霊園山防衛戦線(8)
義瑠土員達は、北東と南西、そして中央仮設本部に部隊を分け徹底抗戦を始めている。
特に北東と南西では、詠唱への適性がある第2世代魔法使いが投擲する、火炎魔法の激しい爆発が見えた。
魔力が枯渇したそばから薬液で補充する、限界を超えた火力。
――焼けっ、焼けぇぇっ
――1匹も逃がすな
――薬液飲みすぎて気持ち悪い……あした魔力酔い確定
――明日があればな
物量差は歴然、しかし義瑠土側に不利と思われていた状況は予想外に好転している。
そもそも義瑠土拠点群に向かってくる魔犬は、せいぜい小規模な群れ程度。外縁部も含め、義瑠土側が大きく有利な状況にある。
「っ……う……顔に降ってきた」
理由は明白。先ほどから小雨のように義瑠土員の体を濡らす液体が、犬の群れが晒される現状を伝えていた。
血の雨が降っている。
闇夜の中しっかりと見ることは出来ないが、皆一様に恐れを抱く。
聞こえてくる轟音、破裂音、断末魔が響くたびに雨の勢いが強くなる。
大型魔導照明の光は、赤い渦が群れを食い破る姿を影絵のように照らしていた。
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2本の鉄塊を無尽に振るう。
回転を加え、無秩序に暴れる殺意が魔犬を蹂躙した。
「あ゛あっ!」
足に力を籠め、蹴るたびに砕ける地面。
飛び出す膂力に見合った突進力で、群れの内側を突き破る。
普段途切れず行う身体強化は、自重を軽くする特殊な技法。
その他の魔力と操作意識は、自身の外見を偽る装備【愚か者の法衣】に集中させる為、これを完璧に展開する限り十全な力を発揮出来ない。
基本的には自分に……墨谷七郎に高い魔法適性など無い。
外見の欺瞞も、影を利用した収納魔法も、人一倍の努力と魔道具の補助が無ければ操れないのだ。
認めよう。その努力をかなぐり捨てた暴力の、なんと甘美なことか。
自重操作を弱め、本来の体の重量に近づけた重さを、存分に打撃に乗せる。
欺瞞にも綻びが出ているかもしれない。
――知ったことか!
ヒトを食い殺す魔獣ども。お前らは皆死ねばいい。
「――ッ」
短い息継ぎの間に、肉塊となる無数の魔犬。
オマエが俺に殺されるのは、噛み砕かれた恨みのせいだ。
黒牢で守るべき人達を噛み殺された、弱かった男の復讐なのだ。
「霊園山で同じことは起こさせない」
だから存分に死んでいけ。
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魔犬の黒い絨毯に赤い帯を引いていく。
ヒトを超えた暴力の嵐は、竜巻のように肉をかき混ぜ砕いて進む。
「……途轍モない、力だ」
恐ろしい牙の群れが、臓物が浮かぶ液体へと均等に均されていく。
それでも魔犬が逃げずに向かってくるのは、奥に控える王の存在故なのだろう。
すでに異形の巨獣と配下の獣たちの意識は、ほとんど墨谷七郎のみに向けられていた。
――10年前の事件の折、戦士たちはこんな戦いに身を投じていたのか?
背中を見送る事しかできなかった自分に、すでに知る術は無い。
黒い鎧を着た日本人の戦士5人の記憶。
やはり、いま魔犬を蹂躙する男の姿と、子供の頃の記憶が一致しない。
「はあっ!」
「無理はするナ、銀伽藍」
襲い掛かってくる犬を袈裟切りにした少女の目線は、暴威を振るう男を捉え続ける。
戦士の咆哮による影響なのか、彼女の剣の勢いは衰えない。
「は、ぁ……無理なんか、してない。あの男は……墨谷七郎は1人で魔犬の群れを殺し尽くしてる。 あれが……迷宮で得られる力だっていうの?」
――どうして伽藍はあんな男の背中に、魔導隊の彼を重ねたの?
「……分からナイ。確かにあの力は身体強化の範囲ヲ逸脱している。ヒトが得るニは大きすぎるチカラ。本当に彼が、探していた我らオークの恩人なのかも……分からなくなっタ」
「……ねえ、それって」
――ぎ、YAaaaaaあああああああああああ!
伽藍が、自身が怪しむ男とガドランが探す男の繋がりを察し、問いかけようとした時。
後方で輝く退魔の結界が消える。
同時に異形の巨獣が、墨谷へ襲い掛かったのが見えた。
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「ふ、うう、ぅーー」
息も絶え絶えに俯く修道女。
光の天蓋、神聖城壁が輝きを失う。
「限界……です、ね」
ついに仮設本部を含む、中央を守っていた結界が力を失った。
シルヴィアの体が前に倒れこむが、辛うじて腕の力で踏みとどまる。
「っ、はっ、はぁ、ぁ」
「いやぁ、感心した。ここまでの力を持つ女だったとは」
「っ!……ライル様」
仮設本部で身を潜めていたライル・サプライが、義瑠土側が優位と見るや余裕の表情で歩み出てくる。
後ろに小野道も続いた。
「このライルが、わざわざ足を運んだ大狂行の現場に、オマエの姿が無い時はどうしてくれようと思ったが……許してやろう」
名状しがたい色香を発するシルヴィアの顔を、ライルは顎を掴み強引に上げさせる。
唇を指で弄ぶと、彼女の口内に溢れていた唾液が指に付着し、糸を引いた。
「お前の望む通り、墨谷という男の引きずり下ろしには協力してやろう。あの醜い戦いぶりを見るに、いくらでもでっち上げられる」
「……」
「だからその後は、このライルに従え。その力を有効に使ってやる。霊園山でオマエも良い思いをしたいのだろう?」
汗の滴るシルヴィアの顔が、冷たく笑っている。
「約束は覚えているな? オマエから言い出したことだ、忘れたとは言わせないっ。……く、くく。墨谷の追放が終わった後、俺が呼んだらすぐ部屋に来い。火傷の痕くらい目をつぶってやる」
「…………この夜が明けましたら、いかようにも」
「くっくく、くひははははははははは! いい返事だ。行くぞオノミチ、多少確認する振りぐらいしないと示しがつかないだろう」
「え!? は、はいぃ(なにも戦場に近づかなくてもいいだろ)」
――しかし、あのレベルの魔法を単独で使えるノルン神教徒が、なぜウィレミニアを捨てたのか?
「(じっくり体を責め立てて聞いてやらなければ、な)」
欲に支配されたライル・サプライは、義瑠土員達が戦う戦線へと無防備に歩いていくのだった。