残酷な問い
「クジャクさん?」
――どうぞ、空いてますよ
中からの声に導かれ、部屋のドアを開ける。
この義瑠土所有の宿泊所は古いホテルを改修した物で、所々寂れた雰囲気を感じた。
部屋に入ればやはり旅館然とした内装で、畳張の和室にクジャクの甘い匂いが籠る。
部屋には布団が一枚敷いてあり、その上に彼女は腰を下ろしていた。
緩い胸元から覗くのは、血色のいい肌。
「はは」
「? なんです、旦那」
「いや見違えた。初めて会った時は、息も絶えそうな様子だったのに」
「忘れてくださいな。でもお陰で調子を取り戻せて……本当に感謝しています。もう絡新婦に、いいようにはされません」
俺は壁に背を預けて座った。
「真理愛に笑って欲しかっただけだよ」
「…………」
「それで、話とは?」
七郎が話の先を促すと、クジャクは顔を赤らめた。
恥じらいを感じさせる仕草も、女主人の妖艶さを引き立てる。
「お礼ですよ。前々から借りばかり作っちまいましたから、ここらで清算しておこうと思いまして」
するとクジャクは、着物を肩からはだけだした。衣擦れの音を残し、布団に着物が落ちて広がる。
腰から下は帯のお陰で布に包まれたままだが、上半身は完全に裸。
頂点は手で隠しながら、豊かな胸の膨らみから腰の括れまで、堂々と男の視線に晒している。
健全な男なら飛びつくような色気に、七郎は目を背けないまま驚いた顔をしていた。
「こういうのは、お嫌いですか?」
「…………少し、意外だ」
この状況にあっても色欲を感じない暗い瞳。
戸惑いながらも、クジャクは言葉の意味を聞き返す。
「意外?」
「かの“紅天女”、ユイロウ=クジャク。体が治ったなら、男一人を繋ぎ留めずともやりようはあるだろうに」
クジャクが纏う空気が変わる。
さらけ出した素肌はそのまま、胸を隠していた手を下げ、慣らすように曲げる指の関節。
赤い糸が舞った気がした。
関節から鳴る“パキリ”という乾いた音と、部屋の中に膨らむ緊張感。
「やっぱり、知っていらしたんですね」
「向こうの情報に詳しい知り合いがいるんだ。ただユイロウの名が、レンメイと同じ理由までは解らなかった。……姉妹?」
紅蓮の女主人は諦めたように目を伏せる。
部屋の空気が弛緩したところで、俺はクジャクに近づき落ちた着物を肩へ。
彼女は今度こそ、本気で照れたようにはにかむ。
「すみませんね…………なんだか、女の裸に慣れてやしませんか?」
「気のせいだよ」
シスターシルヴィアに出会ったばかりの頃、火傷に呻いていた彼女の世話というか……介護?で美術品のような体は飽きるほど見たが。
シルヴィアの肌に触れる俺に何か言いたげな聖堂神聖騎士達でさえ、世話が必要なくらいボロボロであったことも思い出す。
あの時は体の変異を忘れる程忙しかった。
「どうしたんです旦那、遠い眼をして? ……ははあ。やっぱり、惜しいんで?」
「違います」
着物を整えたクジャクは、窓際に置いてある椅子に座り直す。
コップに手酌で酒を注ぎ、静かに飲み干す様子を見ながら言葉の続きを待った。
「……レンメイとは血の繋がりはありませんが、お察しの通り姉妹の様に育ちました」
淡々と、それでいて懐かしむようにクジャクは語る。
ユイロウっていうのは、育ての親が名乗っていた名前の1つ……。
いろんな名を使い分けてましたが、ユイロウ流操糸術の業に誇りを持っていたみたいで…………まあ、本名みたいなもんでしたか。
あたし等は拾われ子だったので、そのユイロウの名を貰ったんです。
その父親の元に……先に居たのがレンメイ。あの女はあたしのことが気に入らなかったみたいで、随分目の敵にされました。
修業時代にも、何度か殺されかけましてね。
それでも何とかやってこれたんですが、ある日父親があたしを庇ってポックリ逝きました。
いつものレンメイの悪だくみが原因で、アタシが仕事でヘマしたんですよ。それを庇って……。
あたしは……レンメイのヤツを許せない。
レンメイも、自分の愚かな浅知恵で父親を殺したなんて認めない。
引くに引けない憎み合いが続いてるんです。
あたしのユイロウ流操糸術……レンメイなんかにゃ決して負けませんが、知らない間に毒を盛られてるのは参りましたよ。
「旦那に拾われなければ、知らずにレンメイの毒で殺されてるとこでした。恩に着ますよ」
窓の外には夜の街。
夜景の輝きと、その光が霞むほどに燃える女の眼がガラスに写る。
敵意、怒り。
クジャクは胸に渦巻く感情を押さえつけた。
――そんな事より、もっと大事な話がある
旦那を呼んだ本来の目的。それを問わなければならない。
「旦那……。ここまで助けてもらっておいて、厚かましいことは承知してます。でもお願いがあるんですよ」
「?」
俺は戸惑う。
お願いとは、いったい何であろうか?
「教えてください。旦那はリンカをどうしたいんですか? いったいリンカを、誰の代わりにしてるんです?」
「リンカを、どう、す……?」
「あの子はあんなに旦那を慕ってるんです! それなのに旦那は、応えるどころかあの子を見てもいない」
「見ている。ずっと」
「あたしに手を付けるくらいなら、あの子にはきっぱり、旦那を諦めさせようと思ってました……。でも旦那はあたしを望まない。底も知れない。あの子の母親代わりとしてね、あたしは心配なんですよ」
――旦那は、あの子を幸せにはしてくださらないんでしょう?
「…………」
クジャクの言葉がよく理解できない。なのに世界が歪む気がするのは、どうしてだろう?
「真理愛は楽し気に笑ってる…………おいしいものを食べて、飢えずに…………友達も作って……」
――箱の中に、花が浮かんでいる
「優しくて、自分より皆を心配する子で」
――色素の薄い髪が、水の中で揺れていた
「真理愛の不思議な力には、何度も助けられた。みんな、あの子に光を見ていた」
――隠す為に小さく分けられた体
「あの子が、あんな終わり方をしていいワケが無い。今度こそ助けられたんだ。間に合ったんだ」
男の声色は徐々に沈んで……手で頭を抱え、ゆっくりと俯いていく。
心に焼き付いた景色。俺の魂を、叩き壊した結末。
―― …………じゃあ、あの子は誰だ?
七郎は最後にそう呟くと、瞳に焦点を失ったまま部屋を立ち去る。
この時から、リンカの周辺を離れた場所から警護する逆柱達……彼らに変化が起きた。
主人の認識の齟齬に影響され、指示と対象の乖離に混乱をきたしたのだ。
リンカを守る目が、消える。
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部屋に1人残されたクジャクは、呆然として動かない。
「まりあ……?」
彼が口にした知らない名前。クジャクはようやく、少しだけ七郎の心を垣間見た気がした。
「(最初から旦那の底など、あれじゃあ見えるハズが無い)」
――あのお人の心は、何処か深い闇の中にあるのだから
……………。
「七郎様ぁ――どうしてですか?」
母と、想い人が交わした言葉。
壁をいくつか隔てた暗室の隅、黒い華は涙を流す。
成長した自らの、母に褒められるほどの魔力感応の技、嫉妬による軽はずみな盗み聞きを悔いて。