霊園山防衛戦線(5)
巨大な首が切り落とされてから、京弥は我に返った。
決して油断していたわけでは無い。いやどうだろうか。自信は無い。
「……すげぇ」
以前、正面から味わった烈剣姫の実力。
目の当たりにしたのは3度目であるが、京弥はその度に実力の差を思い知らされる。
魅入っていた。
剣の字を持つ二つ名持ち。その技の冴えに。
自分も義瑠土での教導を経て剣を握るようになった人間。剣士の端くれ。
制服を身にまとった小柄な少女が、どれだけの才能を持ち、それ以上の努力を重ねてきたのかを想えば賞賛の感情と少しの嫉妬が湧く。
「(……今は、浸ってる場合じゃねぇよな)」
魔犬による大狂行は続いている。
だが君臨していた巨獣が斃れたのだ。
京弥も伽藍と同じく、突如現れたこの巨獣が大狂行を引き起こした核であることは感じていた。
これで終わりだ。
やっと、希望が見える。
「おい、やったな!」
切り伏せた姿勢のまま動かない烈剣姫へ駆け寄る京弥。
そして、少女の瞳が異様に揺れていることに気付いた。
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「ん……う、あ…………」
人間の腕を束ねた異形の首に刃を入れた瞬間から、経験したことのない感覚を味わっている。
自分の物でない感情が精神を犯している、という表現が近いのだろう。
荒れ狂う激情。
かと思えば粘着質な愛憎。
ともすれば火照る肉欲。
焼け付くほどの……わからない。
1人ではない。誰とも知れない女達の声が聞こえる。
言語化できないほど混ざり合ったぐちゃぐちゃな呪いが、女の指で内側を搔きむしるのだ。
「はっ……はっ……は、ぁ」
伽藍は御しきれない嵐を体の内に抱え、無意識に自分の指を肌に食い込ませている。
薄く膨らむ胸に片手の指が食い込み、反対の手は両腿の間でスカートを抑え握った。
「く……あ」
「……なんだ? どうしたんだよ?」
――大丈夫……か……。
――え?
尋常でない様子の少女を京弥は心配するが、後方から聞こえてきた声に振り返る。
魔犬の妨害にあい、合流できなかった義瑠土員達であった。
彼らは自分達より数メートル離れた所で、動きを止める。
「(そういえば、周りにいた他の犬共は……?)」
足止めを突破した彼らを見て、周りに居た魔犬達の存在を思い出す京弥。
気配が無い。
唖然と立ち尽くす仲間達の視線の先を追う。
伽藍と京弥の頭上。そこには首のない巨獣の体が、音も無く立っていた。
首が無いのに、倒れない。
――おかしいだろ。烈剣姫が首を断ち切ったんだぞ。冗談は、よせよ。
「……はぁー、あ……う?」
呻いていた伽藍の火照りが抜ける。
先ほどまで感じていた、体を動かせないほどの障りが消えたのだ。
水中からやっと浮かんだような開放感がある。
ようやく伽藍が周りを見渡せば、やはり視界に入る魔犬の王の体。
その時だった。
獣の体にある首の断面図から、肉を突き破るようにして飛び出る無数の人間の腕。
同時に、頭にある断面からも同じく腕が飛び出し、双方が勢いよく伸びぶつかる。
双方の腕指が絡まり、接着されていった。
改めて視ると、腕のすべてが女性的であることに少女は気づく。
――Gu、ボ、ごぽ
腕達が繋がると、口から溺れるような水音が始まった。
ゆっくりと頭が持ち上がる。
再び起き上がった頭に、今は表情が無い。眼球は裏返り、そこからも溢れる黒い水。
だがその顔は、しっかりと伽藍に向いていた。
「ゴッッ…ゴプ!!」
蘇った異形の王は、ひときわ大きな水音を喉から発する。
腕幹の首が水を貯めるように膨らみ、繋ぎきれない隙間から、圧力より逃れる水が少量噴き出している。
「ヤベェ! 全員跳べ!!」
――グ、ボォォォォオォォォ――!!
京弥の警告と同時に、異形の大口から怒涛の勢いで吐き出される黒水。
その勢いは大砲のように地面を抉り、黒水は浸食を広める。
「――痛ぅッ」
反応が遅れた伽藍の腕を掴み庇いながら跳ぶ京弥は、黒水の触れた背中の痛みに耐え、仮設本部へ走り出すのだった。
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魔犬の猛攻に晒される義瑠土員達を指揮し、負傷者を受け入れ続けるのにも限界が近い。
墓所区画の仮設本部では、現場指揮を担う男が歯噛みしている。
各自の奮戦と人員の交代を繰り返すことにより、墓所から犬達が溢れ出すことを防いでいるが、このままでは突破されるのも時間の問題。
霊園山義瑠土謹製、支給の装備と外傷用回復薬液のおかげで奇跡的に死者は出ていない。
しかし戦闘を継続できる人間が減ってきているのも事実。
体力も、気力も、残りは薄皮一枚と言ったところだ。
「すみません!! 北東方面のチームが1つ負傷により緊急離脱! 交代人員の編成をっ」
「わかってる! 回復薬液での治療が終わったのが2人休んでたな…。交代に当たらせろ!」
どこもかしこも戦場だ。そしてそれは、此方に致命的に不利な戦場。
「は、は……。いいニュースが、まったく入ってこない、な……」
現場指揮官は乾いた笑いを浮かべるほかない。
そもそも、自分たちが守っている墓地区画以外にも魔犬は出現しているのだ。
霊園山の下の町に、犬達がすでに降りてしまっていることも大いに考えられる。
そんな状況で外からの応援は来るのか?
確証のない希望、終わらない戦い。疲労がピークに達している。
「キット解決策はアル。諦めてはいけナイ」
「お……ああ、あんたは」
指揮する男は、戦場の維持に多大な貢献をしているオークの男、ガドランの大きな手に肩を叩かれた。
彼の言葉には不思議と、信じたくなるような厚みを感じる。
「そ……そうだな、まだ皆頑張ってくれてるんだ。ここで負けるわけには――」
――おい! 戻ってきたぞ!
――烈剣姫と辻だ! 無事だったぞ!
本部の外が、にわかにどよめいた。
現場を指揮する男とガドランは顔を見合わせ声のする方に向かうと、負傷した辻京弥を支える銀伽藍が、地面に膝を着いている。
少し遅れて合流してくる、数人の義瑠土員の姿もあった。
「ご、…ごめん、なさ……。伽藍を、庇って」
「ぐ……」
辻京弥は負傷し、烈剣姫は見るからに消耗している。
運ばれていく辻京弥を見送りながら、霊園山に初めて来た日と同じように少女を宥めようとするガドラン。
「ごめんなさい、ごめんなさい。また、伽藍は、負けて……ごめ、ん、なさい」
肩を震わせる烈剣姫は、謝罪の言葉を繰り返すばかり。
「落ち着ケ。なにガ――」
「ああ、くそ……。来た……」
来タ?何を……言っテ?
後ろで、伽藍達と共に戻ってきた男が呆然と呟く言葉に訝しむガドランであったが、彼の目線の先に理由を見た。
今まで相手にしていた数倍の犬の群れ。
魔導照明に照らされた先が、獣の黒で埋め尽くされる。
そのさらに向こう。叩き潰してきた魔犬とは比べ物にならない大きさの四足獣。
アレが群れの王であることを、ガドランは否応なしに理解する。
‘だらだら‘と粘つくモノを顔じゅうから垂れ流し、焦点の合わない眼で虚ろに立っていた怪物が突然、大きな口を裂き、――砲撃。
呪いそのものである黒水を圧縮凝固させた砲弾が、魔犬達の黒絨毯と仮設本部の丁度間に着弾する。
響く破砕音と土煙。
着弾音を合図に、無数の犬達が雪崩のように進撃を始めた。
「オ、オオォォォ――」
悪意を込めた牙が押し寄せる光景は、ガドランに10年前の記憶を想起させる。
蹂躙する波が、この場所で戦う人々を飲み込もうとしていた。