ある修道女の反逆(聖剣)
拡声魔法により、首都全てにシルヴィアの声が届く。
『 真竜城の兵士は即刻引きなさい。私達の目的は、大聖堂に巣くう獣共を焼き滅ぼすこと 』
「その声は……っ」
メセルキュリアは聞き覚えのある声に戦慄する。
1年前に、罪を犯し失踪したというゼナの教え子。
ゼナは彼女の罪を信じず、仕事の合間を縫っては捜索に協力していた。
『 市民に危害は加えません 』
その時、シルヴィアの言葉に反応し大聖堂から拡声魔法による声が響いた。
『 無礼であるぞっっ。死刑だー! 万死に値する!! そのヘイロニアはボクちんのモノだぞぉぉぉ! 』
青年……というよりは少年のような声。
感情を振り乱す声の主に、メセルキュリアを始めとする国の上層部は顔を顰める。
信じられないことだが、この声の主がノルン神教の現教皇。
神教の幹部や一部の貴族に担ぎ上げられ、若干15歳にして教皇に就任した ファガス・オーダ・セルデオン の声であった。
大聖堂の最上階では、勝手に拡声魔法で声を発したファガス教皇を、老人たちが宥める光景がある。
ファガスは十代という年齢を感じさせない、不健康な顔色で癇癪をおこしている。
ソバカスだらけの生白い顔に、瘦せぎすな体を装飾で埋め尽くされた教皇服で覆う。
風呂ギライの為、伸ばしたままの長髪が油脂で汚れていた。
「あ、あのヘイロニアはボクちんが1番に乗るのを楽しみにしてたんだ! ゆるさない! 」
「まあまあ猊下。所詮は驕った小娘の戯言です。御身の威光が陰ることはありません」
――まったくこのお方は……
ファガスを宥める老人たちも辟易としていた。
自分たちが傀儡として担ぎ上げた教皇ではあるものの、精神が幼すぎて面倒ごとをよく起こす。
ファガスの声を聴いたであろう飛行艦隊から、業火のような魔力の揺らぎが伝わり始めた。
魔力の中心は旗艦ヘイロニアの艦橋。
白鷺の頭に、煮えたぎった血の滂沱を幻視したメセルキュリアは息をのむ。
「(久しく感じていなかった、血が泡立つような気配……威圧感!)」
どうやらあの馬鹿な教皇が、あそこに居る……かつて信心深い修道女であったナニカの獲物であるらしい。
憤怒の魔力が城の人間を威圧する中、真竜城の中心にある巨大な門が開く。姿を現したのは、白金に輝く真竜。
一歩で大地を揺らし得る四肢が、翼の発する魔力で飛翔する。
アイテールルは城壁の後方に控え、浮遊したままヘイロニアへ語り掛けた。
≪その声は、シルヴィアですか? ああ、我が友。犯した罪の重さに嘆いているのですね……聡明なあなたの、罪ヘの呵責は耐え難いものなのでしょう≫
真竜の出現に応え、竜の眼前に水鏡の魔法が開き始める。
荒ぶる感情が魔術を乱すのか、水鏡の映像は荒い。
写ったのは復讐鬼となったシルヴィアの姿。
美しい金髪は暗い魔力で不自然に踊り、狂気を宿した瞳が映像越しに見ている者の心を貫く。
「どいて、ください……アイテールル」
≪なりません。振り上げた手を降ろすのです、やさしいあなた。ノルンの神を信じる子らに、罪などあろうハズが無い≫
「罪が無い……?」
≪ヒトは全て我の愛し子。育つ子らに過ちがあったとしても、共に許し合ってください≫
――さあ……怒りを棄て、手を取り合いましょう?
ヒトが繁栄する国を守護する、絶対者としての視点。
ノルン神教を疑えない竜は、欲塗れた獣をヒトと断じて愛を注ぐ。
過保護に……無償の愛を以て、獣に奪われた者達を無いものとして吐き棄てたのだ。
「う˝うううぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううう」
≪シルヴィア……?≫
胸に燃える業火が、ついに魂全てを焼いていく。
抑えられない。
腐臭を放つ聖堂は、この竜がいる限り嗤いながら世界を犯すのですねぇ……!
「私を犯し……私の子さえ殺した者達を……」
「(なに……!?)」
神教の腐敗、その一角を知るメセルキュリアは動揺する。
想像以上に血生臭い闇を感じさせる、復讐鬼の言葉。
「(まさかあいつら……そこまで堕ちて……?)」
「許せというのですかあああああああああああああ!!!!」
船に乗る者達は私と同じ!
誇りを! 家族を! 奪われた人々!
これだけ多くの人間がノルン神教を恨んでいる!
凄まじい形相となる軍艦の操舵手、突撃船の中で槍を握る信徒、全てがシルヴィアの業火に呼応していった。
「主砲装ぉ填ぇんっ!!」
修道女の号令。
ヘイロニア両翼砲門とファーヴニルの主砲座が一斉に輝き、膨大な魔力が凝縮される音がする。
≪ 待ちなさい……! 友よっ ≫
「真竜城魔力障壁ッ出力最大だ!!」
ウィレミニア側が焦る声は、主砲充填の振動により掻き消える。
光と音で満ちる艦橋の中、どこかで赤子の声が聞こえた気がした。
「――撃ってください」
激情を込めた、冷く静かな宣戦布告。
魔力収束砲が城の障壁と衝突する光が、首都を真っ白に照らしていった。
・
・
・
かつてない混乱に包まれる首都。
上空に幾筋もの砲撃の光が絶え間なく続いている。
首都に住まう市民に被害が無いのは、アイテールルが首都全体に張った保護魔術のおかげであった。
ヘイロニア艦橋に立つシルヴィアは、真竜城と大聖堂を睨みつけている。
「障壁が……固い」
主砲により損傷は与えている。しかし突破できない。
削られた障壁の欠片が城の下に降り注ぐが、それだけだ。
ヘイロニアとファーヴニルの主砲で破壊できる計算のハズなのに。
「アイテールル……!」
城下全てを魔法で保護してなお、障壁に力を注げると?
出鱈目が過ぎます……!
そんな神がかった力を持ってなぜ、ノルンの悪事を止めることが出来ないのですか!?
艦隊は砲撃を続ける。
空中空母:ディースガルドから飛び立った突撃揚陸艇からも、障壁へ魔法が放たれるが、殆ど効果は無い。
逆に障壁の外に展開する、ウィレミニア側の魔術砲兵に撃ち落される飛行艇も多い。
「なら」
艦橋の窓ガラスを魔力だけで破り、滑るようにして空中へ。
同じ艦橋に居た数人の聖堂神聖騎士の制止を振り切り、魔法の詠唱を開始した。
――綴る言葉が揺蕩る海
水先へ導く鳥は、絶海を超える勇を謳う
施しの乙女は意志融かす誘惑の果実を手放した
先行きへ落ちる六層の暗き雷霆、渦巻く三ツ嵐
定める者を撃ち滅ぼせ
雷を属性とした数百の魔法矢が、シルヴィアを中心として円形に展開されていく。
その矢すべてに障壁を解き融かす魔術式を組み込み、渦として収束させる。
「 【対魔力壁 雷の矢:729射 嵐】 」
収束させた魔法を放てば、渦巻く風と雷の轟音が響き渡る。
艦船の主砲と比べても遜色無い規模の魔法攻撃。
雷の矢が収束した渦は、城を覆う障壁を襲う。
「壊れなさい!」
甲高い音を立てて、ついに大障壁が割れた。
「聖堂で怯える獣どもっ! 焼かれなさい! 死になさい! あの子を奪った罪をーー」
大きく割れた大障壁から、底の見えない魔力の奔流が空へ昇る。
「――?」
理解が及ばない。
アイテールルも、城に居るであろう魔法使い達にも、あんな規模の魔法を詠唱する様子は無かった。
この光は初めて見るモノ。
思い至る。
たしか最後に使用されたのは、私が生まれる前……。
「そんな、アレが……?」
アレは魔術式で導き出された答えでない…つまり魔法ではないのだ。
純粋魔力の大瀑布。
「 聖剣 抜刀 」