想い裏切る十字の星は
騎士蜂は言葉を持たない。もとはスズメバチ、魔力のせいで巨大な軽鉄の躯を得ても、あくまで昆虫の本能に従う。
それでも強い魔力を有した“青羽”は、昆虫の域を脱した統率能力を持った。
自身に混ざる冷たい数列が、生存に適した行動を導き出す。他の姉妹と並び集団で狩りを行うなどがいい例だ。
以前の自分に無かった高度な思考力……“青羽”はそのせいで恐怖を知る。
――Gi、Gi、ギ
母の寝所を襲われた。もはや獲物は喰う為でなく、敵として必ず狩らねばならない。
敵共の巣、その遥か上で恐怖の根源が我らを睨む。
本能は“近づくな”、だが母を想えば“襲え”。相反する思考に惑いながら、敵巣への襲撃を強行した矢先、“熱”が姉妹を殺し始める。
いままで多くの熱を感じてきた。獲物の体液、眼を誘惑する火、そのどれとも別格の速度で飛ぶ“熱”。
追いつけない、姉妹達が次々に死ぬ。なら全てを犠牲にしても、母を守らねばならない。
並べ、囲め、必ず殺せ。羽が擦り切れるまで前に飛べ。
攻撃開始。
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「うおおおおおおっ!」
俺は怒りに任せ剣を振るう。奇形じみた魔物達、低く飛ぶ騎士蜂。不死軍の領地だけは避けるが、他の魔物は目につく傍から斬り殺す。
いったい何を間違ったのだろう。みんなで帰るという約束は、もう闇の向こうの遠い場所。心が軋み、我知らず涙が流れる。
また上から、蜂の残骸が降ってくる。
愛魚は高速で飛び続けていた。まるで自らの血肉から裂くように黒矢を生み出し、醜く変わった愛用の弓から放たれる。
矢は放たれた瞬間に業火の弾丸へと変じ、無慈悲な正確さで蜂共を穿った。
―― A A AAAAAッ
上空から地上まで届く愛魚の絶叫。
彼女が正気でないことは見ればわかる。それでも凶暴な炎が、拠点や人間に向けられることは無い。
ただダンを殺された恨みを晴らしているだけなのか、それともまだ、魔導隊として戦う彼女が残っているのか。
俺は後者を願う。だが彼女の意思はさておき、肉体は限界を迎えようとしているらしい。体が、炎を噴く足の大翼が、熱でひび割れ崩壊を始めている。
体の欠片はこぼれても、地面に落ちる前に塵と消え……存在そのもの、いや、魂を燃料にしているかのようだ。
――お待たせしましたっ
――ありゃあ、いったい……
「来てくれて、ありがとう」
志願兵が弓と、俺が璃音に頼んだ物を携え合流する。
俺も、彼女の恨みを晴らす一助となろう。静かに市街を進み、獣牙種戦士たちの足跡をたどる。
“青羽”と他何匹かが、彼女を狙い飛ぶ。炎の翼がより一層輝きを強め、身を燃やし尽くさんばかりに加速を始めた。
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言葉を紡ぐ意識さえも殺意に塗り潰されていく愛魚であったが、しかし獣の咆哮が占める頭の中で、忘れるものかとヒトの心が抵抗している。
憎しみと痛みが体の内側で煮えたぎる。帰りたい、みんながいる所に……あの人の傍に帰りたい。
そんなふうに挫けて泣いてしまう心が、変わらない現実に触れてしまう。あの人はもう居ない。死んでしまった。殺された。心が息を吹き返し燃え上がる。
愛する人を奪われた現実を反芻すれば、イノチから血と魔力が絞り出され、復讐の殺矢を形作る。
そう、復讐。彼を奪った虫に突き刺す私の憎しみ。私の憎悪。
――Giイィィィィ!
青い羽と、まだ何匹か。切っ先の様に寄り集まって飛んでくる。すれ違いざまに2匹、回避を許さない至近距離から矢を叩き込む。込めた殺意が業火に姿を変え、蜂の鉄甲を焼き崩した。
もう飛んでいるのは青い羽と、それに付き従う2匹だけ。あとはみんな殺しつくした。
青光を追う。
笑っちゃうほど、すぐに狙える所まで追いついた。殺す、ころす、ダンを奪ったこと後悔させる。
その時予想外の方向……下から蜂の重刺剣が私を襲う。
思わぬ伏兵。まだ殺しつくしてなんていなかった。針は体を深く切り裂き、強い痛みを与えてくる。
「コんな痛mi、どうdeもいイ!」
青羽と他の蜂がここぞとばかりに四方八方から襲い掛かってくる。統率された、機械じみた連携包囲。傷と痛みが増えていく。
血の代わりに“黒”と炎が、ひび割れた肉体から漏れ出して。
「A A ア゛ ア アアア!!」
憎悪の炎に焼かれる魂、想像を絶する苦痛が私を苛む。でもダンにもう会えない“今”は、こんな痛みよりもっと苦しい。
翼の獣と蟲の飛行戦闘は佳境を迎えていた。
上空を見上げる人々が居るなら、美しいと感嘆するだろう。騎士蜂の青い軌道と炎の残滓が絡み合い、黒の夜空に火花を散らす。
だがついに、愛魚に傷を与えながらも、飛翔する騎士蜂が最後の1匹を残し地に堕ちた。
孤独の青羽が、さも憎しと羽を震わす。流星の速度は最高潮、爆炎を噴出し仇へ向かう。
「HA ア゛ ア ア ア ッ――!」
青羽が見たのは炎矢でなく、飛び込んでくる獣の涙顔。
爪が青羽の甲殻を潰し、高速でぶつかり合う衝撃が羽と足をちぎる。
突如、蜂の背中が壁にぶつかった。それは建物でなく、市全体を囲む黒壁。なおも獣の推力は衰えない。
「A゛A゛A゛A゛A―――――」
愛魚は、青羽を壁に押し付けながら目いっぱいに速く飛ぶ。壁に沿い緩やかなカーブを描く炎の線。
蟲の腹はちぎれ体液をまき散らし、胸を潰して頭を削る。
こと切れる寸前、蟲は自身を殺す獣を飛び越し、母と幼い姉妹が帰りを待つ方角へ複眼を向けた。
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母よ、母よ、生き延びよ
母を守護す 姉妹達よ、あわ な母を遠く 運
われら帰 ず 無事 ねが う ……暗……悔し
…………ごめんなさ、
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仇は討った。勢いのまま上へ飛ぶ。
「DA、ン」
なにもかもを壊したくなる激情を抑え、それ以上に今は星を見たかった。
ダンと一緒に、ダンに抱かれながら見た満点の星空。私の記憶で、一番大切できれいな思い出。
命を使いつくしても構わない。上へ、上へ、星が一番よく見える高度まで。
不思議なことに、すぐに星空は目の前に広がった。星に囲まれ、星と同じ高さにいるかのように。
「――ぁ」
きらきら、きらきら、十字の星が煌めいて。
「Hiドい……ひどイ、ヒdoイ、こんなのHIdoイよぉッ!!!!」
愛おしく、心がそこへ帰るような優しい記憶。愛したヒトとの大切な時間。
2人で見上げた星海など無く、夜空に在るのは魔が見下ろす地獄であった。
怒り、悲痛、自分の心を汚されたかのような絶望感。体が石のように冷えていく。
ただ落ちていく中、地面に灯る明かりを見つけた。
「あア……あの場所、……こうげき」
思い出すのは、やっぱりダンと……一緒に戦ったみんなのこと。あれは暗闇の中、攻撃を示し合わせる合図。
体の黒色がそこかしこ、朽ちて剥がれて、胸の中から槍の穂先が顔を出した。
ずっと抱きしめて飛んでいたみたい。
研ぎ澄ませ……これが、みんなの為に私が最後にできること。