小野道の末路
「あ、あひぃぃ、ひいいぃっひっひ」
――や、やってしまった。どうしたら、ど、どうすれば。
小野道は夢中で足を動かし続ける。
仕方なかったのだ。
魔犬から逃げて、やっとの思いで助かったと思ったら烈剣姫は犬に負けそうで。
ーーあ、あのままじゃ、また襲われちゃうじゃないか!
「悪くない、悪くない、撃ったのは、わ、わるくない」
悪い目に遭うのは誰かのせいで、自分は何も悪くない。
自分に利用されて蹴落とされるのはお前のせいで、仕方ない。
小野道という男の性根には、屈折した思いがいつも沈殿している。
その本性はいつも土壇場の状況でむき出しになり、軽蔑され、日陰に追いやられてきたのが男の人生。
「第一、魔犬のほかにあんな魔物が居るなんて……」
小野道がライルに、無理やり戦場に連れ出されてすぐ。
虐殺された魔犬の亡骸を辿り、戦線の中央部を進んでいた時に想定外の事態が起こった。
墓所区画の各所が破壊され、路地という路地に血だまりが出来ている光景に、ライルは心底不快な思いをしている様子。
ライルとて、義瑠土員の援護が届かない距離まで進むつもりは無かったはずだ。
墨谷七郎の監査を装える程度の距離に、自分が居ればいいという話をしていたのだから。
「おお、ちょうどいい。お前達に、このライル・サプライの――」
最前線よりやや後方。
ちょうど中央仮設本部から出張ったチームに、ライルが難癖をつけながら護衛をさせようとしていた時に”それ”は現れた。
最初に気づいたのは自分だったと思う。
人の気配がなかった路地の奥、見上げるほどの高さに明かりが見えた。
最初は、宙に浮いている魔導照明の光だと思った。
灯りがゆっくりと近づいてくることに疑問を抱かず、ライルと義瑠土員に視線を戻し……感じた違和感。
近づく照明の上下に‘ぱちり’と、瞼が開くように灯りが増えたのだ。
目を凝らせば見える位置まで、光が’ゆらゆら’と距離を縮めてきたところで、自身の勘違いに気づく。
「(あ。目だ)」
淡く輝く光に、ハッキリと瞳孔と虹彩が見えた。
人の頭ほどある大きな目玉が、3つか4つ……縦に不規則に並ぶ。
次に見えたのは目玉の下、照らされない闇から伸びる大きな足。細く、人間の足の形によく似ている。
闇から染み出すように最後に見えたのは、目玉が並ぶ胴体。
柱だった。
丸太のような柱に並んだ大きな目玉が、幾つも瞬きをしている。
柱の下では4本の足が等間隔に生えていて、地面から胴を浮かせ、柱の胴体を揺らし歩いているようだ。
頂上には左右に短く伸びるでっぱりがあり、そこから黒い紐がウニョウニョと波打っているのが見える。
「電柱?」
目玉と足が付いてるせいで連想しづらかったが、柱と電線……現代でよく見る物と比べ、一回りほど小さな電柱が歩いてきているのだ。
魔物が存在する現在の日本においても類を見ない、奇怪な姿に小野道は声も上げず立ち尽くす。
―― は?
ライルと義瑠土員達も同じだったらしい。誰からともなく気の抜けた声が聞こえる。
―― ****+01101001**……
目と目が合う。すると電柱の怪物は長い胴を後ろにしならせ……
「え」
ライルと義瑠土員達の間に、勢いをつけ上半身?を叩きつけてきたのだ。
「あ!? ああああああ!?」
地面が綺麗に割れて陥没する。衝撃で吹き飛ばされる義瑠土員もいる中、急な襲撃に冷静さを失ったライルが叫んで走り始める。
逃げたのは前線の方向。
「待っ……ひっ!?」
ライルを止めようと後を追い始めた矢先、電柱の目玉が全てライルと自分に向く。
同時に、電柱の後ろから全力で殴り掛かった義瑠土員の警棒が、ぽきんと折れてしまったのも見えた。
「あぁっあっ、待ってください! ライルさっ」
なりふり構わず走るライルの足は止まらない。
全力で追いかけるが、後ろから目玉が追ってきているのが分かる。
見ると柱を横倒しにした電柱が、電線を地面でくねらせ蛇のように道を滑って追ってきていたのだ。
「うわあああああああ!?」
走りながら懐の拳銃を取り出すも、撃つ余裕は無い。
そして烈剣姫と会う直前ぐらいで、追う怪物が柱のバケモノから魔犬に替わっているのに気付いたのだ。
無我夢中で、生きるために行動した。
だから今生きてるんだ。殺されずに走ってる。
そ、そうさ。なにも間違えていない。仕方なかったんだ!
「はっは、は――……?」
―― ここは? 本部の方に戻ろうとしてたはず……
自分は確かに墓地区画の道を走っていた。森に入った覚えなんかない!
近くの木々がうっすら見えるだけの闇の中、自分の息遣いだけが妙に響く。
音が無いことがより一層、小野道を恐怖させる。立っている地面すら見えない。
体を抱えるようにして膝を地につける。
「ぃぃぃっっっ?! な、なんなんだよぉぉぉぉ!」
ストレスが最高潮に達した男の怒号は、暗闇に吸い込まれ誰にも届かない。
頭を振り乱したせいで酷い頭痛がする。息がくるしい。
混乱のまま顔を上げる。
「……へあ?」
ぱちり、ぱちり、ぱちりと下から順番に目が開いていく。追うように目線は上へ。
虫の羽音を、百倍不快にしたような音がする。うねる電線が暗闇の中で光って見えた。
「ぁぁぁぁぁあたすけてぇぇぇぇぇぇ!!」
小野道は這いずりながら、逃げようと藻掻く。
「たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてっっあ゛」
這いずる足に、巻き付く感触があると思った瞬間。
「い゛ い゛ い゛ い゛!!!!!!!!!」
想像を絶する苦痛が、つむじから足の指先までを硬直させた。
何も考えられない。体を動かせない、歯を食いしばり言葉を叫べない。
出来るのは力の限り喉を震わせ、失禁することだけ。
「――!!!――ッッ!―――ギーーー」
小野道の体から煙が立ち始める。
眼球は白目のまま半分飛び出し、血交じりの汁が顔の穴から垂れた。
「――………………」
男の息が止まってからもしばらくの間、電柱……正式名称【人工魔:逆柱】による電撃は続いたのだった。