霊園山防衛戦線(6)
「はぁぁぁ――」
息を吐く。
上昇する鉄筋むき出しのリフト、その機械的な駆動音と薄く照らすだけの暖色照明が周りにある全てだった。
一定間隔で光る照明だけが、俺の影を床に写す。
ここ十数時間霊園山の深淵にて、迷宮の核である彼女を、力でもって削ぎ続けていた。
あれは集合体。怨霊であり、女であり、母。
陰の気が混ざり合い、育ち続けた神性存在。
霊園山で密かに祀り奉る女神。
定期的に水の底から溢れ出さんとする彼女を押し戻す作業は、年々困難を増すばかりだ。
今回は抑えるのに最も時間を要した。
彼女から抽出できる魔力量が膨大であるとはいえ、封印制御の限界も近い。
まあ、その辺りはシルヴィアを頼るほか無いが……。
ともあれ、これから僅かに漏れ出した彼女の欠片を焼き消さねばならない。
彼女の存在を知られるわけにはいかないのだ。力を広げず、魔力の抽出を続ける為に。
「魔犬に取り憑いたと、聞いてるが……」
更に、取り憑かれた件の魔犬が大狂行を起こし、油断ならない状況であるとも。
消耗は激しいが、やるしかない。
水の腐臭が混じる空気。流れてくるのは上からだ。
霊園山の異界最深部から続くリフトの終点が近いことを感じ取った。
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「(どうすれば……いい?)」
魔力の不足と罪悪感から気力を欠き、立ち上がることもままならない銀伽藍は正面を見つめる。
迫りくる魔犬の大軍団、一面の牙の波。
路地を俊敏に駆け巡り、墓石を飛び越える勢いのまま走ってくる。
あの波が此処にたどり着けば、自身がどうなるかは想像に難くない。
立つ、立って戦う。
それが伽藍がするべき…………。
「戦ったところで、どうなるっていうの……?」
勝てなかった自分が立ち上がって、何が変わるの。
また役に立たず、強さを証明することなんて出来やしない。
心が折れていた。それは周りの人間も同じらしい。
皆一様に絶望の表情を浮かべている。
子供の頃、魔犬の牙が自身に迫った記憶が蘇る。
剣に執着しながら、何も出来ずに血だまりに沈む実の父親。
正しく、絶対だった親が弱弱しく倒れている光景。
眼前に迫る獣臭が、幼い伽藍の世界をすべて壊していった。
「ううぅぅぅ……!」
心の奥底に封じていた記憶が引きずり出され、体が恐怖に震え始める。
正しさと強さ、剣に固執するのは恐怖から逃げたかったから。牙に負けた父親の末路をなぞるのが嫌だったから。
弱いのが、怖かったからだ。
「……いやだ。誰か、だれかぁ」
鋭利で可憐な烈剣姫が、怯える子供のように泣き始める。
憐れな姿に獣たちは同情などしない、飢えるがままに進んでくる。
非情な光景にいよいよ耐えきれなくなった伽藍が、顔を逸らし後ろを向いてしまった。
振り向く少女と入れ替わるようにして、影が隣を走り抜けていく。
影は一瞬で獣の波の前に立ちはだかり、たじろがず直立。
そして人影が大きく息を吸うのを伽藍が見た瞬間。
「――GA―Aaaaアアアアアアア――!!!――!!!」
ヒトが出せる声とは思えない、魔力の熱が振動となって伝わる絶叫が、獣達すべての足を止めたのだ。
「(――また、助けてくれたの?)」
霊園山であの背中に守られたのは2度目。
伽藍は、魔獣と誤りかねない咆哮をあげた背中に、今度は何故か在りし日の憧れを幻視するのだった。
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人を貪る者達へ憎悪と敵意を込め、魔力の音を吐く。怯えが伝播し、波が完全に勢いを失った。
奥に佇んでいた巨大な魔犬も、頭を振り子のように揺らしながら後ずさっている。
「アレか」
本心からの感情を込め吼えた墨谷七郎が、迷宮核の欠片を宿す異形を見定める。
彼女の欠片は、先程まで自分の大元を暴威によって削っていた男が理解るのかもしれない。
獣の首と成った腕が、悲鳴を上げんばかりに蠢いていた。
「(魔力、いや霊的なパスが繋がっているのだろうか?)」
俺には判断できないが、その辺りが分かりそうな人物も、どうやら後方に到着したらしい。
――泉を汲む大いなる輝き
その翼で文字を撫で、哀れなる我らを導き給え
光の守護、運命が潰える時を許さず
慈悲を以て聳える城を
魔なる者へ刺す、冷たき眼差しをそそぐ
その翼で文字を撫で、哀れなる我らを導き給え
「 【神聖城壁】 」
大狂行に圧された義瑠土員達の、最前列を綺麗に囲む光壁が姿を現す。
「どうぞ皆さま、挫けずに」
仮設本部にて、金の髪をたなびかせるシスターシルヴィアが、大らかに微笑んでいた。