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屍鬼は希い、伽藍は憎む(1)

 

 屍鬼(しき)(かわ)きと、ひび割れていくような苦痛に(あえ)いでいた。


 ――いたい。いたい。苦しい


 (はらわた)()けるような(おぞ)ましい痛みが、肉や骨に所かまわず広がっていく。


 だが、この耐えられない苦痛が和らいだ瞬間があったのだ。

 それは男が血しぶきを上げ、その血の温もりを肌と魂で感じた時。


 苦痛から逃れるため、心の(おもむ)くまま、屍鬼は自らの敵に襲い掛かった。



 「どいて」


 取り押さえたい。

 甘すぎる七郎の考えに、失望という表現では足りない感情を伽藍(から)は抱いていた。


 「(この男には何もさせない。伽藍一人で足りる)」

 

 襲い掛かる屍鬼を迎え撃つため、七郎の横をすり抜けるようにして伽藍は(おど)り出る。


 突き出される異形の狂爪。

 人など簡単に引き裂くだろう。この怪物は断じて人間などではない。


 自身の考えが間違っていないと確信する。

 そして確信は、屍鬼の想像以上の膂力(りょりょく)をもって証明された。


 魔力で身体強化してなお、屍鬼との衝突に打ち負けたのだ。


 「ッ、でもっ!」

 

 でも、力で負けるなら――。


 先日の七郎には、(きょ)を突かれ不覚を取ったが今回は違う。

 修練を重ねた剣技の(わざ)。無駄のない足運びで爪をかい潜り、屍鬼へ肉薄。


 「ハァァ!」


 屍鬼の(ふところ)に潜り込み、一閃。

 伽藍の剣は屍鬼の胴を切り払った。


 肉体と刃に魔力を通した一刀は、言わずもがな常人の一振りとは全くかけ離れた威力を持つ。

 自身の肩幅ほどもある木を、豆腐のように斬れるのだ。

 剣技への自信、信頼感。人に似た肌を持つ魔物程度、斬れない訳がない。


 なら、いま目の前にある現実は何なのか。


 「なん、で」


 胴を撫で斬るつもりの一刀は、薄肉を裂くばかりで止まっていた。

 (かわ)(うめ)(おんな)(おに)にさしたる損傷は無い。

 だがこの一刀は、屍鬼を激昂させる。



 ――いiiiヤァァアアだああああああ!


 屍鬼は乾いた血が張り付く(つら)をぐしゃりと歪め、両腕を振り回す。

 狂乱し、振り回される大爪を(さば)ききれず肩を(かす)めた。


 「ぎっ!」


 掠めただけで、軽い伽藍の体は宙に浮く。

 倒れず着地することはできたが、肩からは少なくない出血。

 

 傷を押さえる伽藍の目は未だ闘志に燃えているが、剣を握るための手に力が入らない。

 魔法の詠唱を挟む余裕も無い。


 様子を見ていた辻京弥も息をのむ。


 「(烈剣姫(れっけんき)でも、止められないのかよ)」


 まったく自分では付け入る隙のない、烈剣姫と女怪(にょかい)の攻防。

 屍鬼の爪により負傷した男を安全な距離まで運び、何とか止血を行ったところだ。その場で休ませているが重症。一刻も早い治療が必要なのは明らかである。


 しかし連絡するにしても、信号弾で屍鬼の気を引くことは避けたかった。


 目線を烈剣姫に戻せば、彼女も負傷している。


 記録では知っていたが、遭遇したのは初めての屍鬼。

 想像以上に強い。


 「俺が、歯が立たなかった烈剣姫が……」


 京弥の心は、鬼と戦う前にして折れかけている。

 櫻井桜も証明魔道具に魔力を注ぎ続けているが、限界が近いのだろう。

 顔から大量の汗が滴り落ち、息が荒い。


 「(どうする?)」

 

 京弥が動けずにいる間にも、屍鬼の胴にあった傷は再生している。



 ――ひぃひひひふふ。いたくない。なぐられてもいたく、ないよ、おねえちゃん



 屍鬼は笑っていた。自身の力に溺れるように。

 もう(ちから)無くうずくまるだけの弱い自分ではないのだと、(ほこ)るように。


 自身を(さいな)む耐え難い苦痛も、斬りかかってきた少女の返り血で一瞬()えた。

 だが本当にそれは一瞬。すぐに苦痛が屍鬼を苛む。


 (うめ)く屍鬼の背から、照明魔道具の光が場を照らし続ける。



 「……やめろ……邪魔だ。伽藍はまだ、戦える」


 伽藍は照明の光も、屍鬼の姿も見ることはできない。

 男の背にいるからだ。

 男の影が、伽藍の体をすっぽり覆う。


 「……」


 墨谷七郎が、伽藍を守るように立っていた。


 ・

 ・

 ・


 背中の少女から、きつく(にら)みつけられている気配がするが気にしない。


 眼前の鬼を見る。

 強靭な体と再生力。生半可な魔力攻撃では、その存在強度を貫けない。


 以前見た数人の屍鬼と同じだ。この人も自らの魂の強さで、屍鬼にまで()る。

 

 10年に及ぶ経験と検証から、七郎()はある知見を得ていた。


 人間の魂魄(こんぱく)は、死と死後の劣化で摩耗(まもう)していく。

 だが人間の意思と記憶、そして想いの強さは魂にレコードの(みぞ)のように記録され、損耗(そんもう)して(なお)極彩色の輝きとなるのだ。


 魂の光こそ、自らを過去とせず現在に還り立ち、未来へ再び()いずろうとする不死者たちの根源なのだと俺は知る。


 それは自らと、何を(たが)えているというのか。


 幸いなことにこの(たましい)理論の検証は既に立証し、記録を終えている。

 なら必要な事はいま一度、この人を安らかにする事のみ。


 「俺なら、それが出来る」


 背にいる少女が否定した死者への情け。

 それに必要な力を持つことを、俺は静かに宣言した。


 ・

 ・

 ・


 強い背中に守られる景色。

 伽藍の始まりとも言うべき、記憶の中でひときわ輝く光景。


 だけど目の前の背中は違う。


 「(コイツの背中で、思い出すなんて)」


 悔しい。一番大切な記憶に泥を塗られた気分だ。

 傷の痛みを忘れるほどの不快感を感じる。


 「お前なんかに、アレがどうにか出来るわけない」


  魔力での身体強化程度では、あの怪物の爪は防げない。

 

 「伽藍より多少強化が強くても無駄……!」

 

 肩を裂かれて、身に染みる。この肩の傷でさえ、身体強化のおかげで致命傷に至らないのが現実だ。強化が無ければ腕ごと(えぐ)られただろう。


 しかし墨谷七郎は(いきどお)る少女の言葉に反応を示さず、無言で屍鬼に正面から突っ込んだ。


 武器も何も持たず素手で屍鬼へと向かっていくのだから、これには伽藍だけでなく、行く末を見ていた京弥や桜も目を見張る。


 振るわれる血に飢えた大爪。

 七郎は爪が届く前に腕を掴み、力を()める。

 そのまま、もう片手で屍鬼の首を(つか)み地面へ押し倒したのだった。


 「「「はあ!?」」」


 ―― あの怪物の膂力を押さえつけることが、なぜ可能なのか!?


 伽藍、京弥、桜の心は一つとなり、同じ驚愕の声が上がる。

 しかし押さえ倒したとはいえ、屍鬼の片手と下半身は自由に動くのだ。


 ――ガアッ!!


 当然の如く、異形の爪が七郎の頭部を抉る。

 否。全くの無傷。七郎の頭は動いてすらいない。


 屍鬼は止まらず、足の爪や膝で七郎の体を滅多に打ち、暴れる。

 七郎の体は少しも浮かない、動かない、傷つかない。


 この不自然な光景に、伽藍の空いた口は閉じられないままだ。


 「身体強化にしても限度がある……でしょ」


 驚愕に固まる伽藍は、頭の片隅で七郎の肉体強度以外の違和感を感じた。

 衣類の損傷である。

 あの狂爪が突き立てられても、損傷どころか全く変化のない衣服。


 ――超高性能の、防御魔術?


 「(いいえ、魔力の複雑な動きは感じない)」


 狂ったように爪が突き立てられる七郎に一瞬、テレビのノイズのような乱れが生じたことに伽藍は気づかなかった。


 屍鬼の爪にされるがままの姿勢で七郎は、唖然としている京弥と桜に手助けを求める。


 「呪符を」


 七郎の言葉で、(ほう)けていた頭が動き始め、呪符の存在を思い出す2人。

 大量の呪符が、動きを封じられている屍鬼へ投げられた。


 七郎と屍鬼を包む青い炎。屍鬼から悲鳴は上がらない。

 どこか、美しい青炎に目を奪われる童女(どうじょ)を思わせる目の色だ。

 

 炎の揺らめきが広がり、屍鬼の体がひび割れ始める。

 胸を大きく上下させ、深い息が漏れていた。


 だんだんと、屍鬼の動きが緩慢(かんまん)に小さくなる。

 瞳が焦点を失い、(まぶた)がゆっくりと閉じられ始めた。


 …………………。

 …………。

 ……。

 ―。




 「―おねぇちゃん」


 眼が再び開き、崩れた腕と首の皮を()てながら、七郎の拘束から屍鬼が逃れた。


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