霊園山防衛戦線(9)
――――ぎ、YAaaaaaあああああああああああ!
配下の魔犬が、何も出来ず数を減らしていく光景に痺れを切らし、ついに巨獣が墨谷へ飛びかかる。
「(依り代の魂はもう飲み込まれたな、これは)」
魔犬の王の瞳や口から垂れ流される黒い水。濃い呪いを含んだ穢れが滴り落ちる。
人間の顔程ある牙を突き立てようとする顎を、咄嗟に鉄で出来た警棒で受け止める。
「っ!」
しかし聞こえる鈍い音。岩をも砕く鉄塊が砕ける音だ。
大型警棒をかみ砕き、更に俺の体を引き裂くべく迫った突進を躱す。
「らぁっ!!」
――Gyaいん!?
その醜い横顔を拳で思い切り殴りつけた。
【愚か者の法衣】を維持している為、全力の1割程度の膂力しか発揮できないことが口惜しい。
だが手ごたえはある。骨まで響いただろう?
そのまま追撃の拳と蹴りを胴体に叩きこんだ。
今度は獣頭でなく、首の代わりとなっている迷宮核の欠片が声なき悲鳴を上げる。
霊園山迷宮の核となる彼女。
元は骨池に沈む怨霊であった存在に俺達が名を与え、形と在り方を定めた、成長し続ける魔力の塊。
土地を統べる神に成りあがった水底の澱みである。
名を与えながら、触れざるよう秘匿し、魔力のみを削り取った10年間。
これは搾取する悪人の所業だ。
「(悪人だとも。ああ、そうさ。どんな手を使っても、俺は仲間と朝が見たい)」
――KUる˝ナaaaaaaaaa
滅茶苦茶な勢いで振り下ろされる、呪いで汚れた巨獣の爪。
肉体を無残に引き裂くはずの斬撃は、多少の衝撃を響かせるのみであり、俺の体に傷をつけるに至らない。
「今更そんなモノで殺されてやるものかぁ……!」
爪で引き裂こうとした男の異常な肉体強度と、凶暴で陰惨な表情を恐れ、巨獣の体が自然と後ずさった。
それでも爪にこびりついた呪いの影響か、愚か者の法衣による外見の欺瞞機能が一部乱れているのが分かる。
表面にノイズが走るがすぐに機能を回復し、俺の姿は何も変わらない。
だがダメージが無いとはいえ、獣の凶暴な殺意に晒されていることで血がふつふつと沸き立っていく。
どうしても感じてしまうのだ。暴力への渇望を。
人間には持ちえないであろう、破滅的な攻撃性が首をもたげてくる。
暗闇のなか大勢の人間が魔獣と戦い血を流している……10年前の事件と酷似した現状が、心を蝕んでいくのが分かった。
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やや離れた場所で異形の王と墨谷の殺し合いを見る、銀伽藍とガドランの2人。
魔犬の王が振るう殺意を、規格外の暴力をもって圧倒する墨谷から目が離せない。
「あの巨大な魔犬相手に一歩も下がらずに、殴り返して……!? 本当にどうやったら、あんな風に」
「我らオーク氏族の戦士でモ、あそこマデ命知らずの芸当はできヌ。それに彼ノ体が妙ニ……イヤ」
伽藍は魔犬を斬り倒しながらも、墨谷の常軌を逸した戦い方に混乱を強いられていた。
自身の肉体強化では絶対に耐えられないであろう巨獣の攻撃。
これを身一つで押し返す有様は、少女の常識を根本から覆す光景なのだ。
ガドランの、伽藍と同じように驚愕に見開かれた目が瞬きを忘れている。
彼は墨谷の体に虫食いの様な乱れが生じたのを見たが、目の錯覚であると結論づけた。
さらに2人は、巨獣の前に立つ男の行動に度肝を抜かれることになる。
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凶暴性を露にし始めながら、魔犬の王の前に立つ七郎。
彼は血と暴力に酔い始めた頭で、眼前の獣を屠る手段を考えていた。
「(牙程度で砕かれる鉄塊ではない、魔獣魔物を殺す為に鍛えられた武器が必要だ)」
導き出した答えを握るべく、自身の影に向かって言葉を投げる。
「明」
名を呼ばれたことにより、影から無機質で機械的な腕が浮き上がる。
「虎郎剣!」
声を認識し駆動する腕が、影の底から引き揚げる1本の剣。
渡された剣の柄を握る。
剣は殺意で鍛えられ、数え切れぬほど屠った魔物の血により、荒く研ぎ澄まされた黒剣だ。
その重厚さから剣ではなく鉈と表現しても差し支えは無い。
かつて苦楽を共にした仲間の武器。
彼……いや彼女はいつだって皆に勇気をくれた。
「(また頼らせてほしい)」
心の中で剣に語り掛けるも当然、洒脱な彼女の言葉は返ってこない。
かつての仲間の面影により冷えた頭が、行き場のない怒りと殺意でまた濁る。
許せない。認められないんだ、こんな現実。
皆が居ない……それを想うと孤独と後悔でどうにかなりそうなんだ。
虎郎剣を両手で握り、筋肉を引き絞りながら振り上げる。
編み込まれた鋼鉄の針金を幾重にも織り込み、金剛と成った肉体を炎で融かし剣へ流し込む感覚。
超高濃度の魔力が渦巻くことにより、剣の刃が唸り始める。
どうやら巨獣は、この剣で殺される未来でも見えたらしい。
怯えた心を生存本能で塗りつぶし、巨体全てを使って飛び込んでくる。
その巨体がぶつかる前に、剣は犬の頭に向かい振り抜かれた。
「斬波」
放たれた魔力の斬撃は、巨大な犬の頭を吹き飛ばす。
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――伽藍は、墨谷七郎を悪人だと思って……どこか、程度が知れた人間だと侮ってた
「(でも、理解って無かった)」
あれが霊園山の魔力を不当に利用し得た力なのかもしれない。
悪事を暴き、正す。
少し前までの少女は、自分の一番大事な記憶を貶した男を、シルヴィアの言葉をもって悪人であると断じていた。
しかし彼に在りし日の、憧れの背中を見てしまった時から、どうしても憎み切れなくなっている。
憎むどころか、逆の感情が芽生え始めていることは自覚できていないようだが。
「あの人は他人を守れる強さがあるのに、それに比べて伽藍はーー」
巨獣を吹き飛ばした墨谷は動かず、首の無くなった死体を見下ろしている。
「伽藍も、隣で……」
憑き物が落ちたような目で墨谷を見つめる少女は、後ろから飢えた魔犬の群れが迫っているのに気づいていなかった。