烈剣姫の敗北(2)
伽藍は最初、至近距離に揺蕩い柔らかに浮遊する女性が幻覚の類かと疑った。
白い肌と金の髪が、支部の蛍光灯の明かりでさえキラキラと反射させ輝くようだったからだ。
女性が静かに床へ降り、痛む片足に触れたことで、彼女が実在することを信じるに至る。
「腫れてますね。痛むでしょう」
「ちょっと……! 触らない―」
「はい。お終い」
修道服の女性は痛む足をひと撫で。足の痛みを全く感じなくなっていた。
「ウソ……治癒魔法? でも詠唱も無しに」
「まあ! 魔法だとすぐにお分かりになるのですねぇ」
改めて修道服の女性を見る。
足を流すようにして床に腰を下ろす美女。
土足で人が歩く支部の床は綺麗とは言い難かったが、気にする様子は無い。
そうしていると、シスターの後ろから壮年の男が車椅子を押して近づく。車椅子はシスターの傍へ。
「ありがとう」
彼女は”ふわり”と自然な動作で宙に浮きあがり、車椅子に座り直した。
「あ……。どうして?」
――なぜ、伽藍の足を直してくれたのか?
率直な疑問を名も知らぬシスターへ投げかける。
「?」
しかし返答は無い。笑みを讃えたまま、首を傾げるのみ。
なぜ助けるのに理由が要るのかと、逆に疑問を感じているような顔である。
「私は、シルヴィア。霊園山で日々の糧に感謝しながら暮らしております」
――またお会いできると良いですねぇ
シスターシルヴィアは満面の笑みでそう言い残すと、正座したままの七郎の方へ車椅子で移動していった。
壮年の男も後に続く。
「きれい……」
熱に浮かされるように見惚れてしまった。
だがシルヴィアと入れ替わるように自身の前に立つ老女のおかげで、すぐに現実に引き戻される。
「騒ぎを起こしたっちゅう娘は、あんたかい?」
はしばみ色の着物と、上品な杖が視界に入る。老女の目は鋭く厳しい。
「他人に刀や魔法なんちゅう力を振り回すのは……あんた、死人でも出たらどうするつもりだい?」
魔法が流入してすぐの混迷した時代故、けが人や死者が出なければ荒事に寛容になのが今の日本。
寛容でなく、麻痺とも言うが。
今回の件も、義瑠土内の”ちょっとしたトラブル”で片づけることもできる。
しかし老女の目には、ふざけた言い訳を許さない圧があった。
「…………」
確かに、頭に血が昇りすぎてた。
気に入らないからと、剣を持ち出すのはやりすぎだったかもしれない。
これでは自身が憎むものと変わらないではないか。
「癇癪起こして暴れるのは、子供と―」
「……ごめんなさい」
素直に謝罪する少女の肩は、年相応に小さい。
その弱弱しい様子に着物の老女、守宮竜子は思い直す。
「(いや、そうか。まだ、子供か…)」
このフロアに降りてから一連の状況を人づてに知ったが、この娘はあのライルというふざけた男に、事実上の契約破棄を命じられた直後であったと聞く。
かの”烈剣姫”も剣の腕こそ確かだろうが、まだまだ支えが必要な年頃なのだ。
竜子は自らの狭量を恥じながら、少女の前に屈んで話す。
「あたしは竜子。守宮竜子だ。おまえ、今日これからどうする?」
「どうするって、言われても……。わからない」
「なら家に来い。飯食ってけ」
伽藍は竜子の申し出に面食らう。突然どうしてそんな話になるのか。
いや、今夜の宿が無いことも見透かしたうえでの提案なのだろう。
疲労を訴える自分の体、初対面の老女への不信感を天秤にかける。
「(飯食ってけって…………飯…………ごはん…………)」
竜子の言葉から、無意識に食事を連想してしまう。
ごはん。そういえば、朝から何も食べてない。
それがいけなかった。
――くぅ。
少女の腹から可愛らしい音が響く。
竜子はニンマリと笑った。伽藍はもにょもにょと恥ずかし気。
「いい返事だ。一緒に来い。明日から霊園山の仕事も手伝わせてやる」
「い、いや、行くと言ってない」
「いいから。ほら」
強引に、どこか優しく手を握られてゆっくりと歩き出す。
人前で童女のように手を繋がれていることに、亀甲縛りによる辱めと同等の羞恥が襲う。
――羞恥が襲うのだ。………しかし、振り払う気にはなれない。
「(悪い人じゃ無い気がする。……勘、だけど)」
幼少からの修行で鍛えられた直感に、伽藍は幾度も助けられてきた。
だからこそ、自身の蹴りを押し返した暗い瞳の男に恐怖を感じている。
場の勢いに流され手を引かれながら、フロアの隅で正座させられている男を流し見る。
「亀甲縛りはナイと思います。とぉっても反省した方がいいですねつんつんつんつんつん」
「やめて……やめて」
先ほど足を治してくれたシスターが、正座男の頬を結構な勢いでつんつんしていた。
周りには剣を交えていた茶髪の男と、それを介抱する桜と名乗った女性もいる。茶髪の男は、桜という女性と話すのに夢中で伽藍が去るのにも気づいていない。
白捨山義瑠土内の混乱は、烈剣姫の処遇を後回しにしながらも一旦の落ち着きを見せる。
「あの男……いったい、なんなの?」
伽藍は、手を引かれている自分を見ようともしない暗い瞳の男を、義瑠土から出るまで目に焼き付けていた。
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華瓶街にあるホテルの一室。
ライル・サプライは寛ぎながら酒をあおる。
そばには小野道が控えていた。
「しかし苛立たせてくれる。護衛も使えない」
「す、すみません……」
何とか借りられたホテル。
霊園山義瑠土側が用意した宿泊所もあったはずだが、ライルが話を聞かず白捨山義瑠土を飛び出したため急遽、小野道が駆けずり回り手配したのだ。
「(経費で落ちるかな……?)」
ライルとの同行は、予想外の高額な出費の連続。
小野道は領収書の束を見るたびに胃痛がするのであった。
「ふん。まあ、このライルが霊園山を手中に収めるまでの辛抱。もう筋書きは用意されているし、な」
「…………」
ライルの言う、霊園山を手に入れる筋書き。小野道は冗談の類だろうと思っていた。
帝海都で酒に酔ったライルから聞かされた企み。
なんでもライルへ霊園山について教えた人物曰く、”霊園山の管理実態に不審な点がある”と。
不信な点とは、日本有数の規模を誇る魔力力場……霊園山の規模と採取される魔力的資源の総量が釣り合わないこと。
(比較的)安全が確保されたダンジョンを売りにして、信じられないことに観光地としても成功している霊園山。その華瓶街。
経済活動を追えるデータを秘密裏に入手したところ、隠された大規模な金銭の動きがあり、予想総額は義瑠土設備の増改築などとは比較にならない金額らしい。
霊園山では組織ぐるみの不正が横行し、何者かが私腹を肥やしているのでは?
帝海都でそんな可能性の話を聞き、その不正を脅迫材料にすることで霊園山の利権を奪う腹積もりなのだ。
「あなたにも甘い汁は多少吸わせてあげますよ」
「はあ……ハハハ、嬉しい限りです」
いくら何でも、ライルと自分だけで実行できる範疇を超えた妄想のような企み。
だが小野道にとってこの企みはさして重要ではない。
ライル個人の立場と、血筋の力が利用できるようになればそれでいいのだ。
「(それにしても不正なんて……だ、誰にそんなこと聞いたのか。本人は酔ってて、誰と話したかは曖昧みたいだし……はあ)」
「新しい酒を」
「は、はい」
霊園山に集ったライル、小野道、ガドラン、そして銀伽藍。
それぞれの一日が終わり、夜は更けていく。
読んでいただきありがとうございます。
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