吐き気を催す美しさ
片手の手首から上、5本の指と黒い剣。地面に落ちたそれらを流れる血が濡らす。
状況をうまく掴めないまま視線を巡らせる。手首のない片腕、噴き出す血、傷を押さえる虎郎の苦悶の顔。
「――っ!」
剣の切っ先を不死者らへ。もはや恐怖を忘れ、虎郎を傷つけた怒りが頭を満たす。
足の震えは止まり視線はまっすぐ異形の姫に。
静かで、不気味で、痛ましい。美女の顔を持つ白骨は馬車から離れ戦列の前に佇んでいた。
馬車の前から動いた仕草は見ていない。もちろん虎郎をどうやって傷つけたのかも分からない。
“彼女”は息遣いも無く髪とスカートを揺らめかせて立っている。
「逃げるよっっ」
「う、うんっ。虎郎さんつかまって!」
「あ、ら……やだ、ぁ」
愛魚は虎郎の体を支え建物の上へ跳びあがり、屋根伝いに走り出す。璃音も続き、俺も最後まで”彼女”を視界に納めながら逃走を開始。屋根に上がったところで不死者たちは見えなくなる。
「なんだ!? なにされた!?」
「わからないよ。見えなかったっ」
「大丈夫か虎郎っ!?」
「やって、くれるわね……あのお姫サマ。あら璃音、アタシの手と剣拾ってくれたの……?」
「ああ虎郎や七郎の再生力なら接合できる可能性があるからねっ。今は走ることに集中するんだっ」
重症の虎郎を庇いながら拠点の方角へ疾走する。あの異形の姫も恐ろしいが、空に近く開けた場所では上にも耳をそばだてる。
――……ぅぅん
「! ダメだねっ、降りて道に戻ろう」
屋根から道路へ飛び降りる。入れ替わるように振動と羽音が背を掠めた。
降りた道路から屋根の上……その向こうの闇中に気配が見える。魔力を含んだ複眼が無機質に光り飛び去った。
変わらず空は騎士蜂の支配域なのである。
「くそぉ……アイツらが居なければ地形に縛られず動けるのに」
身体強化を用いれば一軒家程度なら飛び越せる。さっきのように建物の上を移動できれば市街の探索はぐんと楽になるが、蜂の襲撃がそれを許さない。
今の俺達なら騎士蜂の甲殻を砕き殺すことが出来るはずだ。しかしそれは攻撃が当たればの話。
索敵範囲外の上空から高速で飛来し、瞬く間に獲物を攫い空へ戻る。飛べない俺達では追う術がないのだ。
「もう拠点が近い! がんばれ虎郎っ」
「いま手首くっつけたトコ」
「は? くっついた?」
「完全じゃないケド」
見れば切断されていた手が布で縛り繋がれ、本当に指が動いている。まさか璃音の予想通り繋がるとは……それもこんなに早く……。
「……ま、まあ良いことか。拠点まで殆ど一直線だ。走――」
白金の煌めき。
とん、と踊るかのように飛び上がった銀の鎧靴。装飾美しいスカートが翻る。
自身のすぐ隣に一枚の絵があった。これが本当に絵なら、描いた画家の正気を疑わねばならない。
美姫の足は鎧に包まれて尚しなやかに。だが上半身は下半身の速度に引きずられ、ぐしゃりと背骨が直角に腰から曲がる。
所作の美しさと死のグロテスクが同居するコントラスト。コンマ数秒……一瞬の光景だが、俺は確かに吐き気を催した。
全身全力の身体強化、反射的に虎郎を庇う為跳ぶ。
「ぐっ!!」
背中に焼けるような熱さを感じ、線をなぞるように痛みが生まれる。どうやら盾になることには成功したようだ。
「七郎!」
脱力した姿勢で宙を飛んだ白骨の女騎士。騎士と名指したのは、彼女の手に装飾品のような細身の剣が握られていたから。
地面に足を付けた死の戦姫は幽鬼のごとく佇み、なぜか動きを止める。
「(背中は……考えないようにしよう。じゃないと気絶しそうだ)」
痛い。血が大量に流れ出るのが分かる。
後ろで赤い光が燃え出した。璃音が最初から持っていたのか、そこらに転がる事故車から取り出したのか知れない発煙筒を焚いたのだ。拠点に居る獣牙種たちにうまく伝わればいいが。
じっと戦姫を見る。頭が小首をかしげるように傾き、両の腕骨で細剣を優しく握る。
俺は自身の片刃剣を正面に構えながら怪物へ立ち向かう。
「っ、ハッ」
小さな掛け声と共に体の周りを矢が数本追い抜いていく。愛魚の援護に合わせ加速。
――しかし何も出来なかった。
意識の狭間、瞬きの間に”彼女”が駆けだす。足だけが無駄のない動作で走り上半身は脱力したまま、矢を事もなげに素通りしていく。
そこまでは先行する意識により目で追えたが、あとがいけない。反応できないまま腕と肩を刻まれる。
「ぐ、ああ」
数歩後ずさり、耐えきれず膝を着いた。出血のせいなのか力も入らない。
こんな傷ぐらい早く治れよ……!
さらに絶望が続く。何が楽しいのか“くるり”と体を回す白骨の戦姫、その奥から地鳴りが聞こえた。
正体は声。喉を持たない不死者たちが雄たけびのように音を発し迫る。渦巻く魔力の振動なのか、又は騎兵が持つ槍を光らせる魔法の音なのか。
どこからともなく現れた騎兵の陣形が、魔法を纏い突撃。槍の穂先から光る魔力が、騎兵そのものを貫く錐と化す。
声なき怒号、死してなお噴き出す興奮。
大波を前に立ち尽くす気分だ。轟然と迫る死の気配に頭が真っ白となる。
「こんな――あっけなく」
地鳴りと衝撃が眼前で隆起を起こす!
「「地息吹クを言祝ぐ精霊ヨ、隆エルは驕り正す怒リとならン、天翼へ捧ぐ頂を連ネン 【 断崖轟槍 】! 」」
俺を死から救ったのは、次々と突き出す岩槍の壁。
獣牙種の騎乗突撃、その先頭に立つセギンとダンの二重詠唱による大魔法だった。