瞳に輝く十字の星は
真っ黒な刃から放たれた飛翔する斬撃。
刃と同じ色をした魔力が、巨獣の肉体の存在強度を簡単に突破し頭蓋を切り砕いた。
重い音を響かせ巨体が倒れ伏す。
「…………」
視線は首のない巨獣から離さない。わかっている。
水底に深く歪に根を張り、水面に力強く咲く蓮のごとき大怨霊。
泥底から這い出る千手の大輪は、この程度で萎れはしない。
虎郎剣を構え、静まらない昂ぶりを言葉に乗せる。
「狸寝入りを続けるなら、切り刻むぞ」
掲げる頭を無くした首腕が、一斉に解け広がり爪を立てた。
亡骸の体が四足獣の骨格を無視した動きで飛びかかってくる。その動きは蜘蛛のようでもあり、発狂した人間のようでもある。
SFパニックホラーに登場する、地球外生命体を思わせる姿だった。
「ッ!!」
躱す気はない。正面から斬り潰す!
血濡れた意思を込める虎郎剣の一撃は、彼女の欠片そのものである呪腕が花開く中心に突き刺さる。
大量の魔物の血により、鋼そのものが変異している黒剣は、土地の神と言える存在へ容易く傷を与えた。
銀伽藍の外見的な切断にしかならない一撃でなく、物理攻撃などで害されない神的存在を脅かす痛打である。
――!?ウ穢*漣峨※Aaaaa!?!!!
異形は黒水をまき散らしながら、踵を返し森の方向へ走り出した。背を向け逃走を始めたのである。
「待ぁてぇ」
巨獣の体はすでに存在しないはずの耳で、逃げ出す背からくぐもった声と歯ぎしりを聞いた。
同時に後ろ足に感じる激痛。
斬られたことを知覚したが、振り向かず森の闇へ飛び込むべく足を引きずり走る。
俺は当然追う姿勢だ。
異界と現世が歪に繋がる森に逃げられれば、追う手間が増えてしまう。
その前に仕留めたい。斬ってやる。斬ってやる。
殺してやる。
異形の背に向かい跳躍しようとした時、後方から複数の悲鳴が聞こえた。
「くるなぁぁぁ! 助けろ! 助けろ! ノロマがぁぁぁぁ!」
「いやだぁぁっ死にたくない! なんでっなんでっあんな柱のバケモノがぁぁ」
男2人が魔犬に追われ必死の形相で逃げてきていた。
足がもつれ、今にも転びそうなライル・サプライと小野道であった。
数日前に気づかれないよう、奴らの顔は確認している。
どこか安全地帯に居るはずの2人が俺の近くに居るということは、事前の計画通り誘導されたのだろう。
「(だが今は逃げた欠片をーー)」
「ナッ、ライル・サプライ!?」
「あなた達、どうしてこんな所に!?」
「烈剣姫!? 何とかしろっ、殺せっ! たすけろっ」
「う、わぁぁぁぁぁ」
その時伽藍は、小野道が片手に握った何かを魔犬に向けるのを見た。
それは黒塗りの拳銃だった。
彼が、帝海都よりずっと懐に忍ばせていた護身用の実銃。
数発の銃声が響く。
幸運なことに一発だけ銃弾は命中したが、追って来る魔犬は止まらない。
「来るなぁぁぁっぁあ」
飛びかかる魔犬に小野道が殺されようとした瞬間、牙を受け止める烈剣姫。銀伽藍の握る剣が、辛うじて牙を防ぐ。
「!? くっ?」
消耗した少女の体はすでに限界だったのだろう。魔犬一匹が飛びかかる勢いに押され膝を着いてしまう。
他数匹の魔犬も、ライルになすり付けられた形でガドランが相手取る。
「早く、にげ」
伽藍が腰を抜かす小野道に、逃げることを急いた時だった。
響く一発の銃声。
「――――え」
「いひ、ひひ、ひいいいいいぃぃ」
なにか狂を発したように走り出す小野道が視界の端に写る。
だんだんと太ももに感じる、焼き刺さるような激痛。
「あ……、ぁ、ぁああああ!」
弱まった身体強化など、銃撃に対して効果は無い。
熱い血が流れるのを感じ、銃弾が空けた穴を見る。
少女は理解した、誤射じゃない。自分は生贄にされたのだ。
魔犬一匹を止めるエサとして。
――GYaン、GYaン!
足の激痛に喘ぐ伽藍は、刃を噛む魔犬に押し倒される。
獣の爪に晒される少女の体。
制服が破け、最後の砦である義瑠土支給のインナーも徐々に引き裂かれていく。
「い゛、や、痛っ! やだ、あああああああっ」
伽藍の真っ白な胸や腹に、爪痕が赤く線を引き始めた。
・
・
・
短い時間の中で起こった後方の惨状。
足を引きずり逃げる異形を捉えつつ、俺は迷っていた。
すぐに助けに走らなければ、銀伽藍は死ぬだろう。腹を裂かれて無残に死ぬ。
だが逃げる異形は今まさに、森に隠れようとしている。
隠れ逃げる前に殺したい。
天秤にかけたのは、自身が守る側の人間であったという誇りと、脳髄を満たす殺戮への欲求。
俺の魂はヒトであるのか、そうでないのか。
隣に、それを諭してくれる仲間はもう居ない。
――殺したい
身を殺意に委ねる決断。異形に視線を戻す。
すると、目の前に悲しげに泣く子供が立っていた。
色素の薄い髪を流す、幼い少女が顔を歪めて俺を見ている。
花柄のワンピースから腕を広げ、顔を横に振る彼女から目を離せない。
”行ってあげて? きっと助けを待ってるよ”
織使 真理愛。
そうだ。
思い出した。
「(俺たち魔導隊は、彼女の信じるヒーローだったんだ)」
殺意で濁った男の暗い瞳に、十字の星が輝いた。
・
・
・
「伽藍っ!っ、コノ……!」
魔犬2匹が助けを阻む。
今にも伽藍が殺されそうになり、ガドランに焦りが募る。
「殺れっ早く! オークの分際でぇ……役に立ってみせろッ」
後ろで喚くライルは無視する。
「ドウすれば!?」
石礫弾を唱える隙も、魔力も無い。
そんな中、横を駆け抜ける風が吹く。
最後の力を振り絞り、魔犬を押し返そうとする銀伽藍であったが、どうしても腕が上がらない。
「こんな、死に方……」
跳ね返せない死の未来を直視できず、烈剣姫は目を閉じる。
「――?」
突然、腕にかかる重さが消えた。
恐る恐る目を開ける。
「……ぁ」
肩を抱かれて起こされている。
目の前にあったのは墨谷七郎の顔。
彼の光る瞳が、優しい眼差しで伽藍を見つめていた。
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