無垢への代償(2)
「(あの個体は、初日の――っ)」
目の前で、共に生き残った陸軍兵士を食い殺されたのが最初の遭遇。あの青い羽根は明らかに他の騎士蜂とは違う。
―― Gi
「!!」
予備動作なく高速で向かってくる“青羽”。辛うじて反応し、盾を構えながら剣を振る態勢に入れた。
「(攻撃のタイミングに合わせて斬るっ)」
狙うならソコしかない。俺の攻撃が届くのは、蜂の針が目の前に来る時だけだっ。
だが俺の剣はむなしく空を切る。
“青羽”が、剣の切っ先が届く紙一重の距離で急停止したのだ。俺が驚愕するのを見届けたように、半拍子おいて体躯を捻り針剣を振るう。
盾で受けるも、嫌な音を立てて重ねた鉄板に穴が空く。盾の持ち手に傷を負うも、セギンの横やりのおかげで追撃から逃れる。
「走レ!」
盾を捨て、傷を押さえながら撤退を再開。
あと数十メートルで拠点の安全区域なんだ、もう少し――っ。
視界の上半分に青い軌跡が線を引く。そこで突如、体を浮かせる衝撃が意識外から襲ってきた。
「――が、ぁっ?」
通常個体の騎士蜂が単身、俺を掴み空中へ攫う。
「シチロウっ!」
大アゴと巨大な針が魔導隊の鎧を貫き皮膚を裂く。痛みと、それを超えるさらなる痛み。
最たる激痛は傷でなく、黒く変異させた両腕によるもの。
「らあ゛っっ」
蜂の胴と腹の境目に、魔力を纏わせた剣を変異後の膂力で振るう。金属音を響かせ騎士蜂が2つに割れた。
なおも掴んでくる蟲足を胴ごと引きちぎり、地上への帰還を果たす。
合流の為に駆け出し、セギンや鋼城の一行を見据える。彼らも青羽の追撃をいなしながら待ってくれていた。
そう遠くない。
悪寒、次いで死の気配。
急ぐ足には煙る黒、此処は死の領地の境界線。
振り向くと同時に反射で剣を下段から上へ切り上げる。その行動は正しく、俺の命を救った。
―― ……。
「殺戮姫ぇぇぇぇぇぇ!!」
豪奢な細剣を鍔せる異形の美姫。軍勢も従えない、ただ単身による一騎駆けであった。
視野が怒りで真っ赤に染まる。
際限なしに魔力を剣に込め、飛び散らせるように斬撃を放つ。しかしすべてが骨身の剣技で防がれた。
くるり、ふわりと、異形の肉体を独楽のように回しながら距離を取られる。不意に制止したと思えば細剣は突きの構え、瞬きの間に俺の左腕を刃が貫く。
「(痛いっ、灼けるようだ。この腕は鉄より硬いんだぞ!? それを……)」
流麗ながら強い踏み込み、骨が踊る狂気的な剣舞。虎郎の四肢を、体を、散々に切り刻んだ絶技に恐怖するも、有り余る恨みが背中を押す。
「よくも虎郎をおぉぉぉ!」
さらに血肉を削る覚悟で挑もうとした矢先。
「もうやだやだやだぁあああっ。どっかいってーー」
後方の悲鳴で我に返る。
一瞬視線を向ければ、シクルナが可視化できるほど強力な、球状の防御壁のようなものに閉じこもり、地面にうずくまっている。
周りのセギンらはシクルナに必死に訴えかけながら、青羽の騎士蜂による猛攻に晒されていた。
仇を。虎郎を殺された恨みを。
刹那で逡巡するも、仲間の命には代えられない。全力の“斬波”を殺戮姫へ放ち、一気に背を向け走り出した。
すぐに黒土漂う境界線が見えた。向こうでは未だシクルナを動かせていない。
後一歩で線の外側。
力を振り絞り黒土の向こうへ。倒れこみながらようやく振り返る。
―― ……b、Hi、ms
乾ききった唇が、何事かさえずり震えている。
彼女は銀鎧の足を黒土の線へ沿わせ、まるで見えない壁があるかのように追撃を止めていた。
骨の上半身、白金の髪が泳ぐ美しい頭から血しぶきのように肉体を細かく散らしている。他の不死兵と同じく、領域の外では形を保てないのだろう。
静かにもがく異形の女を、恨みを込めて睨み返す。必ず虎郎の仇を取る……心にそう誓って。
辛うじて意識を切り替え皆の元へ歩いた。数十メートル先で“青羽”と他2匹が、閉じこもるシクルナを庇うダン達を責め立てる。
「行かなくちゃ」
――i、i、ぃ
迫る違和感、再びの悪寒で強張る筋肉が傷を絞り、痛みが増す。
既に白骨の手は、俺の首へ触れようとしていた。骨を削り、躯がぎしぎしと軋んでも、殺戮姫は進むのを辞めない。
徐々に存在が黒土へ霧散していく中、片足が崩れ倒れこんでも追いすがってくる。
「境界線を超えてっ!? まだ動くのかっ」
縛りを無視した満身創痍な状態で、尚も苛烈に剣を振るう殺戮姫。
「――ぐっっ!」
背中を斬られた感触。肉を骨から剝がされるかのような痛みが襲う。
だが止まらずセギンらの元に走る。
視線を凶手へ向ければ、殺戮姫はようやく土へ還っていった。
「(なんて執念っ。明らかに領地の外へ出れない様子だったのに、死ぬ間際まで止まらず追ってきた)」
殺戮姫に対し“死ぬ”という表現は正しくない。すでに死んでいるのだろうし、存在を滅したわけではないのだ。
領地に入ればまた立ち還り、襲い掛かってくるに違いない。
「ダンっ、危ない! 勝也くんっ、なんとかシクルナちゃんを落ち着かせて……」
「大丈夫だよシクルナちゃん。オレが守るから、だからこのバリアを解いてくれ!」
「うううぅぅ、怖いのよおおお」
鋼城が障壁の外からシクルナへ語りかけ、その背をダンが守っている。セギンと愛魚は忙しなく動き回りながら、騎士蜂の包囲を食い破る隙を伺う。
青羽が上空で激しく羽を振動。嫌な予感がして蜂の狩場へ走り出す。
騎士蜂2匹が猛然とセギンへ狙いを集中し始めた。
「グ、ムッ、コレハ!?」
セギンは纏う魔岩を刃とした大槍を振るいながら、【石礫弾】の魔法で応戦する。
その時、青羽が急加速し飛び離れていく。
「(逃げた……――っ、違う!!)」
青い軌跡は輝きを強め、速度を増しながら弧を描く。狙いは変わらず、殺意は一点。
向かう先は、そうだ、背を向けている――……。
足に魔力を込めながら同時に、殺戮姫からのダメージのせいで間に合わないと悟る。
「ぐうぅぅっ、――鋼城ぉっ!! 狙いはダンだっ、背中を守れっっ」
ダンと逆を向く鋼城は、正面に青羽が見えるはず。一撃止めてくればいい、あとは俺が青羽を斬る!
俺の声を聞いた鋼城が目線を向けた。俺と、次に正面から迫る青羽、最後に愛魚。
高速だが、まだ十分に距離はある。
「鋼城おおおおっ」
彼は動かない。
・
・
・
魔力を込め、矢を放つ。数本の矢が刺さった2匹の騎士蜂が、空へ逃れていく。
意識の外に青い光が通り過ぎて。
くぐもった苦悶の息。滴る水音。
「い、や」
振り向けば、胸下を大針に貫かれるダンの姿。青い羽と複眼が、勝ち誇るように色を強めた。
いやだ、いや、そんな、どうしてダンが……あんなに血を吐いてるの?
「ゴ、オ……っ」
「よくもぉっっ」
七郎君が血を流しながら迫ると、ダンの背中に居た騎士蜂は夜空へ逃げる。それと共にダンから突き出た針も抜け、彼は槍を手放しながら前のめりに倒れこむ。
「いやああああああああああああああ!!」
愛する人の元へ駆け寄り、頭を白くしたまま悲鳴をあげる。勢いよく彼の血が地面に溢れ温かい。
傷口を押さえながら、彼の命が血と一緒に流れ出ていくの感じた。
・
・
・
空に逃げた“青羽”が他の騎士蜂と編隊を組み、獲物へトドメをさそうとしている。
急降下の姿勢へ移ろうとした時、矢の雨が蜂の攻撃を遮る。愛魚による速射ではない。
「撃て! 精密に狙わなくていい。全員で力いっぱい矢を射続けろっ。面制圧だ」
――落ちろ虫共!
――矢を使いきるまで撃つのをやめるなっ
――【石礫弾】
絶え間なく放たれる矢と獣牙種戦士の魔法に、騎士蜂共はたじろぐ。戦力を引き連れた璃音がついに到着したのだ。
陸軍兵士がハンドルを握るジープから、こちらの惨状を察し璃音が駆け降りる。
「愛魚っ、そのまま傷口を押さえるんだ。ジープに乗せて拠点へ!」
「ぅ、ううううう」
「オオ、ダンっ。ならんっ、息をシろ。オマエが先に逝クなど許さんゾッ」
「愛魚! っ、セギン、手を貸してくれ。一刻も早く手当てが出来る拠点へ。……鋼城っ? シクルナ嬢はどうしたんだい!?」
「ま、まってくれ。シクルナちゃんが落ち着いてくれないと、魔法が――」
「どけ」
鋼城を押しのけ、魔法のバリアに包まれたシクルナを見下ろす。
時間が無いんだ、危険だが仕方ない――。
魔力を流した黒剣を両手で握り逆手に構える。守りの中で俺を見た少女は、驚愕に目を見開き恐怖に叫んでいる。覆いのせいで声はくぐもって響いた。
「ひ、ひいやああああああああ」
「なっ、ま、まてよ墨谷! そんな乱暴には」
切っ先を振り下ろすと、一息で魔法らしき覆いを刺し壊すことに成功した。バリアと共にシクルナの手にあったブレスレットが砕けて割れる。
恐怖が限界に達したのであろう、彼女は意識を喪失。なにか言いたげな鋼城の手によってジープに乗せられた。
血まみれのダンと眠るシクルナを乗せたジープは、どうにか騎士蜂らを退け拠点に帰還する。
蜂たちは安全区域に入る俺達を、最後まで名残惜しそうに見つめていた。無機質な複眼が雄弁に訴えているのだ。
獲物を寄越せと。
…………。
暗い一室には血の匂いが充満していた。傷を負った俺のせいではない、殆どがダンから流れる血によるもの。
看護師資格を持つ女性が懸命に手当するも、手に負える状態でないのは明らか。
獣牙種氏族の妻に回復魔法を使える者が居たが、いわく低位の魔法しか扱えないとのこと。回復魔法は異世界でも難易度の高い魔法らしい。
それでも一縷の望みを持ち、彼女は回復魔法を唱える。
「お願いだよダン。がんばって、ねえっ」
止血と魔法が施されるダンだが、変わらず呼吸は速く、浅い。
ダンに縋りつく愛魚を、俺は後ろで見ていることしか出来なかった。セギンも握る拳を震わせながら、ダンを見下ろす。
璃音は志願者と獣牙種を連れ、外で騎士蜂の追撃を警戒。以前より獰猛さを増した騎士蜂に対し、念を入れての事である。
鋼城はシクルナを私室に運び、目覚めるまで様子を見てくれている。少女を覆う魔法を、俺が無理やり破壊したのだ。見たところ気を失っているだけだが、目覚めるまで付き添いがあった方がいいだろう。
「…………キ、イだ」
「ダンっ。……なぁに、なんて言ったの」
「キレイだ……我が宝」
意識が朦朧としているのだ。うわごとの様に傍の恋人へ愛を語る。
そこで俺はもう、見ていられなかった。部屋の壁にずるずると座り込み、後悔と無力感を持て余しながら頭を抱える。
腕で顔を覆っても、透かしの様にダンの有様が突きつけられる。まるで自分を許すなと、理性が魂を苛むように。
「…………星ヲ、共にいつまでモ」
「ダン、……ダン。……一緒にまた見よう? ね? 2人でずっと……」
「…………」
「また抱きしめてよぉ。置いていかないで」
………………。
「あああぁ」
横たわる彼に返事は無い。荒い呼吸も、いつの間にか聞こえない。
セギンは打ちひしがれたように項垂れている。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーー」
それから、床に流れた血が全て乾くまで、半身を失った愛魚の慟哭が続いた。