語る墓土、そして屍鬼(3)
「いっっ!?」
自身の足首を掴まれた櫻井桜は動けずにいる。
掴む手の力は、強い。
濃い魔力が澱むなか気を張っていたが、突然藪から伸びた手に反応できなかった。
桜と共にいた京弥は、咄嗟に剣を抜き構える。
――オ、Neぇぇちゃぁあん
肌のない白骨頭蓋とは全く違う、ヒトの表情をした土くれ肌の顔が言葉を紡ぐ。
語る墓土を桜は初めて見たが、取り乱すことなく冷静だ。
不安定な不死者の負の感情を刺激しないよう、桜は努めて優しく話しかける。
「……はい、ど、どうしたんスかー…」
――殴られるノ、いやァァ。一緒Niぃ隠れ、-##ぉぉ
桜は京弥に剣を下ろすよう目配せする。
京弥も、正確に意を汲み剣を鞘に納めた。
「かくれる、ッスか?……いいスよ。一緒にいるッス」
語る墓土が見ているのは、父親の暴力からいつも庇ってくれた大好きな姉。
記憶と、土くれの眼球が写す不確かな視界が混同しているのだ。
――おねえ、ちゃん、いつも、ま、まモッテくれte、Ariがとー
あまりに哀れな有様に、桜の心が揺れ動く。
しかしこれも仕事だ。足首を握る力が弱まったことを察し、ゆっくりと数枚の呪符を用意する。
京弥も数枚の呪符を手にした。
歩く白骨へ使用する呪符の、倍の枚数と倍の魔力を込め、哀れな不死者の為に目を伏せる。
語る墓土は安心したように瞼を閉じ、微睡んでいるようだった。
「おい! 見つけたぞ」
語る墓土に呪符を向けようとしたその瞬間、藪の向こうから突如男が現れた。
桜達は知る由も無いが、この男は歩く白骨を殴り飛ばした、経験の浅い義瑠土員の男である。
彼は棒状の得物を振り上げていた。
それは義瑠土から支給される、魔力を込めやすい材質で作られる大型の警棒。
――バカ! 待て!!
突然現れた男の後ろから響く、相方であろう人物の声。
経験の浅い男は、自らの失態を拭おうと焦っていた。
さらに、義瑠土で密かに人気のある櫻井桜が不死者に取り付かれているのだ。
雄の悲しいサガは、彼を妄進させる。
京弥も剣を抜き直し、振り下ろされる大型警棒を止めるべく駆けだすが、数舜遅い。
「―ッ」
桜の足元に振り下ろされる、大型警棒。
重い風切音が桜の耳を掠め、語る墓土の体を殴打したのだった。
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語る墓土の体は、魔力と骨と饐えた土くれで出来ている。
紛い物の体には、痛みを感じる術は無い。
だが彼女は確かに痛むのだ。
魂に抉りつけられた、苦痛の記憶が燃え上がる。
とても、とても痛い。
体がこんな張り裂けそうに痛いのに、心がもっと痛いのは何故なのか。
ろくでなしの父親が、涎を散らして拳を振るう。
姉も蹴られた。次は絶対、また私。
此処は変わらず地獄の続き。
ふざけるな。ふざけるな。私達が一体何をした。
”憎い”がいっぱい、溜まった膿のように噴き出して。
――今度は、私が
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あまりに静かな変異だった。
警棒により、語る墓土の体が崩れていく。
崩れた土は埃も舞わず、闇に溶けた。
その崩壊の亀裂から立ち上がったのは、両手で頭を抱えた女。
肌は陶器のように白く滑らかだが、額と爪、さらに体の至る所に禍々しく硬質な箇所が目立つ。
女は狂気を宿した瞳から血涙を流し、血のあぶくを口端から噴き出して悲鳴を上げた。
――い˝ぃギア ア ア ア ア アーー
女の絶叫に反応できたのは京弥のみ。
本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、警棒を受けるべく構えた剣を振り回すことはしない。
京弥は迷いなく、刀を振るうのでなく桜を守る行動を起こした。
「桜ッ!」
京弥は桜の体を抱え、力の限り跳躍。
「あ……?」
警棒を語る墓土に振り下ろした男は、絶叫する女怪を見て、なお唖然としている。
女怪は怒りに震え腕を振り上げた。
自分に浴びせられた暴力を、払いのける為に欲した力。
それが異形の爪に宿る悪意となって振るわれる。
――こんどは、おまえが、なけ
唖然としていた男に爪跡が刻まれ、血しぶきが舞う。
「ぎ、ぎゃあああああああ」
即死はしていない。運が良かったのか、女怪が加減をしたのか。
経験浅い義瑠土員は、灼けるような激痛により転げまわる。
転げまわる男を見て痛快そうに嗤いながら、再び振り上げられる女怪の爪。
だが爪が男に届く真近、異形の殺意は新たな乱入者の腕によって弾かれる。
「――屍鬼……」
墨谷七郎であった。
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暗闇の先から聞こえた女の悲鳴。正体は屍鬼の絶叫。
悲鳴の元へ、墨谷七郎は一気に跳躍した。
「え!?」
驚いたのは銀伽藍。
光源が少なく、暗闇でおぼつかない視界の中すさまじい速度で移動する七郎を、辛うじて追い始める。
「待ちなさいよ!」
伽藍も身体強化により走るが、視覚を強化してもなお暗い墓所だ。
日中の移動速度には至らない。
「(追いつけない)」
伽藍は悔しさで歯噛みしながら、なんとか七郎を追い続ける。
そして悲鳴の主の元へたどり着けば、繰り広げられていたのは異形の女怪と七郎の肉弾戦。
七郎が女怪の爪を紙一重で避け、返す七郎の掌底を受けた女怪が、地面に叩きつけられるもすぐに立ち上がる。
気の抜けない攻防だが、七郎は息も荒げず女怪から目線を外さないままに指示を飛ばす。
「辻君は負傷者の回収。櫻井さんは、光源魔道具にもっと魔力を。そこの君は、緊急信号弾で他の義瑠土員へ伝達」
眩い火球が夜の上空に飛ぶ。
負傷した男の相方が指示に従い打ち上げたのは、既定の携帯信号弾。
高魔力下での電波障害で、携帯電話や無線の類はほとんど使用できない。
しかし科学発火し打ちあがる信号弾は、素早く周囲の人間にこの危機を伝えた。
信号弾の意味は、‘強力な魔物と交戦中。各自別チームと合流し待機・警戒’。
応援を必要としない旨の信号弾である。
互いに距離を取る屍鬼と七郎。その七郎の後方に、剣を抜いた銀伽藍が構える。
「アレが屍鬼。……伽藍が、斬る」
光源魔道具に照らされ、鈍く輝く白刃の切先。
「いや、斬るな。取り押さえたい」
殺気を膨らませつつあった伽藍は、七郎からの耳を疑う言葉で止まる。
「ふざけないで! もう被害が出てる! それにこのバケモノは、危険すぎる」
「君は剣で、”人”を斬るのか?」
―― 人。
ひと、と言ったのか、あのバケモノを、この男は。
信じられない。理解できない。
逃がせばもっと人を殺すような怪物に、情けを掛けろと。
それはもう、この男が人を殺しているも同じ、悪人の所業。
「おま、え、はぁぁぁ」
憎悪にも似た感情を、七郎に抱く伽藍。
屍鬼は、2人の相互理解など待つわけもなく獰猛に襲い掛かる。
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