華瓶街の昼下がり
華瓶街、とある昼下がり。
華瓶街の街中で菓子店を営む店主が、店の中から明るい外を眺めひとごこちついていた。
山の中腹から麓にかけて広がる華瓶街は、全体的に日当たりが良い。
陽光が窓から差し込み、店内のテーブル席を照らす。
テーブルには花柄のクロスが掛けられており、その刺繡の花々が陽光によりいっそう鮮やかに感じられた。
この店は洋菓子を中心に販売している。だがその品揃えは、いささか奇妙に偏っていた。
なにが、と問われると、色が。
チョコレートシフォン、チョコレートタルト、チョコレートクッキー……、チョコレート色で染まっているのである。
店の主である彼はチョコレートを愛しているのだ。だから自分の店を持った今では、憚からずその愛を表現している。
一見異様な菓子店だが、客からの評判は良い。
持ち帰り用として販売するほか、店内でサービスドリンクと共に手頃な値段で提供できる為、なかなか繁盛している。
しかし今日は客足が落ち着いており、店主もやや肩の力を抜いて店に立っていた。
「お客さんが少ないなぁ」
店主以外誰もいない店内。
アルバイトの女性がじきに出勤してくる時間だが、今日は彼女もヒマになるだろう。
そんな中、外の様子が少しおかしいことに気づいた。外を歩く人々が一様に同じ方向を見ている。
店主が気になり窓から様子を伺うと、原因がすぐに目に入った。
道の中央に、非常に目立つ集団が歩いているのだ。
まず一団の先頭を行く、白ローブを羽織った若い男。
ローブには豪奢な刺繍が施されており、紋章のようなデザインがローブ中央に大きく描かれている。全体的に派手な宗教色を感じさせるローブだ。
身にまとった男は、うしろに歩く数人に笑顔でなにか語り掛けている。
しかしその笑顔は、あきらかに侮辱を含んだ冷笑に見えた。
「こちらの世界の町並みは質素であり、いささか趣味もよろしくないようですな」
「いえその…ハハハ。なにぶんここは帝海都からずいぶん離れた縣の田舎ですからね。…ハハハ」
白ローブのすぐ後ろを歩く男が機嫌を伺うように答える。
このローブの男の言葉に答えた人物は、スーツを身にまとっているが弱々しく陰気な印象である。
社会人の中間管理の悲哀が節々から漂ってくるような、痩せた中年の男であった。
確かに霊園山は、この国の首都であり異世界とのゲートが唯一存在する帝海都からは随分と離れている。
「ふぅむ。コの身は町の外観の趣味ナドわからぬが、いたるトコロから料理の良いニオイが香って来ル」
その痩せた中年の男を、自身の体の影ですっぽりと覆ってしまっている巨体の男が言葉を発した。
大男の言葉使いには少しだけ、別の言語圏から渡来した人間特有の発音やイントネーションの違和感がある。
街から漂う、観光街にある飲食店のいい香りが、大男の鼻を刺激する。
しかし道行く人々が大男の言葉遣いを気に留めることは無かった。
なにより、その外見に目を奪われていたからだ。
2mを超す巨体。その巨体を遊牧民を思わせる衣類で包んでいるが、顔や腕といった部位が獣のような体毛……いや、毛皮で覆われている。
毛皮は硬質な艶があり、体毛の下は鎧のような筋肉で固められていた。
体の上に乗る大きな顔は、彼が明らかに通常の、この世界の人間ではないことを物語る。
顔も獣毛で覆われているが、大きな鼻と、口端から覗く牙が目立つ。
猪に近い特徴を持つ顔だが、知性と優しさを感じるつぶらな瞳のおかげで、不思議と愛嬌がある。
彼は獣牙種と呼ばれる獣人種族。
はるか異世界、獣人国家エイン=ガガン出身の異世界人である。
「………」
さらに、オークの男から数歩離れて歩く人影があった。
勝気さを秘める眼を街並みへ向けるも、人々の注目を集めている自覚からか、不機嫌そうな表情で沈黙している。
前を歩く獣牙種の半分ほどしかない背丈。
すれ違う人間が皆振り返る端正な顔立ち。
意思の強さを感じさせる瞳が、不機嫌に固い表情さえも様にさせ、華奢な体を包む学生服のスカートが揺れる。
だが道行く人々の目を引くのは、彼女の華奢ながらも端麗な容姿には異質な……腰に差す刀。
帯刀している。
魔犬などの脅威が発生する霊園山には武装した義瑠土登録者がおり、一般人が刀を見る機会も無くはない。
しかし彼女の可憐な容姿と学生服、そして刀という混沌とした出で立ちに、どうしても好奇の目が集まるのだった。
――ふ……野蛮な獣は食い気しか感じないようですね。
先頭のローブの男が小さく呟く。
「……ム…」
男の軽蔑を含んだ呟きは獣牙種の耳にも届くが、無用な争いを避けるためだろうか反論は無い。
「今の言葉はどういう意味?」
代わりに学生服の少女が食って掛かる。
この少女は正義感が強く、悪意や弱者への暴力を見過ごせないのだ。
行き過ぎた侮辱は、十分に彼女の琴線に触れた。
「いや、なんのことだか。うまく言葉が伝わっていないようですねぇ。翻訳魔術式が乱れたようです」
ローブの男は平然と取り繕う。
「そうです! な、なにか、ご、誤解したみたいですね。あー…君、ヘンなこと言わないように」
スーツの男は、ローブ男のご機嫌取りに必死だ。自分よりかなり年若い少女の発言をたしなめる。
…たしなめると言っても、彼の頼りなさげな見た目から圧力は全く感じない。だが若い人間を諫めた自分に酔っているのか、男の顔には隠し切れない喜色。
明らかに公平さを欠いた物言いに、少女の顔が険しくなる。
「ひっ!な、な、な」
少女の怒気に、いい気になっていたスーツの男が分かり易く怯み、身を強張らせる。
「ダイジョウブ」
――アリガトウ
最終的にその場を収めたのは獣牙種の言葉。
感謝の意思を伝えるためだろうか、言葉と共に丸太のような腕で自分の胸を‘どん、どん‘と重ねて叩き、少女へ牙を見せながら笑いかける。
人間には無い牙が獰猛な印象を与えそうなものだが、少女には感謝の気持ちが十分に伝わったらしい。
「…んぅ。それでいいなら」
少女はぶっきらぼうな態度を装うが、猪男の素直な言葉のせいか顔が赤い。
照れた顔を見られぬよう、再び街並みへ目線を背けるのだった。
「まあ、いい。義瑠土の支部へ急ぐ。ふん…我らが世界、栄光あるウィレミニアのギルド制度を猿真似した下部組織へ、わざわざ足を運ぶのです。歓待を期待しましょう」
皮肉を交えたローブ男の一声を切っ掛けに、異彩を放つ4人からなる一団は、霊園山の義瑠土支部へと再び歩みを進める。
道行く人々は一団の背中を遠巻きに眺めるのみであった。
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「(あれが義瑠土……いや、異世界ギルドからの監査人なのかな?)」
霊園山に居を置く人間として、チョコレート菓子店の店主も監査の存在はうっすらと耳にしていた。
異世界ギルドの人間の来訪とは、ひいては日本国家権力からの政治的介入の意味合いを持つ。
異世界と日本の国交が世の人々へ明かされて十数年。ウィレミニア三国同盟との関係は、今のところ滞りなく続いている。
この霊園山はダンジョンとしての危険と未知の利益、そして価値を孕む場所。
国や義瑠土、異世界さえも跨いだ思惑が交差しているのだ。
じゅぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぉっぞっ。
そんな思惑の存在など気にも留めず、菓子店の店主はホットチョコレートを上品に啜り上げる。
今日もチョコレートおいしい。
チョコおいしいよチョコ。
「きったねぇ音立てないでもらえます店長?」
汚濁のような音に耳を汚される、出勤したてのアルバイト女性の怒りはまったくもって正しい。
「今日も平和だじゅぞぞぞぞ」
「おういっぺんカップ置けや」
穏やかな華瓶街の午後が、今日もこうして過ぎていくのだった。
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