ここは奈落の底(2)
「何故こんな目にィ……!?」
鈍器で殴られた顔に、回復しているとはいえ重い痛みが残る。
「お前が持ち掛けた、墨谷七郎を貶めるための計画はっ…………キサマら……!? 最初から騙してたのかっ……こ、このライルを狙って」
「あなたが霊園山に来ることを知ってから、この時を待ちわびておりました。私達のなかで最高の武力を持ち、自由に動ける七郎に頼ったのです。予想外に起こってしまった大狂行を利用して、事故に見せかけてあなたを攫えないかと」
「サ、サプライ家を……敵にまわすのだ! キサマらには惨たらしい運命が待っているぞ!」
「あなたは大狂行という災害の最中、還らぬ人になっているのです。いかに力を持つ家柄であっても、異世界の遠い地まで伸ばせる腕は持ち合わせていないでしょう? ……サプライ家……ふふっ……神の御意思を汚した報いを受け、最近はずいぶんと落ちぶれているそうじゃありませんか♪」
「ぐ……ぐ」
「今の日本の魔法技術で、この場所が発見されることはあり得ません。あなたに助けは来ません。未来などありません。慈悲も、愛も、注がれることはないんです」
「…………な、なにが」
「?」
身に迫る命の危機。
死の足音がすぐ後ろに迫っていることは、先ほどの細腕から繰り出されたとは思えない殴打によって、これ以上ない程にわかりやすく理解させられた。
ライルは無意識に媚びた目となって、自らを守る道を探る。
「なにがっ、望みなんだ? い、言ってほしい。用意する! 必ず用意するっ! 金でもなんでもっ!! 何かが欲しいから此処に連れてきたんだろう!? ……だから」
――たすけてくれ……な? 悪い話では……
か細い命乞いが、体を縛る椅子の上で行われる。
ライルは交渉の余地があると考えていた。
この身を人質にしたいのだろう。だから立場ある自分を狙い、生かしたまま連れてきているのだ。
「(所詮は山賊まがいの浅はかな悪知恵だ……)」
そうでなければおかしい。
ライルは眼前に立つ修道女からの返答を待つ。
場は静寂のまま。返答が無い。
ようやくライルは、シルヴィアの顔から笑顔が消えたことに気づいた。
以前、肉欲のまま彼女の体に指先を伸ばした際の表情とも違う。
冷たい、別人のような顔。
「――かえして」
柔らかさなど微塵も感じない、平坦な一言がまず聞こえた。
「返しなさい」
「は?」
「かえせ」
趣旨の見えない言葉をシルヴィアは繰り返している。
「(この女は、何を返せと……!?)」
「返せ、かえせ……かえせ、かえせかえせっ」
語気を強めながら無茶苦茶な足運びで迫ってくる女。
ライルは体を強張らせ息をのむ。
また鉄塊が振り上げられた。
「やめ」
「かえせ!」
肩が殴打された。
「ぎゃっっ」
「かえせぇっ!!」
顔が殴打される。
「ぐげッぇ」
「あなた達ノルンの信徒を騙る獣がっっ私から奪ったものを!!」
鉄棒が振り下ろされる足から、骨が折れる音がする。
ライルの絶叫を合図に、シルヴィアの手が止まった。冷えた鉄塊などで無い、手の中にあった温もりを思い出して。
「殺した私の子を、かえしてください」
握れなくなった警棒より先に、溢れる涙が床へと落ちる。
半死半生の男へ、再び回復薬を投与。
中途半端に治癒されたライルの体へ激痛が襲う。
「っ!――ひゅっ、ア゛あア゛!? ごのっ気の違った女めっっ、キサマの子供など知らん!! ウィレミニアで貴様と会ったことなど無いだろうがっっ」
「ライル・サプライ……サプライ……いいえ、ノルン神教中枢にあるサプライ家の人間であれば知っているはずです。私のことを……――そう」
” 私を長いあいだ閉じ込め、辱め、慰み者にして笑っていたではありませんかぁ? ”
「そこで生まれた、罪のない子を平然と殺すあなた方が許せなかった」
汚辱にまみれた地獄が脳裏に蘇る。
「あの部屋で、あの小さな手だけが私の支えだった……すべてでした」
汚れた罪の末生まれた子が、どうしても憎めなかった。どうしても愛おしかった。
「あの子が虫でも潰すように殺されたとき、私はようやく気づいたのです」
初めて自分の魔法で人を殺した日。
「嗚呼、神よ。御身の指先は変わらず私に触れています。そして理解致しました。冷たく触れる指の先、意を伝えども私達への愛はすでに無い」
絶望の末シルヴィアの胸に降りた、絶対の天啓。
信心深く、魔法分野で類まれなる才を持っていた少女。
ウィレミニアを守護する真竜に目通り、友と呼ばれた秀才。
ウィレミニアの魔法史を100年進めた星譚至天【小さな角】ゼナの教えを受けた生徒でもある彼女は、自身を監禁していた魔封じの部屋を脱出し、ノルン神教への大反逆を企てた主犯なのだ。
「では、貴様は……10年前の、クーデター、の……」
運命の女神に守護されしウィレミニア。彼の地で真竜の加護を受け、永らく信仰されたノルン神教の栄華は、10年前のクーデター事件により失墜する。
日本における転移大災害、通称”黒牢事件”と奇しくも時をほぼ同じくして起こっていた。
「ありえない……! 生きているはずがない!?」
ライルが成人を迎えたばかりのころ、ウィレミニアの首都で神教内部からクーデターが起こった。
ライルはその時首都に居なかったが、終息後に情報誌や記録映像で現場の様子を知っている。
ノルン神教中枢で権威を持つサプライの家は、都合の悪い情報を隠蔽する作業に連日追われれていた。
わけもわからず父親から命令されるまま、指示通りに圧力をかけ、指示通りの暗殺を暗部に依頼した回数など数えきれない。
その中で、前代未聞のクーデターの主犯が、父親ら複数人が玩具にしていた修道女だったと、酔った父親から確かに聞いたことがある。
「(隠蔽の一環なのか、このライルも主犯の顔と名前を知ることはなかったが……!)」
魔法の腕で、真竜にまで気に入られた邪魔な女を攫って、適当な罪を着せ国外への逃亡扱いにしていたらしい。
お人好しの竜は作り話を疑わず、事件の後も我々を深く探ることはしなかった。
扱いやすい事この上ない。
だが問題は市井の人間達だったのだ。
ノルン神教の権威を守るため、信徒が起こしたクーデターであることを必死に隠そうとしたが、隠し切れなかった。
情報操作の都合上、遺憾ながら反逆者たちの顔と名前まで伏せたにも関わらずだ。
情報が洩れ、我ら神教の立場を妬む多くの下民たちが声を上げたお陰で、いまのノルン神教の立場は地に堕ちてしまったのだ。
……実際は腐敗しきった神教へ、人々の不満が爆発した形なのだが、ライルの歪んだ価値観では理解できていない。
「あの爆発でどうして生きている? 機関部は残骸すら残っていなかったんだぞ!?」
クーデターが前代未聞の規模となったのは、シルヴィアが聖堂神聖騎士を抱き込み強奪した3隻の軍艦の存在が大きい。
ウィレミニア三国同盟でも超最新鋭の軍事技術。
ノルン神教が集めた金を湯水のごとく注ぎ、権威の象徴となるはずだった飛行艦隊。
飛行軍艦:ファーヴニル
空中空母:ディースガルド
そして主犯が搭乗した 光翼旗艦:ヘイロニア の3隻。
その全ては、真竜を先頭とした国家戦力達によって撃沈されたのである。
「私は神の御業としか思えない奇跡により、こちらの世界に流れ着いたのです」
ようやくいつもの笑みを取り戻した修道女が、天を仰ぎ祈る仕草をしながら答える。
「なら霊園山は……キサマの復讐の為に迷宮に変えたのか……」
「最初は……そうであったのかもしれません……。ですが今は違います。奪われたものを取り返そうとしているだけです」
「……?」
「此処は、あなた方が奪った私の子を……いいえ……亡くした魂を世界の理と運命から取り戻す為に作り上げた場所。その為の10年でした。あなた方への復讐は、私の我儘……その我儘に共犯者が快く協力してくださっただけのこと」
共犯者1号である俺がシルヴィアの目くばせを受ける。
後ろの騎士達も当然だと言わんばかりの目線を向けていた。
「あなたへ求める贖いは、ただの”ついで”です」
シルヴィアは魔力で宙を滑り始める。ライルをさらに見下すように上へ。
「私たちはあらゆる魔法理論を用いて、死から愛する者を取り戻す。たとえ罪を犯しても」
シルヴィアが魔力で広げたのは、一枚の旗。
それは純白の生地に色とりどりの花、眠る少女の穏やかな顔、そして規則的に並べられたバラバラの手足が描かれていた。
もとはノルン神教の紋章が描かれていた旗であり、紋章の部分を焼き切り、代わりに俺達の原点を縫い込めた象徴だ。
紋章を焼いた純白に、俺の――墨谷七郎の魂を砕き、獣へ変えた光景を描く共犯の誓い。
「死の運命を停め、喪失を否定する為に走り続ける」
縋り求めるのは不死者を超えた、完全なる死者蘇生。
旗自体が発する白い光が、暗い空間の上部まで届く。
上にはライルにも見覚えがある、巨大な白鷺の船首があった。
「我ら【死停幸福理論】は汚れてもなお、救いの糸を掴むために」
ほんの一瞬、極彩色の光をシルヴィアが纏った気がする。
そんな幻が消えても俺は、倫理に反逆する彼女に天使じみた美しさを感じていた。
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浮いていた場所から泳ぐように、シルヴィアは俺の隣へ。
「せっかくですから、彼には魂魄形状記録の悪標本となってもらいましょう。この人間が持つ魂のカタチに近づいてはならないという、戒めとして」
「……生きた人間で?」
シルヴィアの言葉に疑問を呈す。
いままで夥しい数の不死者の魂の形状を、主にシルヴィアの持つ知識により設計された魔導機器で、標本として記録してきた。
鎮静化した’歩く白骨’や’霊’を対象に、死により欠けた魂をあらゆる角度から写し取る。
死者から生者へ遡る道しるべとする為に。
しかし、あくまで魂を覆う殻、すなわち肉体を失った状態でこそ機能を発揮できるモノだ。
人間を生きたままの状態で、魂を記録できるようにするには……。
「たぶん、‘加工’が必要じゃないか?」
「そうですねぇ。意識はある程度保ったままでないと……ノイズになる魔力神経回路は肉から剥ぎ取って……」
「あ? あ? あ!?」
聞くも恐ろしい話の内容に、ライルはこれ以上ない程焦る。
拘束されている椅子を渾身の力でガタガタと揺らした。
「ふざけるな! やめろっ! やめろぉっ! 貴様らぁっ、何をしているのか分かっているのかッ。 死者蘇生だと!? ウィレミニアの法も、ノルン神教の教えもっ――ニホンの法でさえ許されざることだろう!?」
激しく騒ぐライルを、騎士の1人が運び始める。
シルヴィアは偽りなく申し訳なさを感じながら、七郎へ問う。
「手伝って、いただけますか?」
「もちろん」
「 !……よかった。では参りましょう♪」
儚く微笑み、進み出すシルヴィアに続く。
失った仲間、守れなかった少女と共に朝を迎える。
俺に一縷の希望を与えてくれた彼女の願いには、可能な限り協力したい。
そうして俺達は男の悲鳴を行進曲とし、奈落の底へ歩んでいくのだった。
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