犬神と蜘蛛
裕理たちの前に立った、犬神と呼ばれた男。
彼は息をするように中傷を続ける。
「最近調子に乗りすぎてんなって心配してたんだよ。怪しい人間集めて、なんかのボス気取ってるんだ裕理ちゃん」
「いい加減口を閉じてください」
「は? なにその態度? ざけんな」
「まあまぁ。あてが世話んなってる犬神はんに向かって、礼儀知らずな」
黒いドレスの女は犬神に腕を絡ませ、豊満な体を押し付けるようにすり寄った。
そうすると犬神は、何故か勝ち誇るように口元を歪める。
「まあ? コッチはお前と違ってスゲェ術使うレンメイが一緒だしな。お前達は何もしなくていいよ」
「そうどすなぁ」
クジャクにとって全く予想外の事態であった。
紅蓮を亡き者にしようと暗躍していた絡新婦。その首領が堂々と姿を見せている。
――用心深いレンメイがなんでこんなマネを
あの双子といい、どういう風の吹き回しだい?
「レンメイ……! 何を企んでんだい。巣に隠れるばっかりのお前が、あたしの前に現れるとはね」
クジャクが睨みつけると、蜘蛛は口元を歪めながら近づいてきた。
2人の女術師は油断なく、互いの吐息が届く距離に立つ。
指のひと振りで命を奪い合える距離。
「追いかけっこに飽きただけや。いい加減淫売の息の根止めよ思うてなぁ。…………ちなみに動いたら殺すで。後ろの小娘をねぇ」
レンメイは密やかに、ねっとりと粘つく悪意を囁いた。
視線は後ろのリンカを捕らえている。
「やらせると思うかい?」
「なんやえらい張り切るやないの。弱り切ってるクセによう吼えるなぁ。…………それに此処で騒ぎになったら、困るのは自分達ちゃうん?」
「困るのはレンメイ……アンタもだろ。どうやってこの国に入った」
「もちろんっ。ラコウのヤツメ家にお墨付き貰ろて、正規のゲートで堂々とやぁ」
「……なんだって……?」
レンメイがクジャクから離れ、犬神の隣に戻っていく。
そうすると犬神が一枚の書類を取り出した。
「ほら見ろよコレ。山海連邦国家ラコウの筆頭公家、ヤツメ家お抱えの術師なんだよレンメイは。向こうの大貴族がオレに協力してくれてるってワケ」
「ラコウの品が、日本の闇で売りさばかれてるっちゅう話が届きましてなぁ。それにヤツメ家が大層心痛めて、密売組織の壊滅に乗り出したんや」
「そんな……クジャク様……あの印は、ほんとうにヤツメ家の証紋……」
書類を見て、リンカが虚脱したようにクジャクへ呟いた。
満足げにレンメイが嗤う。
――ウソやけどな
事実はまったく異なる。レンメイはヤツメ家お抱えの立場にはない。
ヤツメ家が秘匿するゲートの管理所轄、それを金と体で抱き込んだレンメイ。
その所轄を操り、レンメイが作らせた偽の立場なのである。
犬神の持つヤツメ家の身分証書の内容は偽造だが、ヤツメ家の発行を示す鉄刃戦魚の革をなめした紙と、それに押されるヤツメ家の証印は本物であった。
全ては憎いクジャクを殺す為。
そして絡新婦が行う、日本への横流し家業……その得意先を広げる足掛かり。
「そうゆうこった。うち等がラコウ……ちゅうより、日本の政治家から密売の捜査を正式に任命されたんや」
「それに裕理、お前が連れてる異世界人にラコウのヤツが居るよなぁ。超怪しい。オッケ、魔導隊権限で拘束な」
「ふ、ふざけないで!」
犬神が手を伸ばしたのは、陰気な男の後ろに庇われるラコウ人の少女。
横暴に耐えていた烈剣姫が叫んだ。
剣の柄に指先が触れている。
「いいかげんにしろっ! 裕理さんに酷い事言って……何をもってリンカを拘束なんてっ」
「あれー、たしか伽藍ちゃんだっけ。いい子にしてるから無視してあげてたのに、結局噛みつくんだ?」
「裕理さんへの言葉……謝って」
「“藤堂”の養女だからって調子乗んな。いいのか? 魔導隊であるオレの心証を悪くすれば、義瑠土で積んだオマエの小っちゃな実績なんかゴミにできるんだ。あ? それでもいいのかよ」
「! ふざ、けないで。伽藍は、あんたを魔導隊なんて」
――認めない
その否定は言葉にならなかった。
軍や警察組織、義瑠土から選抜された出自を持つ魔導隊。
その特質性から、魔導隊の人間はそれらの組織に融通が利く。
犬神の卑劣な言葉のせいで、考えてしまったのだ。
伽藍の憧れ、“黒騎士”との再会が遠のいてしまう未来。
「……ぅ」
「そーそー。黙ってろ」
伽藍は犬神の嘲る声を聴いた瞬間、猛烈に自分を恥じる。
一瞬でも自分の欲に負け、裕理やリンカの身を蔑ろにした自身の心に。
「――ちがう!」
「は?」
烈剣姫は一息に刀を抜いた。白刃が煌めき、支部の中に居た人間にどよめきが広がる。
「伽藍は……! こんな自分で、あの人に逢いたくないっ。強く正しい伽藍で、初代魔導隊の“黒騎士”に逢いたいんだっ。もう一度言う、裕理さんに謝って!」
「はーあ……めんどくさ。レンメーイ、ちょっと理解らせてやれよ。上下関係を教えてやれるオレって優しーw」
「犬神っ! 此処は支部の中ですよ! 伽藍もっ! 刀を仕舞いなさいっ」
犬神は一歩も動かず、隣に侍らすレンメイに命令を下す。
自身への尊大な態度に“ピクリ”と頬を引きつらせるレンメイであったが、
「……ま、ええやろ」
すぐに表情を取り繕う。
レンメイの陰湿な目の光、クジャクから溢れる魔力の熱、伽藍の白刃。
義瑠土支部内は一触即発。
事の成り行きを見ていた支部の人間は、明らかに危険な空気に、ただただ硬直するばかり。
「初代の魔導隊なんて大した事してねぇだろ。10年前に死んだ実験動物じゃねぇか。んなムキになって……冷めるわー」
犬神の軽薄な言葉は、妙によく響いた。
それはこの場で、必死に自制していた男の欺瞞にヒビを入れる。
「「お前が魔導隊を語るな」」
――え?
烈剣姫は耳を疑った。自分の言葉と重なる、男の声を聴いたからだ。
同時に感じたのは、寒気がする程の怒気。
……霊園山の墓所で感じた威圧感。いや、あの時以上の鳥肌が立つ。
ミシリ、と床が軋む大きな音が、支部に響いた。