
ずっと、通訳の仕事がしたかった。だけど求人はタイピストや車掌ばかりで、なかなか夢を叶えられずにいたのだけど。
ゴルトベルクさんの面接の前に、じいやは必死に私を止めようとしていた。個人が、しかも外国人が雇い主ということ。男性が出している募集であること。挙句の果てに、うちには洋装がないから、その仕事にふさわしい恰好ができないと言い出して。
いろいろと理不尽に理由をつけたから、私も怒ってしまったのだ。
「二度と、二度となさらないでください。あんなに綺麗な御髪を、無残に小刀で切るなどと」
じいやが私の目を見て、私にゆっくり言い含めるように泣いた。そうね、と私はじいやを抱きしめて、「もうしないわ」と約束した。
「それに私の髪なんて、売っても二束三文だったでしょう。高いのに揃いのスーツを買ってくれて、本当にありがとう」
「そういう話ではございませぬ」
ますます大声で泣き出したじいやに、私はちいさく笑った。
「見ていて、じいや。私、この仕事を絶対に成功させるわ」
ゆっくり目を合わせて、私は拳を握りしめる。
「報酬は相場の二倍よ。きっと通訳にふさわしい報酬が分かっていらっしゃらないのだろうから、そこは雇用主として不安なのだけど」
じいやがまた、不安そうな顔をする。だけどね、とじいやのしわくちゃの手を握って、私は上下に振った。
「私のことば、ちゃんと通じたのよ。話している内容だって、きちんと理解できた。きっと、立派にやっていけるわ」
手弱女らしからぬ笑みを浮かべている自覚は、ある。野心に燃える私に、じいやは何度も頷いた。
「はい。お嬢様にできぬことなど、この世のどこにありましょうか」
「ええ。やってやるのよ!」
勝気に言う私に、じいやはやっと笑ってくれた。