霊園山防衛戦線(3)
水影山と白捨山の双山に広がる墓地。
問題の墓地区画や華瓶街は、比較的傾斜が緩やかな土地にあるとはいえ、斜面は斜面。
箇所により差はあれど、高低差が存在する。
その土地の形状故、墓地と森の境は山頂側や中腹に多い。
大狂行の主戦場に単独で突出した伽藍は、高所から勢いをつけ駆け降りてくる魔犬の猛攻に晒されていた。
――GyaUウ˝ウ˝ウ˝!
「死に、なさい!」
伽藍は一振りで魔犬を斬り裂き、死に至らしめる。
しかし、斬った魔犬の血しぶきの向こうから更にもう一匹、少女の華奢な首筋を嚙みちぎるべく襲い掛かかった。
刀の刃で牙を受け止めるが、狂犬の大口が刃に噛みつき放さない。
その隙を逃すまいと、孤立無援の少女へ一斉に飛びかかろうと犬の群れが囲む。
「ッ、この!」
白刃に食らいつく狂犬の腹に、綺麗に垂直に上がった伽藍の蹴りが刺さる。
女鹿の様な足を包む黒いタイツが蹴りの衝撃で破れ、真っ白な肌が所々露になるが、本人に気にする余裕は無い。
堪らず剣を離す魔犬。
自身を囲み飛びかかる牙が届く前に、少女の体は既に空中にあった。
――弦弾くは魔の9矢、定めるものを射つ
「 【魔法の矢:9射】 」
頭上から降る魔矢の雨に、群れは成す術無く刺し貫かれていく。
「(斬っても、斬っても、減る気がしない……)」
独りでこの事態の元を絶つと息巻いて来たは良いものの、森の中にすらたどり着けない。
道中、魔力もずいぶん消費した。
先ほどと同じ数の魔矢を放てば、身体強化の維持も危うくなりそうだ。
「負けて……たまるか」
汗が滴り、髪が肌に張り付く。
墨谷七郎が迷宮より奪取し我が物とした力を暴き出し、悪事を追及する証拠を掴む、修道女シルヴィアによる計画。
不気味で底の知れない男の悪事を確信する伽藍は、大狂行の鎮圧に墨谷の力が必要であるとは考えていない。
「伽藍が、全て斬ればいい。証明すればいい」
修練の末手に入れた技。
そして墨谷という悪を憎むことにより取り戻した、精神の白刃。
大狂行を自身の実力で解決し、墨谷の悪事も自分が暴く。
烈剣姫がそう心に誓い、体を奮い立たせた時。
「ひとりで突っ込むとかナニ考えてやがる!?」
知った声が、後方から駆け寄ってくる。
仮設本部でも顔を合わせた男。辻京弥であった。
それと数名、京弥に付いてきた人員がいるようだが、京弥の更に後方で数匹の魔犬に足止めを喰らっているようだ。
「何しにきたの?」
「連れ戻しに来たに決まってるだろ。いったん戻るぞ」
「戻らない。もう少しで森に入れる。このまま進む」
「おい、森の中はこんな状況じゃ無くても、異界に迷い込む危険があるから立ち入りが制限されてるんだよ。今は何が出てくるか知れたもんじゃねぇ。せめて朝になるまで……イヤ、墨谷さんが見つかるまで守りに徹するべきだ。あの人が一緒なら何とかなるかもしれねぇ。俺たちはまず、華瓶街を守る事を……」
墨谷。その名を聞くだけで、戦闘により昂った少女は平常心でいられなくなる。
「あいつが頼りになるわけない!! 伽藍は、アイツよりっ」
――ごぽ
「……あ?」
京弥の説得に、頑なな少女が感情を乱した時だった。
視線の先。森と墓地の境目。
夜の闇で境界線は曖昧だが、視線を向ける山中で汚濁から気泡が湧くような音がする。
場違いな水音が、何故こんなにハッキリと耳に届くのか?
京弥だけで無く、異様な音を聴き冷静さを取り戻した伽藍も、気味の悪い音に意識を向けざるを得ない。
――ぐぷ、ぐ
そして音の主が、森から滲み出るようにゆっくりと姿を現すと、伽藍と京弥は背筋が凍り足がすくむのを感じた。
魔導照明の光が届かないほど、距離が離れていても見えてしまう。
顔だ。
おそらく、巨大な犬の顔。
犬の顔に2つある濁った眼玉の瞳孔が、ぐるぐるぐると不規則に動き回っていた。
奇妙な水音は、大きく裂けた獣口から発せられている。
血であるのか、それ以上に良くないモノであるのか。
黒く、ヘドロのように粘ついた水が口の端、牙の間からこぼれる音だったのだ。
「なに…………あれ?」
伽藍が辛うじて、呟く。
汚水が地面に滴るにつれ異臭が2人の鼻をつく。水底に溜まる腐敗の匂い。
更に異常なのは、人間などひと飲み出来るほど大きな顔が、無数の人間の腕に掲げられていることだ。
異形の首が多くの手に持ち上げられている様は、祭事で捧げる供物のよう。
さらに顔が前に突き出されると共に、獣の体が森から歩を進める。
顔に見合う巨大な肉食獣の体だ。
獣体前足の付け根付近から生える無数の腕が、犬の頭を掴んでいる姿。
あまりに常識外の醜い異形に、2人の理解が及ばない。頭が理解することを拒む。
気づけば周りに散らばっていた魔犬が、異形の巨獣をこそ恐れるように動きを止めている。
――……Gaウ!
どこかの一匹が吠え声を上げた。それを皮切りに次々と魔犬達の声が増える。
「オイ……嘘だろ?」
ヒトでは無い獣が作る、異様な熱気に京弥の顔が引きつる。
獣達の輪唱が広がるにつれて、巨頭を掲げる無数の腕が捻じれていく。
腕の捻じれる動きに合わせ、回る犬の顔。
回りながら黒い液体を口からまき散らす。
捻じれ、纏まり、腕が幹として形を成すと同時に、それを首とした頭が”ぐちり”と繋がる音がした。
魔犬の王の瞳が、ようやく2人を捉える。
「GUオオオオオオオオオオオオォォォォ――――ンン」
粘つく水音が混じる遠吠えが、大狂行の本当の始まりを告げたのだった。
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