運命を違える少女たち
燃料発電機と繋がる非常電源が、広間の夜間灯に電力を送る。燃料の不足により明かりが点滅する都度、不安に苛まれる避難者たちの顔が浮かんでは消えた。
木霊するのは、恐怖を吐き出すくぐもった叫び。
―― かつん かつん
淀んだ空気に犯されない、高く乾いた音が繰り返される。
「……イヤね、息が詰まりそうよ。ね、カツヤ」
「ああ、そうかもしれないね」
シクルナ・サタナクロンの小さな靴が、通路の床を軽やかに叩く音であった。
少女に他の人間のような、飢餓ゆえの悲壮感は無い。彼女はロームモンドの持つ魔法鞄にあった、保存のきく焼き菓子を食べているのだ。味は普段食べている物より数段以上落ちるが、飢えを感じることは無かった。
ロームモンドと、シクルナと共にある鋼城も同じく。
「マリアはどこかしら。最近、預言の調子がわるいみたいじゃない。ちょっととくべつな力があるからって、聖女なんて呼ばれていい気になるから……これで勘違いも覚めるでしょ」
「……すこし、相談があるんだけど」
「なあにカツヤ」
鋼城は密かに想いを寄せていた鷲弦愛魚の、異形に変わり果てた末の死を聞いてから、自身の在り方を後悔していた。
恐怖に負けて戦いから逃げた自分を、目の前に居る少女を逃げ道にした自分を、好きだった子を守っていたのが獣牙種なんかじゃなくオレだったらと……、ついに恐怖へ打ち勝とうとシクルナの元から離れようとする。
「オレも――」
「あっ、いたわ。マリアよ。また大人達に囲まれてる」
「え……」
そこでシクルナが真理愛と、彼女を囲む人垣をを見つけ、鋼城は言葉を続けるタイミングを逃す。
行動を起こす為にシクルナの許可がいるワケではない。だが一度はたったひとりで、安全区域の外へ飛び出したことのある少女だ。
再びそうさせない為にも、しっかり納得させたうえで距離を置きたい。
しかし、決意を伴う意思表示を後回しにせねばならぬほど、少女真理愛の置かれている状況は異常だった。
――真理愛さまっ、次の預言は!? どうすれば助かるんですっ?
――ね? 教えて真理愛ちゃん。おばちゃんを助けると思ってっ
――なんで何も教えてくれないんだ
「あの、そのね、ごめんなさい。何も視えてなくて……」
余裕を失った避難者たちが十数人、真理愛を囲み予知の力に縋ろうとしている。血走った目の大人たちに、幼い少女は怯えを見せる。
その様子を見ていたシクルナは、勝ち誇ったようにため息をついた。
「なによマリア、ぜんぜんダメじゃない。……“聖女なんて噓だった”って、さっさとあやまればいいのに」
「だけど、あれは少し……」
――やめろよ!!
突然人垣の熱気を、少年の声が遮る。
声の主はいつか助け出した、真理愛と同じ養護院の男の子。少年は真理愛が怯えていることに憤る。
――真理愛が怖がってるだろっ。もうやめろよっ!
コイツだってずっとがんばってて……
真理愛を勝手に“せいじょ“なんて呼ぶな! 離れろよぉっ
――うるせぇっすっこんでろ!
――いでっ
「やめてっ」
押され倒れこむ少年を真理愛が庇う。突き飛ばした手も、突き飛ばされた体も、曖昧な月日の中で飢えに苦しみ、やせ衰えている。
――な、なあ。この子ホントに未来なんて見えてんのか?
もうそんな力、無いんじゃねぇのか?
――じゃあアタシ達どうすればいいのよ
――教えてくれよ聖女さま。……へへ、へへへ
「やめてちょうだい」
混乱した集団が、行き場を無くした焦燥を不穏な熱気に変え始めた時。
意外にも割って入ったのはシクルナであった。鋼城も少女へ害が及ばないよう傍に立つ。
「シクルナちゃん……」
「汚れた姿ねマリア? 身の程をわきまえたみたいだから助けてあげる」
「すまないが、すこし離れてほしい。落ち着いてくれ」
―― そ、その鎧、あんたは魔導隊の……
鋼城の姿を見てたじろぐ人々。第一世代魔法使いの高名はメディアによる宣伝と、なによりこの拠点での働きによって周知されている。
集まっていた人々は、各々不安を吐き出しながら散っていく。
―― ……ちくしょうっ
「っ、まって」
「あら、あの男の子どうしたのかしら」
悔し気に走り去る少年。真理愛の呼びかけに応じず振り向きもしない。
見送る数人の中で、鋼城だけは彼の心情を察する。大事な人を守る力のない、自分への失望。
「(オレも逃げずに戦ってたら……っ、このままじゃダメだっ、愛魚ちゃんもあんな姿になって……し、死んで、死んだのに、オレだけ何も――。せめてこれからオレも魔導隊らしく――)」
「ねえマリア。わたしね、あなたとお友達になりたくて探してたの」
「ぅえ? う、うん」
シクルナの言葉に、鋼城は驚き思考を引き戻される。
シクルナは憚らず真理愛を目の敵にしていた。それが突然態度を変え、笑顔で友達になりたいと言っているのだ。
「でもね条件があるの」
「じょう、けん?」
真理愛も訳が分からず首を傾げるばかり。それでもシクルナは、さも当然の願いだと言わんばかりの笑顔だ。
「条件はね、もう預言なんて嘘を誰にもつかないこと。わたし嘘つきとお友達になんてなりたくないわ」
「嘘なんて……ついてないよ」
「いい? 誰にも、なんにも教えちゃダメ。マリアじゃなくて、わたしが聖女になるべきなの。お父様も、ほかの司祭様たちもそうおっしゃっていたわ。マリアもきょうりょくしてくれるでしょ?」
「……私は……」
預言の少女に味方はいない。保護者である二葉幽香は床に伏し、同郷の少年は場を去った。
「(シクルナちゃんがお友達に……なってくれたらいいなって、ずっと)」
「(うなずきなさいよマリア。……わたし、ほんとうに同い年くらいのお友達が、いてくれたらいいって……)」
自身の持つ力で、人々を懸命に助けようとした勇気ある少女。
自身の持つ運命が、人々の望むものであると信じる無垢な少女。
彼女たちが求める物に、さほど大きな違いは無い。
彼女たちが手を握り合う、そんな未来もどこかにあった。
この時、真理愛の瞳に少し先の未来が映る。
それは綻びと終わりの大狂行。
「でも」
――今まで嫌われるだけだった、私の、真理愛の力で
「虎郎ちゃんと愛魚ちゃんがいなくなっちゃった。だから、七郎くんと璃音ちゃんまでいなくなるのはイヤなのっ。真理愛の力がちょっとでも助けになるなら、視えたものをつたえる」
「……っ、じゃあいいわよっっ。嘘つきの聖女をつづければ! 後悔しても知らないんだからっ」
少女2人は決意と怒り、それぞれの理由で涙を溜め背を向ける。
真理愛は走り、戦いへ赴く七郎のもとへ。
シクルナは歩き、ある1人の男のもとへ。
「シクルナちゃん? どこへ」
「ちょっと、そこのアナタ」
「へ? へへへ、あんた奥の部屋に居るお人形さんみたいな……っ、魔導隊の人も」
「アナタ、よくマリアを見てるわよね」
声を掛けた男は真理愛を囲んでいた避難者のひとり。離れたようにみせて物陰から真理愛を見つめていた。
実はシクルナがこの男を見たのは、今回が初めてではない。真理愛を気にするうち、この男が必ず真理愛をそばで見ていることに気づいていたのだ。
「お願いをきいてくださる?」
「はへ?」
「マリアを怖い目にあわせてほしいの」
「……へ、へ、なんでそんな」
「おいシクルナちゃん!?」
「大丈夫よカツヤ、ちょっと悪戯するだけ。怖い目にあえばマリアだって考え直して、わたしに泣きついてくるわ。だってマリアはわたしと違って、助けてくれる人がいないもの。あの……ぅ、シ、シチロウってひとも、いつも戦いに外に出てるじゃない」
「たしかに、そこのあんたと別の、怖ぇ魔導隊のヤツ最近ずっと外にいるよな。聖女様の親なのか知れない女も……へへ、倒れたらしいし」
「あの子は聖女なんかじゃない、聖女になるのはわたしよ」
「へへへへ、でもおれぁココに逃げてきただけで戦えねぇし、襲うなんて……見つかったら」
襲う、見つかる。
まるで考えたことがあるかのような言い方だと、鋼城は感じた。しかし考えすぎだろうと思い直す。
「怖いの? そうね、じゃあコレを貸してあげる」
「なんだこれ?」
シクルナが胸元から取り出したのは、魔石が輝く大きな首飾りだ。
飾りをドレスの首元から取り出した瞬間、男の目が胸元へ注がれたのに少女は気づかない。
「これはお守りの魔道具。守ってくれる壁を出してくれるの(渡したのはスミタニシチロウに割られて壊れちゃってるけど、ニホン人にはわからないわよね)」
「へぇ……! へへへへへ。これがあればバリアが張れるのかぁ」
「まりょくが無くても、首からかけて“守って”って思えば使えるわ」
男が試すと確かに、薄い文字の浮かぶ球体が全身を包む。シクルナの思惑通り、ほとんど消えかけの障壁であるが、男は興奮したように笑う。
「こ、これがあれば……へへへへへへへへ」
「ちゃんと返しなさいよね」
「なあ、こんなことする必要が――っあ、おい!」
話も聞かず、男は小躍りして通路の奥に消えた。
上機嫌で私室へ戻るシクルナを追う内に、鋼城の心は自然と再び、魔導隊としての自問自答へ沈む。
闇への恐怖、魔物への憎悪、仲間の死、こびりつく後悔。
簒奪への復讐。
墨谷七郎がもがき、走り続けたには多くの理由がある。
しかし流れゆく運命を否定し、死を停どめ救いを願う狂気の旗の誕生は、この瞬間にこそ定められたのかもしれない。
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