黒い華
この話から第2章となります。
変わらずお付き合いいただければ幸いです。
――けほっ、けほっ、っっ
夜闇の中、渇いた咳が聞こえる。
世界すら超えて、やっとここまで逃げてきたのに。
大切な人が苦しんでいるのに……何もできないのが辛い。
「もう少ししたら、休みましょう?」
「すまないね。リンカ」
顔色悪く支えられる女は、燃えるような赤髪を埃で汚し、息も絶え絶え。
支える少女の肌は、夜に溶け込む艶やかな闇色。
吸い込まれるような金色の瞳だけが、彼女の存在を浮き彫りにしていた。
「誰か……クジャク様を、助けて」
闇色の少女は無力を噛みしめ、切な願いを口にした。
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不死者が還り立つ霊園山。
その山からずいぶん離れ、いくつも縣境を越えた森の中に墨谷七郎の姿はあった。
何もかもの輪郭が融ける真の闇。黒が塗り潰す世界でも、獣の瞳は嫌味なほど暗中に馴染む。
「どうするかぁ……」
俺は悩んでいた。
意気揚々と霊園山を去ったが、問題に直面している。
シスターシルヴィアと離れて行動している理由。
目立ち始めてしまった俺に向けられる視線を、霊園山から離すこと。
そして願いの成就……その計画に不可欠な物を手に入れ、障害となる存在を排除すること。
問題はその不可欠な……日本由来の強力な呪物の所在が、全く把握できないことだ。
「本当に、カケラも情報が手に入らない……まずい」
目的は呪物の持つ力、現在の世界で表現するなら魔力。
呪物が内包する、外に浸食し生物を呪う負のエネルギーが欲しい。それが、俺達にとって最大の敵を殺してくれる。
目下逆柱達を使役しながら捜索するが、人工魔達と視界や意識の共有が出来るわけでもなし、彼らが記録した映像や情報をその都度聞き取る手間がある。
俺に身体強化以外の魔法の才能が有れば、もっと効率的に事を運べるだろうに。
「(自分の才能の乏しさに嫌気がさす……ニーナ教官に学んでいた頃、璃音が言っていた指摘は本当だったよ)」
懐かしい友の面影に浸りそうになるが、気を取り直す。
幸い、計画の最終段階までには随分時間があるのだ。
溜め続けた魔力が、必要量に達するまでもう少し。準備を終える時が待ち遠しい。
「(今まで通り、前に進み続けるしかない……)」
――**-11000111010*?00..
「ん?」
木立の奥、闇の中から目玉が並ぶ縦長の姿が現れた。
人工魔:逆柱の1柱が迷彩機能を解き、俺に訴えている。
ヒトを見つけたらしい。それもずいぶん珍しいヒトを。
すぐに夜の闇に紛れ、気配を殺し逆柱から聞いた方角へ向かう。
そこにはか細い灯り。小さな焚き木が燃えていた。
近づくにつれ、火に照らされる人影が見えてくる。
赤髪が映える女性。
髪と同じ色をした、日本の着物と意匠が近しい服を着ている。
はだけた着物から覗く肌は、病的に白い。
いやもう一人……見逃すところであった。
闇の中でより深く輝くような、蠱惑的な黒。
暗い輪郭は痩せた少女の形をしていて、金の瞳が獣のように鋭く浮かぶ。
「“絡新婦”がこんなトコまで追ってくるとは……抜かったね」
「/ /: :..karuta:….__//. .,. ,, ,: ;; /: ; ..……」
(きっとカルタ姐が追っ手を撒いてくれます。それまで隠れて……)
どうやら赤髪の彼女は翻訳魔術も持っているようだ。
囁くように話す彼女らに悟られないよう観察していたが、ふと足元に魔力の気配。
「(! 気づかなかった)」
糸? いやこの赤色は、焚き木の傍で横たわる女の髪色と同じ。
――誰? 追手じゃあ、ないようだ
赤髪の女が微かに細指を動かし、こちらに話しかけてくる。
彼女の指の動きに合わせ、足元の線が弛むのを感じた。
これは結界、人を探知する鳴子だ。
「./ / ;;kujaku」
(っ、クジャク様)
存在を悟られたと同時に、黒少女が構えをとる。なにがしかの武術なのだろう。
「(あの肌の色は)」
知っている。
実際に会ったのは初めてだが、エルフの女教官……ニーナラギアールが話していた異世界人の特徴そのままだ。
こちらの世界には無い色合いの闇肌。金色の瞳。
肌の色とまた違った黒髪は、年頃の少女らしい柔らかさを伝える。
あれは異世界、山海連邦国家ラコウに生きる人種の特徴。
いや、それだけじゃない。
だんだんと見えてくる彼女の……あの顔は――。
「――そんな」
肌と、髪と、瞳の色は、記憶にある彼女と全く違うのに。
見間違うほどの濃い面影。
「: .. :;;… .. 、 /;;,…;:;: …… /: ……」
(それ以上、近づかない……で……)
火が照らす距離まで無造作に近づく七郎に、少女の敵意は困惑へ変わった。
「:.::.:.:/ 、 ;../:;..;;::?」
(どうして、そんな目で私を見るんですか?)
ラコウ人の少女リンカは、男の熱の籠った視線というものを生まれて初めて感じている。
どうしてかリンカは、長い逃亡での旅垢で汚れる体を隠したくなった。
「あぁ……」
心が揺れる。魂が混線する。
立っていられない。膝が折れるのを止められない。
無意識に手は、金の双眸が潤む顔へ。
「…………」
闇色の少女は、ジッと俺を見つめていた。
こんなことがあっていいのか?
突きつけないでくれ。俺を見ないでくれ。
違う。また俺達を笑顔で照らしてくれ。
違う。君も、みんなも、もういない。
「――真理愛」
少女の頬に、ついに触れられなかった手を降ろす。
代わりに痩せた少女の小さな手が、俺の偽りの髪と肌を優しく撫でた。