魔の狂行(1)
陰鬱な拠点内を速足で歩く。腰には虎郎剣と、愛魚愛用の弓……マナスペシャルを括り付け臨戦態勢。セギンの槍は獣牙種達に預かってもらっている。
俺を見る眼は様々だが、最近は怖れが伝わる眼が多い。“黒”への変異後で固定された俺の四肢や、ほとんど休まず戦うことへ不気味さを感じているらしい。
志願し共に戦った避難民の中にも同じ空気がある。……もはや戦うことを諦め、外へ出なくなった人も少なくないが、いまだ戦い続けることを選ぶ志願兵にも、怪物を見るような眼で遠巻きにされるのは……堪える。
後ろ向きな考えを振り払い、自然と割れる人垣の間から、騒ぐ人々の視線の先を追う。
「なんだ……雷?」
驚愕の光景だった。
満点の星が輝く夜空に、幾千に枝分かれする稲妻がゆっくりと走っている。
「ちがう。空に、亀裂が」
星々を裂くように、または殻へヒビをいれるように広がる金色。震える地面。
次の瞬間、天地にかかわらず、すべての空間からこの世の物とは思えない大絶叫が響き渡った。
――GGGAAAAAAAAAaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!
絶叫の圧に押しつぶされそうになる。市街全てを包む咆哮は10秒ほど続き収まるが、夜空の亀裂は消えていない。
「七郎っ、今のはいったい?」
「しちろうくん!」
そこへ璃音と真理愛が同時に駆け寄ってきた。2人とも動揺し息が荒い。
「なんだいコレは!? ヒビ? ……まさかついに、壁が壊れるのか? きっと外からのアプローチが始まったんだよ七郎!」
「くる……たくさん」
明るくなる璃音の表情とは逆に、真理愛の顔には恐怖と絶望が浮かぶ。彼女の言葉を聞く前から嫌な予感が膨れ上がっていく。
その時、夜空にさらなる異変があった。宙の亀裂から巨大な……、夜より深い闇色が垂れ落ち始める。
ーー ぼ と り
実際に音は無いが、そうとしか表現できない様で市街の端、黒の壁際に滴り落ちる。その場所から影が溢れ、悍ましい叫び声があがり、嫌な予感が現実味を帯びた。
「黒い、波が」
俺の呟きは怒涛が揺り起こす振動により掻き消える。黒い蠢きには、夜空の星と同じきらめきが無数に浮かんだ。
それが全て“眼”であると気づいた時、溢れる波の正体を察する。
「――――ッ! 防御を固めろ!! 魔物が来るっ、獣牙種の戦士は全員来てくれ」
「七郎、ボクの見立てでは、あの空の亀裂は外からの救助によるものである可能性が高い。わざわざ安全区域の外に出る必要は無い。市街を覆う壁が崩れるまで――……まて」
俺と璃音は鉄工所の屋根まで、身体強化を用い跳びあがる。俺が着地した屋根の一部は、重みに耐えきれないようにひしゃげていた。
視線の先、見下ろす市街では、地図上では安全地域のはずの地点を徐々に魔物が浸食している。境界を超える魔物の動きは鈍いが、確かに人間の領地を侵す。
「ハっ……もともと安全区域なんて、根拠のない不確定要素に過ぎなかったワケだ。驚愕には値しないとも」
「俺は魔物の侵攻を抑えに行くよ、璃音」
「……そうするほか、ないようだね。ボクも魔導機関砲を要所に設置してから行こう。残弾は少ないけど、無いよりはマシだろうから」
屋根から降りつつ、璃音と今後の動きを打ち合わせる。
数少ない兵力で守りやすい地形、安全区域の喪失に伴う退路、バリケードの活用と突破の許されない防衛ラインの共有。
拠点正面ゲートには、すでに獣牙種の騎兵隊と戦える志願兵が集まっていた。総数は200名弱といったところである。
その集団の前に、不安そうに佇む真理愛がいた。もはや彼女のトレードマークである花柄のワンピースが、月明かりに代わる星の下で揺れた。
「しちろうくん……」
「行ってくるよ真理愛。危なくなったら二葉先生と――……いざとなったらひとりでも逃げるんだ」
「……未来を変えてくれる?」
「! …………どんな未来」
「山より大きなマモノと、火。わからないの、わからないっ。視えない! ぜんぶぐちゃぐちゃでっ。どうすればいいか、なんにも……!」
「真理愛には、ずっと助けられてきた。璃音や俺は、君のおかげでここまで頑張れたんだよ。虎郎と愛魚ちゃんだって絶対そう思ってる」
泣きだす少女の頭を撫でれば、一生懸命に笑い返してくれる。
この笑顔には不思議と心を優しくするような力がある。自分が怪物なんかじゃなく、仲間たちと同じ、人間のままでいると信じることが出来る。
人々を守りたいと願う、人間のままだと。
そうか。俺がこの子を励ましているんじゃない。
励まされているのは、俺か……。
「きっともうすぐ救助が来る。こんな地獄に負けてたまるか。奪わせてたまるか。みんなで一緒に太陽を拝んでやろう」
「う゛ん。いっしょにっ、がんばっろー!」
「ふん。今回は七郎の能天気にノッてやろうとも。はじめようか」
事態は一刻を争う。確証も何もないが、あの夜空の亀裂が夜の終わりだと信じるほかない。
市街を覆う壁が崩れるまで耐え忍び、生き残れば俺達の勝ちだ。
――コレを。おまえガ持つべキ
「っ、セギンの槍……、スキルークも」
獣牙種の戦士が差し出すセギンの愛槍を受け取り、すり寄って来た鷲獅子スキルークに跨った。まるで戦士の咆哮を真横で聞くような高揚を感じる。
「……全部隊配置へ。拠点へ魔物を近づけるなっっ!」
――オオおおおおおおおおおおおおおッッ
家族を、自らの命より大切なものを守る為に、戦士たちは咆哮する。地獄の夜を生き延びた者達、その最後の防衛戦が幕を開けた。