魔の狂行(2)
拠点を囲む安全区域を駆け抜け、境界を超えてすぐ。要所に設けられたバリケードの向こうから魔物の群れが迫っていた。
バリケードは拠点につながる大通りなど、重要な箇所に鉄筋と瓦礫を組み上げて作られている。だがこういった物理的障壁の防衛力は、実はあまり期待できない。
敵は魔物なのだ。爪で壁をよじ登るし、不死軍には魔法を纏う騎馬隊と不死将軍がいる。
本来は、魔物が足を踏み入れない安全区域を、城で言う堀や城壁とする戦術が必要なのだ。
拠点付近以外にも、飛び地としてまだらに存在する安全区域を利用し魔物の群れを分断したり、袋小路に追い詰めてから包囲し殲滅する。
しかし今は安全区域自体が効力を失いつつある。今までのような戦術はとれないと見ていいだろう。
「(殺戮姫にいたっては規格外だ。こんなバリケードなんて砂の城と変わらない。セギンを殺したあの日以来、動かず止まったままだが……)」
すでに命を落とした不死者を殺す術を考える。
骨の体は際限なく再生するが、きっと無限ではない。魔力を仮初の命にするのなら、魔力が尽きれば倒れるはず。
しかし今は魔物の群れへの対処が先。幸い、波は南側からに限られている。全方位から市街中央の拠点を囲まれれば、今の戦力ではとても守り切れなかった。
「……これから増えない保証は……いや、恐れたところで、いまさら出来ることは無いか……」
――ドウシた?
――ああ、魔物があんなに……!
「――……急ごう! 境界防衛部隊は弓構えっ。ジープから取り外した機関銃は? 設置完了?……よし。弾は大事に使おう、もう多くないぞ」
奇形魔獣の集団が這うように走り、志願兵たちの視界に入る。
「弓隊、撃てっっ」
俺の合図で、弓隊が訓練した通りに矢を曲射する。矢の雨は想定通りの距離に振りそそぎ、真下の魔物を地面へ縫い付けた。
魔物共の出鼻をくじく。
――よし、やれるぞ
――絶対、嫁は守ってやるっ
「第2射構えっ、撃てっ。獣牙種の戦士達は力を貸してくれ、後続を罠へ誘い込む!」
――征くゾ、セギン族長の意思を継ゲ!
――オオッ
俺を乗せる鷲獅子スキルークを先頭に、騎兵部隊が躍り出る。槍を、剣を、弓を、縦横無尽に魔物へ振るい駆け抜けた。
血しぶきが体を赤く染め、かと思えば乾いた血は煤のように黒く変わり塵と消える。
とめどない悪意の群れに叩きつける殺意、俺の意識はただそれだけに埋もれていった。
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その頃、拠点の防衛準備を固める璃音・ウィズダムは焦燥の中にいた。
「手の空いてる者は魔導機関砲を屋上に設置するんだっ。ココから見える外の変化は、全てボクに報告!」
彼は地図を広げ、持ち寄られる魔物の侵攻状況などを書き加えていく。その都度、発煙筒による照明弾の打ち上げを命じ、七郎へ大まかな戦略の指示を出す。
詳細な戦略指示がなくとも、意を汲み行動に移す信頼関係が2人にはあった。
「(……想定通り、魔物の侵攻が南以外の方角からも始まった。東……西も徐々に。やっぱり宙の大きなヒビがある方角から魔物が湧いて出ている。この鉄工所が市街の中央にあるのが致命的だね。このままじゃ防衛線の維持は不可能、拠点からの撤退を準備するほかない)」
璃音は瞬時に、生存確率が最も高い解答を導き出す。身を犠牲にして活路を与えてくれた仲間の為にも、ここで負けるわけにはいかないのだ。
「北の、廃校舎。逃げ出すとしたら其処が最適で……そして終点だ」
”鐘背負い”を倒した後に見つけた、北の山中にある廃校舎。ほとんど黒壁の際にあり、市街全体を見渡しやすい立地にある。
あの付近も安全地帯であったはずだ。今もそうなのかは不明だが。
璃音が矢継ぎ早に逃走先の周知と、七郎への信号弾を指示していた時。
拠点鉄工所に破壊音が響き渡った。
音の発生源は頭上であったように感じる。
「なんだい!? 屋根? …………まさかっ」
璃音の脳裏には状況のはじまり、宙の亀裂から滴る闇が浮かんだ。
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暗く消毒臭い救護室にも、拠点の方々から聞こえる悲鳴と怒号が届く。
「こわいよ、せんせい」
「……だいじょうぶ、だからね真理愛ちゃん。先生が……ッ」
「ムリしちゃだめだよっ」
「すぐ立てるから、……真理愛ちゃんは誰か大人と一緒に」
「オイ真理愛っ、ここから逃げる準備してるらしい! 先生っ、がんばって立ってくれよぉ」
マットレスの上に力なく臥せる二葉幽香を、織使真理愛と同じ養護院の少年が心配している。
少年の名は 海継 丈 といった。
「丈君、他の子供たちは?」
「獣牙種の、家族の人達に見てもらってる。みんな怖がってるよ」
「じゃあ丈君と真理愛ちゃんも、獣牙種の人達と一緒に逃げるの。先生は後から行くから」
「……うそだよ。先生来てくれないもん。真理愛視えるんだよ?」
「……そうだったね、真理愛ちゃんにはわかっちゃうか」
「やだよ、先生もおれたちと一緒ににげるんだよ。ほら頑張って立って!」
丈少年が二葉幽香の手を掴むが、反対に幽香は、丈と真理愛の頭を抱きかかえた。
母が子へそうするように、優しく、愛おしむように。
「先生、もう走れそうにないの。だから丈くん、ほかの皆を守ってあげて」
「……やだよぉ。1人じゃできねぇよ……」
「養護院から他の子を助けて、車まで運転したじゃない。できる。真理愛ちゃんも今まですごいがんばったわ。だからあともうひと頑張り。戦ってくれてる魔導隊や、他のおとなの人を、不思議な力で助けてあげて」
「も゛う、ぐちゃぐちゃであ゛んまり゛視えないの゛に゛?」
「ほんとうは、そうやって泣きたかったのにね。無理させちゃってごめんね」
最後に精一杯、二葉幽香は2人の子を両手で抱きしめる。愛をこめて名残を惜しみ、すぐに突き放すように2人の体を前へ押し出した。
彼女は、青白い顔で微笑み続ける。
「さ、行ってっ」
「やだよ。やだよ……」
「せんせぃ」
「行って!」
動けない少年少女へ、今度は笑顔を消し叫ぶ。必死の姿に真理愛が繋いだ手を引き、丈を引っ張って部屋を後にする。
少女らはすぐ、外にいた大人の目に留まり連れられて行った。
「ふ、ぅ」
二葉幽香は残った力を使い果たし、マットレスへ倒れこむ。
すでに目を空けているのもつらいのだ。彼女の体は、極度の栄養失調と高熱のせいで限界を迎えていた。
体を起こし、話せていたのも奇跡。
「(死なないで。きっと生き延びて。養護院の、ほかの皆の分も)」
彼女の心内には、拭えない後悔があった。養護院にいた他の子供たち、同僚、生きてはいないであろう彼らに謝り続けている。
「(あの時、真理愛ちゃんを追いかけて私だけ外に出て……私だけ、他の子達を守れないで生き残って)」
それでも、織使真理愛を含め数人の子が助かった。魔導隊の彼が助けてくれた。
ありがとう。あの子達を救ってくれて。
アナタも守られていいような年齢なのに、頼ってしまってごめんなさい。
「(――……でもどうか、わたしのぶんまで、あの子たちを……)」
元から暗い景色が、さらに暗く。苛んでいた寒気と火照りが遠ざかる。
瞼は2度と開かない。
誰もが必死に抗う混沌の中、またひとりの女性が温もりを失い、子の守り手としてその生涯を終えた。




